おろせない荷物 第三
「十一年前の事だ。私は狼の群れの調査に一人で向かった。金か銀か、月明かりのような毛色の美しい狼の群れだったのだが、彼らは必死に何かを食らっていた。ただの食事とは思えない張り詰めた空気が流れていた。その群れの中にいたのがケロウジだ」
ハナガサは食事中の狼の群れに紛れる子供を見つけ、銃で威嚇して狼たちを追い払った。
意外にもあっさりと散っていった狼たちは、木々の合間からじっとハナガサの次の動きを見ていたと言う。
横たわるのは、狼というにはあまりにも大きな年老いた狼。
狼たちのように速く走れない人間の子供は、一人そこに残された。十にも満たない子供のように見えたと、ハナガサは言う。
子供の顔は他の狼たちと同じように赤く汚れていた。あちこち破れてはいたがちゃんと着物を着ており、長い髪も結いあげていた。
そして子供は泣いていた。ハラハラと静かに泣いていた。
「怪我はないか?」
ハナガサは聞いてから、もしかして話せないか? と思ったが、子供は言葉を持っていた。
「長が死んだ……」
子供はそれだけ言うと、体から銀青色の光を放って倒れた。
「お前はひどい魔病で三日三晩うなされ、目を覚ました時には何もかも忘れていた。後で調べに行くと、育てられた跡があったよ。数日か数ヶ月か、それは分からんが、あの年老いた狼が魔獣であったことは間違いないだろう」
ハナガサはそう言うと、ケロウジの頭を撫でる。
「お前はただ、群れの一員だっただけだ」
「本当の事を教えてくれてありがとうございます」
そんなケロウジとハナガサを見て、コガネはただ青い顔で涙を溢した。
ケロウジは彼女に言う。
「コガネさんも、本当の事を言わなければいけないんじゃないですか?」
コガネは少し間をおいて「言えませんよ」と答える。
「あの人は私が殺したようなものですから」
すぐに前の船長の話だと気付いたハナガサが聞く。
「突然死だったと聞いているが?」
「いいえ。もうずっと以前から病気だったんです。あの人。それなのに船を降りて治療するのが嫌で、他の乗組員に知られるのが嫌で。病状が悪化し始めて仕方なく私が船に乗る事になりましたが、その時にも秘密にしてほしいと言われて……」
フユヤマの父親である前船長は最後まで船長らしい姿で船に乗る事を望んだのだと言う。そしてそれを成し遂げ、病を誰にも気付かせる事なく亡くなった。
「あの人、治療して陸で生き永らえるくらいなら、海の上で呆気なく死んでやるって言うんですよ。それでも、私は医者なんです。本当は、助けられたかもしれない命なんです。私を殺したいと思う気持ち、分かるんです」
コガネの声からは後悔が伝わって来た。
船長の秘密を守るためなのか、助けられなかった後悔なのか、彼女が死を選ぶ理由をケロウジは探した。
そして、もしかすると死にたいほど愛していたのではないかと思い至る。
「恋仲だったんですか?」
「え……えぇ」
「大切な人の息子は、やっぱり大切ですじゃないですか。恨み続けるのって結構つらいと思うんですよ。殺そうと考えるほどですからね。彼の為を想うのなら、本当の事を教えてあげて下さい」
ケロウジは言うが、コガネは頷かない。
するとヤマドリが言った。
「助けて損しちゃったわ。結局アンタ、その息子に嫌われるのが怖いだけじゃない。それで自分で死ぬのも怖いからその息子に殺してもらおうとしてるのね。とんだ女だわ。さっさと出てってちょうだい。そこの巻物を持って」
「巻物?」
言われて見ると、いつの間にかハナガサとケロウジの間に一つの巻物が転がっている。
ケロウジが広げてみると、それは前船長の診療録だった。
「巻物にして隠していたのか。そこまでして……」
ハナガサが驚いて声を漏らす。
それを見ていたササはガサガサとケロウジの膝に乗り、巻物に触れた。
一瞬パァっと銀青色の光が現れた。眩しさにケロウジが目を閉じると、次に目を開けた時には巻物は無くなっていた。
「ササ、どこにやったの?」
慌てるコガネを止め、ケロウジは聞く。
「あのフユヤマって奴の枕元だ。まぁ、明日の朝にでも船に戻ってみろよ。その時にまだ死にてぇなら好きにしろ。俺が食ってやる」
「今すぐ行かなきゃ……!」
慌てて縺れる足で走り出そうとするコガネは、ヤマドリの魔術でまた眠らされた。
「ありがとう」
ケロウジがヤマドリとササに礼を言うと、フンと鼻を鳴らす。
その横で霊体は不安げに揺れている。
結局、ケロウジたちは全員そのまま仕事小屋で夜を明かした。
朝日が昇った頃にヤマドリが魔術を解くと、起きるなりコガネは船に向かって走り出した。
ササとヤマドリは急いで人の姿になり、ケロウジたちと一緒に後を追う。
ケロウジたちの後を体の薄くなった霊体も付いて来ていたが、浜に出てきてコガネを呼ぶフユヤマたちが並んで頭を下げると、すぅっと消えて行った。
フユヤマは地面に頭を擦り付けていたし、コガネは泣いていた。
それからケロウジたちも交ざって全員で、浜で魚や貝を焼いて朝食にしようと話しているうちに人が集まって来た。ハナガサ会の女性たちだ。
彼女たちはまたハナガサの武勇伝が増えたと喜び、魚や貝を焼く。
その中には帰って来ないケロウジたちを心配したシイもいた。
その輪からそっと抜けようとしたケロウジは、少年姿のササに見つかってまた座る。
「ササはどう思ってるのか聞きたくて。ちょっとここじゃ……」
「なんだよ。狸汁は不味いと思うぞ?」
「そんな事はしないけど……」
「俺が気付いてないとでも思ってたのかよ? それにな、信じる事でしか足は前へ進まないんだぜ。俺は友達を信じるね」
ササがニッと笑うと、ケロウジはやっと安心して魚を食べ始める。
それを見ていたハナガサはとても嬉しそうだ。
ハナガサに秘密を明かし、かけがえのない友を得たケロウジは極上の笑顔を浮かべた。
彼らはこれからも、まだ起こってもいない事件の被害者やシイのような人たちを助けるために右往左往するのだろう。
彼らの頭上で海鳥が鳴く。
誰も死なない事件帳 小林秀観 @k-hidemi
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