12通目。君の約束

燃え崩れた家屋の捜索後、死体が出てくることはなかった。

家屋が燃えたのは、万が一この場所が知られた時、情報を焼却するための緊急装置が作動されたからである。

その存在を知っているのは家主であるエレンと城の数名だけ。

この場合、彼女が危険を察知して作動したと考えるのが自然である。

実際にエレンは姿を消した。

玄関に血痕が残っていたことからしても、さらわれてしまったのだろう。


「不味いことになりました」


レイスは重苦しい口調である。

それは国を傾かせることができるほどの知恵を持つ解読士が拐われたことと、ジークフリートが彼女のことを勘付き始めていることのふたつだ。

あの様子では任務に出すことは勿論、記憶の混乱で魔力を暴走させる可能性があるので、エレンについての情報を与えることは出来ない。


「もう少し早く手を打つべきだったな」


ディルクの呟きに、レイスも同意した。

最近、ジークフリートは頻繁にエレンとコンタクトを取ろうと試みていた。

返事が来ないのに懲りずに手紙を渡してくるので、今朝渡された手紙だけは返事の内容に注意するようにとの連絡を共に、彼女に送ろうと考えていた矢先だった。

それがまさかエレンに会おうとして、あんな風に半ば強引にジークフリートが乗り込んで来るとは思っても見なかったのだ。

こんなことになるならば、もう少し早く、手紙の返事を出させていればよかったとふたりは後悔した。


「また、記憶をいじるんですか?」

「……悩んでいる」


ディルクは深く息を吐く。

ジークフリートはエレンの記憶に関わると、意図しないところまで記憶を失ってしまうことがある。

今回は、エレン本人が彼の生活と関わっているため、もしかするとジークフリートとしての記憶も欠落してしまうかもしれない。

ディルクにはそれが恐ろしかった。

もし、ジークフリートに「あなたは誰?」と聞かれたら、自分は果たして正気を保っていられるのだろうか?

この選択に迫られ、ディルクは改めて自分が残酷な願いを彼女にしたことを痛恨した。

彼女は、たったひとりでこの痛みを堪えているのだと思うと、頭を下げるだけでは償いきれない自責の念に駆られる。


「とにかく今は、彼女を取り戻すのが先です」

「ああ。首謀者は分かっているのか?」

「それはまだ。しかし、彼女の居場所は分かっています」


ウォーカーさんはこんな時もあろうかと、自分の位置を知らせる魔法陣を身体に刻んでいたのです、とレイスは付け加えた。


「身体に? そんなことをしていたのか?」

「ええ。彼女といると、むこうの大陸で一体どんな生活をしていたのかと、考えさせられることばかりです」


ディルクは森で倒れていたジークフリートのことを思い出す。

手や足には壊れた錠をはめ、服と体はボロボロ。

記憶を操作する魔法で彼から拾えた断片は、人と人が殺し合っている戦場で、それをこの小さな子どもが見ていたと思うと言葉にならなかった。

その世界で、エレンは13年という時をひとりで過ごしていたのだろうか。


「そうか——」

「はい。……あなたには、お教えしておきましょうか」


レイスは伝えるか迷ったが、こんな状況だ。

“最悪の事態” を想定し、彼は告げる。


「彼女は戦時中に負った傷のせいで、そう長くはないそうです」


ディルクは刮目した。

彼女は何も罪を犯していないというのに、そんなことが許されていいことなのだろうか。


「では、まさか、血を吐いたのは過労ではなく……」


レイスが無言で頷く。


「何ということだ」


ディルクは手で顔を覆った。

自分は、彼女から最後の希望すら奪い取ってしまったのだ。

決して許されることではない。

それなのに、彼女は「わかりました」と何一つ文句を言うこともなく、全てを抱え込んでジークフリートの前から消えた。


「レイス、わたしも何でもする。どうか彼女を……」

「はい」


ディルクはエレンの無事を祈るしかなかった。









ジークフリートは騎士団の塔にある自分の部屋に戻ると、痛む頭を抑えて、扉を背にずるずるとしゃがみ込んだ。

ムカムカして何かに当たりたい気分だ。

身体から沸沸と魔力が溢れてくるのが分かって、押さえ込もうと呼吸を整えてみるが、どうにも治らない。

このまま部屋にいては不味いと思った彼は、重い腰を浮かして人気のない場所を目指す。

塔を出て、外廊下を抜け、城門も越えて。

あてもなく歩いてたどり着いた先は、城下を一望できる見晴らしの良い高所。

こんな場所が帝国にまだあったのかと、呆気にとられていたが、奥に誰かいる。

先約がいたみたいだ。

小さな少女の背中が見えた。

気になって彼女に歩み寄ると、またあの甘い匂いがする。

彼は驚いてその少女が食べているものに目を凝らした。


「お前、それ……」


声をかけられ、クロリアはびくりと肩を揺らした。

口いっぱいにアップルパイを頬張ったまま、彼女はジークフリートに振り返る。

その瞳を見たジークフリートは、瞬く。

綺麗な赤い目だ。

彼女はもぐもぐ口を動かして、やっとの思いでそれを飲み込むと、


「ご、ごめんなさい。すぐにどきます」


怯えた様子で片付け始める。

アップルパイを食べていた少女に偶然会っただけなのに、気にしすぎだと思ったジークフリートは自分に溜息を吐く。


「気にするな。ここにいろ。俺は城に戻る」


クロリアは「城」と聞いてハッとした。

よく見てみると、彼は騎士の制服を着ているではないか。


「ま、まって! エレンお姉ちゃんのこと知ってる?」


次はジークフリートがハッと彼女を振り返った。


「あいつを知ってるのか?」


疑問を疑問で返したが、クロリアにはそれで十分だった。


「あのっ。これをエレンお姉ちゃんにわたしてもらえませんか!」


彼女は包装しておいたアップルパイの入った紙袋をジークフリートに向かって突き出す。


「……」


彼は少し迷ったあと、ゆっくりそれを手にした。

袋からは抑えきれない甘い匂いが漂う。

それまで苛立っていた感情が、すうっとどこかに消えていく。

ジークフリートはひとつ呼吸を整えた。


「これ、どうしたんだ?」


彼はクロリアと目線を合わせる。

先ほどまでとは打って変わって、優しい表情だった。

普段、飄々としているジークフリートにはとても珍しい。きっと同僚たちは今の彼を見れば驚くに違いなかった。


「エレンお姉ちゃんに教えてもらったレシピでつくったの!」


クロリアは安心した様子で答える。


「そうか。そっちは?」


誰が設けたのかもわからない木のベンチに置かれているもうひとつのパイに、ジークフリートは視線を移す。


「そ、そっちは失敗しちゃって。こげてないところだけ食べてたの」


でも、それは上手にできたんだよ!とクロリアは渡した袋を指差した。

彼女は毎週、エレンとここで顔を合わせていた。今日も約束の日だったので、一生懸命教えてもらったアップルパイを作って、いつも通りここで待っていたのだがエレンが現れず落胆していたところだった。


「エレンお姉ちゃん、どうかしたの?」


クロリアは心配そうに尋ねる。


「今、ちょっと忙しいんだ」


本当は拐われているが、本当のことを伝えるわけにはいかない。

彼はクロリアの頭を優しく撫でる。

クロリアはそれにキョトンとした。


「お兄さんも、あたしの目、気持ち悪くないの?」


こんな風に頭を撫でられたことは、親とエレン以外に無い。

彼女は目を丸くして、こてんと頭を横に倒した。


「何で? 綺麗な赤だろ」


その答えに、クロリアは頬がまん丸になるくらい口角を上げて目尻を下げる。

エレン以外にもそう言ってくれる人がいて、彼女はとても嬉しかったのだ。


「へへへ。ありがとう、お兄さん。エレンお姉ちゃんもね、あたしの目はきれいって言ってくれたんだよ」

「へぇ?」

「それでね。お姉ちゃんのすみれ色の目もきれいって前に言ったらね。私もむかしはこの目が嫌いになりそうだったんだよって。でも、きれいだってほめてくれる人がいたから、エレンお姉ちゃんもすごく嬉しかったんだって!」


クロリアの屈託のない笑みに、ジークフリートもつられて口角が上がる。


「そうか。彼女とは、ここで会うつもりだったのか?」

「うん。ずっと待ってたんだけど、お姉ちゃん、来なかったの……」


しょんぼりするクロリアを見て、彼は立ち上がるとベンチに座った。


「これ、食べてもいいか?」

「えっ、うん。でも、それ、あんまりおいしくないかも」


広げたままのパイをジークフリートはひと口。

確かに少しカスタードが緩かったり、林檎が煮詰められ過ぎていたりするが、食べられないことはない。

クロリアがそわそわ様子を伺っているので、彼は笑った。


「まだまだだな」

「そうだよねえ。エレンお姉ちゃんのアップルパイには勝てないよ。あれ、びっくりするくらい優しい味がしておいしいもん。

でもね、あたし、お姉ちゃんと約束したの」

「約束?」


クロリアは大きく縦に首を振る。


「うん。このアップルパイをちゃんと作れるようになって、あ。他のおかしも作れるようになったらね、お菓子屋さんを開くの!」

「それが約束?」

「うーん。それも、約束のなかに入ってるんだよ。エレンお姉ちゃんの大切な人も、このアップルパイが好きなはずだから、お姉ちゃんがいない時にもその人がアップルパイを食べられるように、あたしが代わりにつくってあげるの! これが約束!」


あたしもエレンお姉ちゃんのアップルパイ、大好きだから、絶対にお菓子屋さんになるんだ!と言うクロリアの言葉が、ジークフリートの耳を抜けていく。

風が吹いて背後の雑木林がざわざわ揺れるのと一緒に、彼の心も騒めいた。


「その人のこと、もっと他に何か言ってなかったか」

「え? うーーん……」


クロリアは腕を組んで唸る。

ジークフリートは、今ならすぐそこにある何かを掴めそうだった。

「あっ!」と彼女が思いついた表情になり、彼は固唾を飲む。



「“たったひとりの大事な家族” って言ってた!」



それまで厚い雲に覆われて見えなかった太陽が、ここぞとばかりに光を差した。

『私だよ、セオ。迷いの森でババ様と一緒に暮らしてたエレンだよ』

今になって、一番初めに会った書庫で言われた言葉が一言一句違えることなく明瞭に蘇る。


ジークフリートは息を飲み、呼吸を忘れ、みるみる目を見開き、口元に手を置いた。


アップルパイの甘い、懐かしい、幸せな香りが、仕舞い込まれた美しい記憶たちを導く。

森の中、歳を感じさせない活発な白髪のババロアとその使い魔トト。それに物心ついた時からずっと一緒だったエレンと過ごした日々が、溢れて止まらない。



「————エレンッ」



彼はついにベンチから立ち上がった。

全てを思い出した訳ではない。

相変わらず、記憶を失うキッカケについてジークフリートは忘れたままだ。

しかし、今の彼には、自分に大切な人たちがいたという事実を思い出すだけで一杯いっぱいだった。

拐われたエレン・ウォーカーこそ、紛れもなくあの “エレン” なのだから。


「お、お兄さん?」


ジークフリートの様子に、クロリアは呆気にとられたが、幼いながら彼を引き留めてはいけないことを察する。


「エレンお姉ちゃんにアップルパイ、わたしてね」

「——ああ、必ず」


堅く頷くと、ジークフリートは一度も振り返ることはせず、城に向かって走り出した———。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る