13通目。君に会いたい

彼が通った風で木々の葉は揺れる。

山の中、彼は道無き道を進み、とにかく城を目指していた。


「俺は、俺は……、大切な人を忘れていたんだッ」


ジークフリートは走りながら、己を責めるようにして独りごち、倒れた大木を飛び越える。

すぐに君のもとまで行かなくてはいけないのに、こんなところで何をしているんだ——。

彼は走りながら、エレンのことをずっと考えていた。

ここで初めて会った時、自分の過去を知っているようなことを言われ、反射的に彼女を拒絶してしまった。

言い訳にしかならないだろうが、ジークフリートにもそうしてしまう理由があった。


自分はあなたと幼なじみだったの。

将来は結婚するって約束もしたのよ?

この料理を覚えていない?

ここにふたりで来たことがあるの。

あなたはわたしの頬にキスをしてくれたわ。

覚えていない? それでもいいのよ。

ほら、この傷はわたしをかばってくれたものだわ、記憶に無いでしょう?

わたしが覚えているから、あなたは忘れたままでいいの。ずっと、ね。


どうしてだか、本当に忘れたい嫌な記憶はすぐに思い出せる。あの女——カトレアと自分に名乗って近づいてきた女のこと。

「カトレア」という人間が自分にとって何者か、一緒にいれば思い出せると思っていたが飛んだ思い違いだった。

あの女は記憶が無いことを逆手に、自分を貶めようとしていた。到底許すことはできないが、それに気が付けない自分が何よりも嫌だった。

だから、彼はあの一件以来、自分の過去を知っていると近寄ってくるものを受け付けなかった。


だが、エレンはどうだったろう?


彼女は書庫で会ったあと、過去について何かを語る事はあっただろうか。それどころか「はじめまして」と、出会いをやり直しはしなかったか?

彼女こそ、本当に探し求めていた人だというのに。


——俺のせいだ……。


何故エレンはそうやって距離を取ったのか、今ならわかる。

思い返せば、初対面の人間に対して酷いことを言ったものだ。

考えてもみよう。

親しい人間に、会ったことはない、人違いだ、過去にすがる人が一番嫌い、なんて言われて、それ以上忘れられた過去を語ろうと思えるか?

言えなくても、何らおかしな事はない。

忘れていたとはいえ、むごい事を大切な人に言ってしまった。

ジークフリートには後悔ばかりが募る。


頭痛がし始め、意図しない涙も流れるようになったのは、彼女と会ってからではなかったか。

秘宝を取りに行ったとき、「大丈夫?!」と自分を心配する彼女が誰かと重なった気がしたのは、気のせいなどではなかった。

彼女が書庫で呼んだ名前と、記憶のかけらから聞こえた名前は同じだ。

彼女の作ったアップルパイを、自分は食べたことがある——。


ヒントはそこら中に散らばっていた。

それなのに、今になるまで全く思い出すことができなかった。

君は一体どんな気持ちで、俺を見ていたのだろう。

そう考えるだけで、やるせ無さが押し寄せる。

ジークフリートは険しい顔になって気を引き締め直した。







***







「終わったわ。痛くない?」

「はい。ありがとうございました」


私は城の医務室で、腕の骨折をセリーナ先生に治癒してもらい、彼女にお礼を言った。

流石帝国とでも言おうか。

私が拉致されてから、たった1時間で助けてもらったことには感激である。

腕の骨と、髪の毛くらいの犠牲で戻って来られたとは幸いだ。

髪を切りたいと思っていたところなので、ちょうどよかった。

救助に来てくれたマルクスさんとダグラスさんには後日、深くお礼をしておかなくては。


「怖かったでしょう……。今日はここで休んで。わたしもいるから」


帰るはずの家は私が燃やしてしまった。

男に襲われた時、何とか抵抗して緊急装置を作動させたのだ。

また住んでいたところが燃えてしまって、心苦しかったけれど、何もしなければ私が居なくなったことを知らせることが出来ないから仕方なかった。

拐われたあと、「この魔法陣をよめ!」と脅されて抵抗したら、髪の毛切られるわ、腕の骨折られるわ、とかしたけれど、むこう側の大陸でも似たような事がいくつもあって慣れている私には痛くも痒くもなかった。


「平気ですよ。すぐに助けに来てもらえましたから」


決して強がりなどではなく、これは本心だ。

何せ捕虜の時の方が何倍も辛かったから。


——叫んではいけない。

痛がってはいけない。

君が悲しむから、私は泣いちゃいけない。


どんなに痛くて辛くても、君の前で私が屈してはいけなかった。

あの時から、私は一時的に痛みを遮断することができるようになったんだっけ……?


「無理は駄目よ。身体は嘘をつけないんだから」

「はい……」


でも、そうだな。これくらいのことはへっちゃらなんだけれど、今回は少しだけ、ほんの少しだけ焦った。

何故なら、今回の件で私が無事に戻ってこられるとは限らないどころか、最悪の場合帝国側の人間に殺されることになったはずだからだ。

勿論、帝国も利用価値のある人間をみすみす手放すはずもないが、それが敵の手中に堕ちるというのならば、手に余る駒は切り捨てられる。

少し考えれば、簡単に行き着く結末だ。

反対側の大陸では特に珍しくもない選択である。

そして、その逆もまた然り。

ダグラスさんたちが助けに来てくれた時、相手は私を殺そうとした。

こうなったら、お前も一緒にあの世行きだ!と言わんばかりにね。

マルクスさんが防いでくれたから、こうして生きている訳なのだけれど、死にそうになって思ってしまったんだ。


ああ、最期に君の顔を見てから死にたかったな。って。


もう笑うしかないよ。

私は恐ろしいほどの執着心を持つ人間だったみたいだ。自分でも引くくらいに。

もうこの際に開き直ってしまうと、私は死ぬ前にちゃんと君に会ってお別れを言いたい。

過去のことは何も言わないから、「幸せになってね」の一言くらい言わせて欲しい。

それが私にできるけじめだ。

そうと決まれば、オーマン様にお願いして公爵さまに会わせてもらおう。


「私、忘れないうちに報告に行ってきます」

「明日でもいいんじゃない?」

「こういう事は早めにやった方がいいんですよ」

「……そう。無理していないなら、いいけれど」


ちょっと待って、とセリーナ先生は引き出しを開けた。


「その髪を整えてからにしない?」

「……あ。忘れてました。ありがとうございます」


長さを揃えてもらうと、胸まであった髪は肩につくくらい短くなった。乾かすのが楽そうだ。

気分も軽くなったところで、私は医務室を出た。

セリーナ先生に場所を教えてもらい、向かうは第三会議室。


これで最後にするから、どうか許して欲しい。




私は無性に、あなたに会いたかった————。








◆*◆*◆








エレンは第三会議室に続く廊下を歩いていた。

そこでふと今日はクロリアと会う約束の日だったことを思い出し、立ち止まる。

この報告とお願いをしたら、彼女に会いに行かないと、と次は早歩きで前に進む。

忘れられることは、辛い——。

自分がそれを一番よく知っている。

だから早くやる事を終わらせて、クロリアに謝らなくてはいけない。


「失礼します」


厳しい木の扉を押した。

レイスから始まり、朱、白、青の騎士団長と、なんとお目当てだったディルク本人が、今後の対策について話し合っている最中だった。

エレンは彼らと顔を見合わせると部屋の中に入る。




——あれは!


扉の向こうへ消えていく亜麻色の髪を見つけたのはジークフリートだった。

彼女が無事に救出されていたことについて聞き出していた彼は、その事については驚くことはなかった。団長ふたりが向かったのだ。場所さえ分かれば時間の問題だっただろう。

エレンの姿をその目に捉えたジークフリートは、走るスピードを上げた。


そんな彼を見た城の従者たちは、皆目を丸くする。

丁度、エレンの無事を聞きつけて彼女に会いに行こうとしていたオーロラ姫も、琥珀色の髪を靡かせる騎士を見つけて彼を引き留めようとした。

「ジー、」

しかし、彼女は途中で言葉を止める。

彼はこちらを見向きもせず、ただ真っ直ぐに一点だけを目指していた。

今までに見たことがない、必死さの滲む表情で。

驚いた。

いつも飄々としているあの騎士が、そんな顔も出来たのかと。

オーロラも目を丸くして立ち止った。


本人はというと、そんな視線たちには全く気がついていなかった。

ただ、走って、走って、廊下を駆ける。

やっと足を止めたのは、彼女が入っていった会議室の前。

ジークフリートはノックもしないで、ついにその扉を開いた——。







「エレンっ」







突然現れた彼の姿を見て、慌てる上司らを置いてジークフリートはエレンを抱きしめた。



「ごめん。ごめん——」



彼はすがるように、彼女に顔を埋める。

その様子を見て、その場にいた誰もがジークフリートに記憶が戻ったことを察した。

ディルクとレイスはどちらからともなく顔を合わせる。彼の身体に異常が起きていないことを確認して驚いていたのだ。


「セ、オ?」


エレンは混乱する中、ずっと会いたかった人の名を呼ぶ。

それを聞いたジークフリートは抱きしめる力を強めた。


「ああ。そうだ。俺はセオだ」

「……私のこと、わかるの?」


震えた声に、ハッとして彼女を離して顔を覗けば、複雑な表情をしたエレンがいる。

そんな顔をさせているのが自分のせいだと分かったジークフリートは、胸が締め付けられた。


「……正直、全てを思い出した訳じゃない。何で記憶を失ったのか、11歳くらいの時の記憶はまだ思い出せない……」


「でも」と彼は続ける。


「それよりも前の過去は思い出した」


徐に胸元を探り、ジークフリートはペンダントを首から外す。


「これはエレンがずっと持っていた。母親の形見だろ」


それはジークフリートには伝えられていないはずの記憶。

エレンは思わずディルクを見た。

彼は「言っていない」と一言。

つまり、本当に彼自身が思い出して手に入れた記憶だ。


「じゃあ……っ」


エレンは、とうとう泣き出した。

ずっと堪えてきた涙が、拭っても拭っても止まらない。


「ずっと、ずっと、探してたんだよ」

「……ごめん」


ジークフリートは、次は優しく彼女に腕を回した。

謝っても謝りきれない。

彼女はどれだけ寂しい思いをしてきたのだろうか。自分よりもこんなに小さな身体で。


「これからは、ちゃんと俺が守るから……。だから、もう泣かないでくれ」

「っ!」


エレンが顔をあげれば、切ない碧い瞳が自分だけを映している。彼女は「そんなこと言われてもぉ」と更に涙を零した。

涙は当分枯れてくれそうにない。




でも。

今は、慰めてくれる君がいる。




抱きしめられた彼からは、かすかに幸せの甘い香りがした——。















 ——解読士 エレン・ウォーカー殿。

至急、会って話がしたい。城に戻って来て欲しい。


 ——解読士 エレン・ウォーカー殿。

先日の手紙は不十分だった。あなたに俺の過去について何か心当たりがないかを聞きたい。何か知っていたら連絡が欲しい。


 ——解読士 エレン・ウォーカー殿。

週に一度城に来ていることを聞いた。すれ違いになっているのなら、誰かに言伝てくれると助かる。たとえ俺に言いづらい内容だとしても、それなりに覚悟はしているつもりだ。話を聞かせてくれはしないだろうか。





ペラペラと便箋を開き、中身に目を通したのはディルク・ルド・ロマロニルスだった。

レイスからジークフリートがエレンに送ろうとしていた手紙を預かったのだ。

ああ見えて人との関わりが苦手な息子は、どうやら女性に送る手紙の書き方を知らなかったようである。

不器用さが滲む文面に、やれやれとディルクは頭を振った。

それにしても。

あれだけ昔のことを思い出そうとすると苦しんで来たジークフリートが、あんな顔をしてエレンに抱きつくとは面食らったものだ。

あれから彼はエレン・ウォーカーの護衛兼、詠唱調査役を担当することになり、彼女にべったりである。

本人が自覚しているかは知らないが、一部から「氷の貴公子」なんて呼ばれているジークフリートはエレンの前では、思わず二度見してしまうほど優しい表情をする。それは父親も驚くくらい。

終わり良ければ、ではあるが、ディルクとしてもジークフリートがエレンのことを無事に思い出してくれて救われた。これ以上、彼女を苦しめることをしなくて済んだのだから……。

あと彼女に残された時間をディルクは知らなかったが、彼も懸命にセリーナと協力して治療法を探している。エレンにはジークフリートのためにも、長く生きてもらわないといけない。

やっと再会できたのだ。

向きは違えてしまったが、ジークフリートだって大切な人をずっと探していたのだ。

ふたりにはどんな形であれ、幸せになってもらわねばならない。


「さて……」


ディルクは最後にジークフリートがエレンに宛てた手紙を開く。





 ——解読士 エレン・ウォーカー殿。

      君に会いたい。



あまりにも直球過ぎるとても短い一行が、逆にジークフリートの素直な気持ちをそのまま表現していると思う。





「これじゃあ、まるで恋文だな」





彼はそう呟くと、ふっと笑みをこぼした—————。

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忘却の彼方へ 冬瀬 @huyuse_mononobe

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