水玉ショートフィルム

猫村まぬる

水玉ショートフィルム

 夏の朝の日ざしが、まぶしい。

 カーテンがゆらゆらしている。

 赤茶色の天井。

 窓の下の側溝を流れる水の音。


 学生のころ住んでた部屋だ。湿気がひどく、前の住人の煙草の匂いがした、あの六畳。


 ちゃぶ台の上の時計を取ろうとして、畳に寝ころんだまま腕をのばすと、冷たいものが手に触れ、ことんと倒れた。

 倒れたのは、グラスだ。からからと、氷がちゃぶ台を滑る音。

 白いしずくが垂れてくる。

 ぽつ、とつ、ぽつ。畳に落ちる。

 顔のそばに、落ちてくる。甘酸っぱい雨もりのように。


 これは、本当にあったことなのかな。

 分からない。短い、短い場面の記憶だ。頭の片隅に残った、フィルムの切れはし。


 ひどい部屋だった。

 下の階なのに、梅雨どきには雨もりがした。下水は流れが悪く、鉄のドアは、どんなに丁寧に閉じても、ものすごい音を立てた。


 ばたーむ!


 ぼかーんぐ!


 どわーんぐ!


 閉める人によって、微妙に音がちがうものだから、4年も住んでると、誰が閉めたか耳で分かるようになった。


 坂野、

 ケンイチうじ

 益田部長、

 フルケンさん、

 マコさま、

 姉貴、

 後藤さん、

 理佳……


 とつ、ぽつ、ぽつ、とつ。


 朝のひかりはカーテンでゆらめく。

 腕を下ろし、背を丸め、眼を閉じる。 

 倒れたグラスもそのまま。時計も、何も手にしないまま。

 

 まあ、いいか。

 もう、いいや……。


 ふと、自分ひとりだと思っていた室内で、さらさらと布のすれあう音が聞こえた。


 目を開けると、二本の白い脚が、逆光の中で交差した。

 小さなはだしの足が、静かに畳を踏む。


 みぎ、ひだり。

 みぎ、ひだり。


 白地に青の水玉のスカートが、カーテンといっしょにほわりと広がった。


「じゃあわたし、帰るね」


 そう言って、白いものは、ひらりと視界から消えた。

 そしてノブをまわす音がした。

 記憶はそこまで。あとは思い出せない。


 あの鉄のドアは、どんな音を立てて閉じたんだろう?

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