まつりの夜には空を見上げて

凍日

花火は打ち上げられているか

 よし。

 高校生としては若干濃いめのメイクだが、狙って演出した濃さである。

 久しぶりだけど、悪くない。

 結花ゆいかは満足げにコンパクトをたたむと、スマホで時間を確認した。

 予定時刻から若干遅れて、りくが顔を見せた。


「急だな」


 呼び出された陸は戸惑い半分、呆れ半分の表情だ。


「だってヒマだし?」


「暇つぶしかよ……」


「陸だってそうでしょ」


「まあ、そうだけどさ」


「じゃ、いいじゃん」


「で、なに? 俺は彼氏役?」


「はぁ? ふざけろし」結花はやれやれ、という風に肩をすくめる。「一緒に夏祭りに行く相手もいなくてむなしく泣いていたところ、慈悲深い幼なじみ様にお声がけいただいて舞い上がってるボッチ童貞の役」


「言いたい放題だな……」


 けらけらと笑う結花を陸は、「はいはい」とあしらう。

 

「でもちゃんと着てくれてんのね、浴衣」


 陸の姿を、半ば素直に感心して見る。


「これな。着付けに慣れなくて苦労した」


「しわくちゃだけど」


「あわてて押し入れから出してきたからな。樟脳くさい」


「どれどれ」


 鼻をひくつかせ、眉をしかめた結花の変顔に、陸は吹き出した。


「面白い顔になってるぞ」


「最低」


「ってか結花、ちゃんとメイクしてんだな」


「当たり前でしょ? こういうのは雰囲気よ、雰囲気」


「浴衣もなかなか」


「いいでしょ。去年と同じやつだけどね」


 結花は時計を見るそぶりをすると、「花火が上がるまで、あと一時間!」と高らか

に宣言した。


「そうか、花火が上がるまで、あと一時間か。んじゃまず、お参りしてこようか」


「いいね、お参り。ほら、並ぶよ」


「おう。思ったよりは混んでないな」


「ラッキー」


「しかし人だらけだな」


「どっちよ? 混んでるの、混んでないの」


「混んでるけど、行列はそんなに並んでないってことだよ」


「なーる。あ、立って立って、座りこんじゃダメでしょ」


「お、おう?」


 陸は慌てて立ち上がる。思い出したように、「日が沈んでも、夜は蒸し暑いよな」と言った。


「え、部屋、冷房つけてないの?」


「いや、つけてるけどさ。そうじゃなくて、これ」


 陸は背後から、うちわを取り出す。


「これがないと、夏祭りって感じがしないだろ」


「用意がいいじゃん。私も」


 結花も背後から、うちわを取り出す。


「なんだよ、結花こそ準備がいいじゃん」


「これがないと、夏祭りって感じがしないからね」


「だな」


 二人して笑う。

 

「腹減ったな。焼きそばでいいか?」


「いいよ。もともとそのつもりだったしね。あーなんか私もお腹すいた。もう今食べたい」


「列は……まだ時間かかりそうだな。じゃ、俺、ちょっくら買ってくるわ」


 5分ほどして陸が戻ってきた。


「お待たせ。ほい、屋台の焼きそば」


「サンキュー」


「……って、もう食ってるし!」


「お先にいただいてまーす」


 すでに結花は自分用の焼きそばを確保していた。

 

「お参りの列はどうなってるんだよ。焼きそば買いに行ってる間に抜かされなかったのか?」


「前後の優しい老夫婦に席取りしてもらってたから。大丈夫」


「そりゃ、前後の優しい老夫婦に感謝しないといけないな。どうもありがとうございます」


「ホントにすみませんねぇ。えー、彼氏? コレ、違いますよ、彼氏じゃないですよー」


「ベタだな」


「ただの知り合い……あっ、ただの下僕ですよ、下僕」


「下僕ではない」


 陸は首を横に振る。

 

「うーん、ジャンクな味がする」「このジャンクさがたまらない」などと言いながら、二人は焼きそばをすすった。


「さて、食べ終わったらうまい具合に最前列に来たぞ」


「まるで狙ったかのようなタイミングじゃん。てか、参拝列、めちゃくちゃ長かったんじゃね」


「実際に並んでみないとわからんもんだな」


「私らの目、節穴すぎでしょ」


「それはそうと、今俺たちの目の前には賽銭箱と、ガランガラン鳴らすでっかい鈴みたいなのがあるわけだが……結花、ここ、神社だったっけ、寺だったっけ?」


「神社。最初に鳥居くぐったじゃん」


「あー、そうだった、そうだった。じゃあ、神社だから……一泊二日の……?」


「温泉旅行、じゃないから。二礼二拍手一礼」


 ぎこちない動きでお辞儀を終えると、結花が、


「次、おみくじ引こうよ」と誘い、「お、いいな」と陸も賛同した。


 各自おみくじを調達したことを確認すると、結花は頷いた。


「よりきちが高かった方が勝ちね」


「『吉が高い』って、どんな言い回しだよ。でもいいぜ。望むところだ」


「行くよ。それじゃ……いっせーのーで!」


「どん!」


 勢いよく開かれた二つの紙切れには、「超吉」と「極吉」の文字が踊っている。


「私の勝ち」


 結花は手元の「極吉」を見せびらかす。


「理屈を説明してくれ」


「『超吉』は、吉を超えてるだけだけど、『極吉』は吉を極めてるから」


「確かに。そう聞くと、超吉よりも極吉の方が強そうだ。……負けた! 俺の負け」


「うっしゃ!」


 なんてことをやっているとバカバカしくなり、二人そろって吹き出した。


「花火までは、あともうちょっとあるな。他にもなんか見て回っとく?」


「そうね、お店冷やかしていこうか」


「夏祭りの夜店と言えば、リンゴ飴とかどう?」


「なになに、陸、リンゴ飴食べたいの?」


「いや別に?」


「食べたいって言って!」


「な、なに?」


「ほら、言って!」


「……あー、俺、リンゴ飴食べたいなー。ほらあそこの屋台の、ツヤのいい……」


「はい、あーん!」


 結花は懐から飴玉を取り出すと、包みを解いて突き出した。


「それはリンゴ飴じゃなくて、ただのリンゴ味の飴だろ!」


「リンゴ飴でぇーっす!」


「いらねー!」


 結花はポイッと飴玉を口に放り込む。途端、真顔になった。


「スースーする。のど飴だった」


「リンゴ飴じゃなくて、リンゴのど飴じゃん」


「なにそれ!」

 

 何がそんなに面白いのか、結花はゲラゲラと笑い転げる。


「結花、スーパーボールすくい好きだったよな」


「うん」結花は頷く。「でももう時間ないでしょ」


「そうだな。そろそろ移動するか。場所取りは?」


「バッチリ。任せといて」


「そりゃ頼もしい」




 そして二人は夜空を見上げた。


「見てるか」


「見てる」


「綺麗だな」


「うん。綺麗」


「花火は中止になっちゃたけど。……突然の土砂降りで」


「そうだな。突然の土砂降りで、花火は中止になった」


「だけど」


 ため息。


「月が、とっても綺麗」

 

 雲ひとつ無い澄んだ夜空には丸い月が、煌々と真珠色に輝いていた。

 むっとする外気を、その凜とした白光でもってきりりと滅却してみせている。

 ひかえめにそよぐ夜風も肌に優しく、結花は夏夜の心地よさを全身で感じていた。


「そういやさ」


 見上げながら言う。「『おてあらい』、忘れてたね」

 あ、と陸が声を漏らす。「そういやそうだ」


「よく忘れるんだよな。柄杓でやるやつ」


「そうだね。忘れちゃうよね。効果あるかどうかよくわかんないし。……でも」


「でも?」


「もっと前からみんなが『おてあらい』しとけば、今日の花火は打ち上げられたのかな」


「……さあな」


「眠くなっちゃった」


 ふぁ、と小さくあくびをする。


「ちょっと横になっていい?」


「好きにしろ」


「家、今日私だけなんだ」


「だからどうした」


「ひどい」


「いやひどくないだろ」


「ひどいよ」


「……俺も寝ればいいのか?」


「うん」


「一人で寝られないのかよ」


「寂しいじゃん」


「食ってすぐ寝ると太るぞ」


「起きてすぐ動くと痩せるからいいの」


「やれやれ」陸は頭をかく。「一泊二日になっちまった」




「その毛布、暑くないか」


 薄手のタオルケットに身を包み、陸は結花に語りかける。


「いいの。クーラー効かせてあったかい毛布をかぶるのが、私のスタイルなの」


 うつむく。


「学校、いつになったら始まるんだろうね」


 春先から世界的に流行している新型コロナウィルスが生活にあたえた影響は、人々が当初予想した以上に大きかった。緊急事態宣言は夏に至るまで解除されず、学校教育の現場では対面の授業がついに実現しなかった。秋入学に移行する案が国会で議論されたが二転三転し、少なくとも今年中には実現しそうにないままだ。結花たちの学校も、なし崩し的にオンラインでの授業を続けている。


 不透明な先行きに多くの人々が不安を抱えている。不安な人々の中にはもちろん高校生も含まれており、結花も一人の高校生に過ぎない。そして結花は決して強い少女ではないことも、幼なじみの陸は知っている。


「つまんない」


 ぽつり。唇の隙間から弱音がこぼれる。


「遊びたい。海に行きたい。旅行に行きたい。カラオケしたい。つらい。苦しい。しんどい。むかつく」


 吐息。


「早くみんなに会いたいよ」


「……そうだな」


 顔を伏せる結花に、陸は静かに寄り添った。




 夜中、結花は目を覚ました。カーテンを閉め忘れた窓からは、月の光が差し込んでいる。

 薄闇の中、枕元でスマホのディスプレイが淡く光っている。時刻は夜の十二時を回ったところ。日付が変わっている。

 



 

 2020年7月某日。

 結花や陸が暮らす土地では、新型コロナウィルスの感染拡大を予防するため、夏祭りは中止になった。当然花火が打ち上げられることもなかった。

 昨日は、例年ならば夏祭りが行われるはずの日だった。



 

 寝る前に陸としていた、ビデオ通話アプリを介した会話を思い出し、結花は頬をかいた。

 私、また先に寝ちゃったか。

 外出を自粛し始めてから、二人の間ではこうした遊びがときおり行われていた。

 カラオケに行ったていで、旅行に行った体で、アイドルのライブに出かけた体で。

 口先ひとつで設定がころころ変わる、アドリブ満載の即興演劇。

 外出自粛の鬱憤がたまると、こうして結花は不安定な気持ちを解消していた。

 そして昨日は、夏祭り。

 浴衣の袖に、化粧の跡が付いている。画面映えするための、濃いめのメイク。

 ぷん、とソースの匂いがした。机の上には、カップ焼きそばの残骸と、白いうちわ。飴玉の包み紙。メモ用紙に「極吉」と書いた、自作のおみくじ。

 

「付き合ってくれて、ありがとう」


画面の寝顔に小声で礼を告げ、ピ、と結花はアプリを閉じた。

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まつりの夜には空を見上げて 凍日 @stay_hungry

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