夏の吸血鬼はお嫌いですか?
弐護山 ゐち期
八月二十日午後八時二十分の吸血鬼
私は夏が嫌いだ。特に今年の夏が嫌いだ。
『夜になっても気温は下がらず、会場は涼みに来た人々でごった返しています。ちょっとあそこの女性にインタビューしてみ――』
男性キャスターが鼻の下を伸ばして駆けていく。
その様子を見て私はテレビを消した。最近のニュースはどれもこんな感じ。きちんと受信料を払ってるのが馬鹿らしくなる。
「あーあ、やっぱり夏は嫌いだ」
一人きりの部屋で独りごつ。隣も向かいもみんな花火大会へ出かけてしまって、アパート残留組は私のみ。少々ばかり毒を吐いたとて誰にも聞こえまい。
「何が嫌いかって、」
嫌いなものを頭に思い浮かべながら、胸いっぱいに息を吸う。
うだるような暑さ、うるさいセミの鳴き声、神社のお祭り、混んでいたビーチ、魚を釣った清流、星を眺めた展望台、行くはずだった河川敷の花火大会……。
そう、あいつを思い出させる夏が、
「ぜーんぶ、大っ嫌い!」
ひんやりとする床に寝ころび、思いっきり叫ぶ。直後、頭に激痛が走った。
「
すっきりするかと思ったけれど、逆効果。昼から飲んでたことを完全に忘れていた。しばし頭を抱えてうずくまる。
「炭酸水、炭酸水……」
どうにか立ち上がり冷蔵庫へ。ゾンビの足取りでたどり着くと、また最悪が待っていた。
「ないんなら言っとけよな!」
飲み干した昨日の自分に文句を言って、手荒くドアを閉める。ズキリ。衝撃で再び激痛が走った。またもや頭を抱えてのたうち回る。
「ちっ、そっちがその気なら……」
床に這いつくばってリビングまで移動。
涼しい部屋から出たくはなかったが、しょうがない。財布を鷲掴み、鍵を持っていざ出陣。
外に出た瞬間、サウナのような空気に
「うっ、これだから夏は嫌い」
夜になったからと言って、涼しいわけじゃない。逆にこっちのほうが暑いような気すらする。地平線の下にいるであろう太陽を
「――ん?」
えっちらおっちらコンビニから帰ると、部屋の前に少女が座り込んでいた。体育座りをして顔を伏せているため、表情は分からない。
「おいマジか……」
早く中に入らないと、買ってきた氷が溶けてしまう。
あまり関わりたくはないが、意を決して話しかけてみる。
「ねえ、君。どうしたのかな?」
黒髪を流しながら少女が顔を上げた。美しい紅の瞳と目が合う。
「外国人……?」
セーラー服を着ているから、てっきり日本人かと思っていた。日本語で伝わっただろうか。私があたふたするなか、少女は呟く。
「貴方の血を、吸わせてくれませんか?」
「……」
また頭痛がしてきそうだった。
「――ごめんね、こんなのしかなくて」
そう言って買ってきたばかりの炭酸水を出す。
あのまま外に出しておくわけにもいかないので、とりあえず部屋に入れてあげた。
「あっ、お構いなく」
少女はぺこりと頭を下げる。悪い子ではなさそうだ。
「血を吸わせてくれ、だっけ?」
「はい」
私は頭をポリポリと掻く。もう少し話を聞いてみよう。
「どうしてまた」
「たんぱく質が必要だからです」
「ササミじゃ駄目かな?」
首を横に振る少女。やっぱり血がいいらしい。
「貴方の血を吸うのは決定事項なのです」
「へっ?」
「一方的に血を吸うのは気が引けるので、何かさせてください!」
張り切る少女を見て、私は頭を抱える。
いまさら外に出すわけにもいかないし、どうしよう困ったな。
「私の名前は
「えっ、みたまだけど……」
「みたまさんですね!」
名前まで教えてしまった。帰る気もなさそうだし、こうなれば付き合ってあげよう。
「ちょっと待ってて」
エカと名乗った少女にそう告げ、私はビールを取りに行く。こういうときは冷静さよりもノリと勢いが大切なのだ。
「適当に食べていいよ」
小皿には柿の種とイカゲソ。
プシューと缶の栓を開け、謎の少女との女子会が始まった。
「エカちゃんはさ、なんで私の部屋の前に座ってたわけ?」
「他の方がいなくて、途方に暮れていたのです」
「ああ、そういうこと」
みんなは花火大会に行ったからね。本当なら私もいまごろは……。
ぐびりと酒を流し込む。
「みたまさんは何故行かれなかったのですか?」
「それ聞いちゃう?」
ビールをもう一口。
「いーかい、エカちゃん。人には聞いていいことと悪いことがあるのだよ」
「は、はぁ」
「フラれたからに決まってんじゃんかぁ!」
一本目を飲み干す。
ちくしょう、何が悲しくて少女なんかに愚痴ってんだ。
「オスなんてそんなものです」
「ほぉー、言うじゃん」
「用が済んだら、はいさようなら。メスが危険を犯して血を吸いに行くってのに、守ってもくれないんですよ」
「そうだよな、男なんて薄情だよなぁ!」
ゲソを食べつつ二本目を開ける。
「あいつもさぁ。あっ、あいつってのは元カレね。あいつも薄情だったわ」
「そうなんですか」
炭酸水をちびりと飲みながら、少女が
「女ができたからって、言うか普通!? 別れ話すんならもうちょっと上手に切り出せっつーの! アホか、こっちの気持ちも考えろよ!」
ぐいぐいとビールを
「せっかくさぁ、趣味でもない浴衣買ったのに……」
「ほんとですよねー。私も分かりますよ、その気持ち」
「エカちゃんも捨てられたの? こんなに可愛いのに、馬鹿な男だねそいつは」
「捨てられたのとは違いますが、私の前で他のメスといちゃいちゃするんですよ。一夫多妻制なのは分かりますけど、少しは配慮してほしいです」
「それ私よりひどいじゃん!」
別れた女の前でいちゃつくとか、ほんと最低。そいつは馬鹿じゃなくて、ただのゲス野郎だ。
「そうかそうか、エカちゃんも大変だったんだねぇ。ほれ、もっと飲みたまえ!」
エカちゃんに炭酸水を注いであげる。それと一緒に私もビールを飲む。
「しょせん男なんてどうしよーもないのよ! 女なんて消耗品くらいにしか思ってないわね、絶対!」
二本目を飲み干し、三本目へ。
あれれ、思ったよりも酒のペースが速い。
「そりゃ私だってね、飽きるときくらいあるわ。けどね、それを乗り越えてこその恋愛ってもんなんじゃないの? 努力もしないですぐポイとかさ、箱ティッシュなのか? トイレットペーパーくらいの存在なのか、私は!」
「違いがよく分かりません……」
あー、飲まなきゃやってらんねー。
右手にビール缶、左手にイカゲソ。ごきゅりと喉を鳴らして、さらに酒が進む。
「あの、ちょっと飲み過ぎでは……」
「んあ?」
「まあ、血が吸いやすくなっていいのですが」
ああ、そうだ。この子は私の血を吸いに来ていたのだった。
「いいよぉ、吸ってくれちゃっても。エカちゃんみたいな可愛い吸血鬼になら、血くらいいくらでもあげるわぁ!」
「正しくは吸血鬼ではなく、吸血動物です」
「鬼も動物でしょぉ? 気にしない、気にしない!」
「はぁ」
ヤバい。眠くなってきた。まぶたが下がってくる。
「それでなんですけど、血を吸う代わりに私は何をすればいいですか?」
「じゃあー、一回抱かせて? 私を慰めておくれよぉ!」
「……?」
「あー、うそうそ! 本気にしないでね。酔っ払いの
ちょっと横になろう。もう座っていられん。後片付けは起きてからでいーや。
「みたまさん!? ねえ、起きてくださいよ! 結局、私は何をすれば?」
「愚痴を聞いてくれたからもーいいよ。ありがとねぇ」
あ、エカちゃんどうしよ。そのままにして寝ちゃうのもな。まあそれも起きてからで……。
「本当にそんなのでいいのですか?」
「いーいー。そんじゃあ、おやすみぃ!」
もう限界だ。酔っ払いは寝せてくれ。
「あのっ、みたまさ――」
と、ここで私の記憶は途切れた。
「――あったま
連続テレビ小説も終わった八時二十分、私は起床した。
「炭酸水、炭酸水……」
ゾンビのように冷蔵庫まで這っていく。
やっちまった、完全に飲み過ぎた。
「あれ? 蓋が開いてる……」
えーっと、昨日何かあったような。なんだっけな?
回らない頭に
「ん?」
空き缶だらけのテーブルの上に一枚の紙があった。丸文字で何かが書いてある。
「えー、なになに? 『血は吸わせていただきました。お言葉に甘えていっぱい吸っちゃいました。掻きやすいように腕にしといたので、許してくださいね。それではさようなら。赤井エカ』。……赤井エカ?」
血を吸わせていただいたって……。
「ああ! あの吸血鬼ちゃんか!」
昨日の夜、紅の瞳を持った少女に出会ったのだった。それでその子に色々と愚痴って、それから……それから?
「まさか、そのまま寝落ち!? もしかしなくても私、最悪な大人じゃん!」
大人である前に人間として最低だ。
「でもまあ、帰ったんならいっか」
いまさらどうこう言っても仕方ない。無事に帰ってくれたことを祈ろう。
「あーあ、それにしても楽しかったな」
散らかった部屋で独りごつ。アパートの住人たちももう帰ってきただろうか。吐く毒ももうないし、別にいいけれど。
「夏も捨てたもんじゃない、か」
うだるような暑さ、うるさいセミの鳴き声は我慢するとして。
あいつと行ったお祭りも、ビーチも、清流も、展望台も、そして行くはずだった花火大会も。全て忘れてしまおう。
そうすればきっと、
「少しは好きになれるかも……」
炭酸水を飲み干し、テレビをつける。
今日という新しい朝が来たのだ。こうしちゃいられない。
『今年の夏は気温も上がり、海水浴場は涼みに来た人々でごった返しています。ちょっとあそこの女性にインタビューしてみ――』
ビキニを目がけて、鼻の下を伸ばした男性キャスターが駆けていく。
まあ、こんなニュースでもいいかもね。やっと日常が戻ったのだから。受信料を払ってまで前みたいな暗いニュースは見たくない。
「しっかしなー」
夏の嫌いなところを思い出す。そうだ、私が一番嫌いなものはこれだった。
「ほんと
蚊に刺された腕を掻きながら、やっぱり夏は嫌いだと思った。
夏の吸血鬼はお嫌いですか? 弐護山 ゐち期 @shinkirou
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