第4話 夜の海


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 「彼女は強いね。とても強い。一人で立ち上がれるのは強者の特権だ。」

 「いや?彼女は弱いと僕は思うよ。僕は人間らしからぬと思うからね。」

 「ふむ、確かに彼女は人間らしくない。かかわる人の数が少なすぎるから、それは至極当然だ。彼女が生きているのは奇跡といっていい。」

 「だから美しくて弱いと僕は思うんだ。列星からはずれた星は大抵短命なのさ。」

 「君はロマンチストだね。でも彼女は比喩で納まる器ではないと思うけど?」


 暗い空間で、二つの意志が話し合っていた。

 実はこれは初めてのことだ。彼ら自身、初対面なのだが、お互いに誰かはわかっており、そして話す話題といえば一つしかない。

 こうして話し合っているのだが、どうにも二つはかみ合わないようだ。先ほどから平行線のような会話を交わしている。ただ彼らの間に悪感情は存在せず、どこか楽しそうでさえある。


 「あなたたち、その辺にしときなさい。」


 そこに3つ目の意志が割り込んできた。彼女が今日の夜の使いだ。


 「大体その話って、お互いに利がある?いくら時間が無限にあるとは言え、その問答は不毛よ。もっと生産的なことを話しなさいな。」

 「いや、これは失礼。交わらない会話とは初めてでね、つい熱中してしまったようだ。」と鈍色の意志。

 「彼女に対する認識をほかの意志から聞くのは初めてでね。新鮮だったよ。」と返す白色の意志。


 「はぁ、あなたたちって似た者同士なのかしら。まぁいいわ。今日は私もようやく話せるからね。ちょっとは楽しみにしてるのよ。まだあなたたちの記憶を見てないからね、というか覗くより結局話したほうが早い気もするしね。」

 黄色のような橙のような光を放つ意志は、そういい、夢の世界へと飛んで行った。


 「彼女は何を見せるのかな?」

 「それはちょっと僕も気になるね、僕が見せたものはそれなりに自信があるから、それをかき消すほどの物か興味がある。」

 「まぁ、待つとしようじゃあないか。僕らにとっては一瞬のことさ。」

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 連日夢に遭うともなればさすがに慣れてきた。2度あることは3度あるという法則は昔からあるらしいがどうにも不思議な気分だ。


 今日は3番目、寅である。


 扉をあけると、さわやかな風が肌を撫でる。鼻腔をくすぐるかすかな潮の香、耳朶を打つのは潮騒。

 眼前の光景はやはりどこか異世界の風景じみている。夢というのは記憶を断片的につなげたものと言われているが、私は少なくともこの光景をみた記憶はないし、今までのこれらの夢もしかりだ。

 空の色は不思議な混ざり方をしていた。藍のように来い青なのであろうとも、どこか朝日のような赤が見てとれるのである。

 眼前に広がる闇は屋敷の外の明るさになれた目では少し見えにくい。


 サク、サクと砂を踏み、海の方へ歩いていくと、遠くからではわからなかった影が見える。

 この暗さに慣れてきたとはいえ、私の目にわかったのは、それが2mを越す巨体ということである。

 その影は横たわって海を眺めていた。こちらには気づいているのだろうが、顔を向ける様子はない。ほどなく影の真横に着いた。


 ちらと見やれば、近くに来てかろうじて見える顔は猛々しいが雰囲気は穏やかだ。

 肉食獣をここまで間近で見たことはないのだが、先ほど感じたようにそこには威圧感がある。ネコ科の切れるような瞳は、この暗さでもはっきりと光を持っているように感じる。

 正面はすぐ3歩も行けば水際に足が降れるだろう。押し寄せ、また引いていく水の音を聞くと、不思議とこの夢に対する不満も薄れていく。

 どうなのだろうか、実際に私はこの夢に辟易としているのだろうか。それは自分の創造の埒外にある光景が連続していることから、常識では確かに人間を疲れさせる出来事なのだろう。もし、それに引きずられているとして。自分は、どうなのだろうか。


 そんなことを考えて、ただ眼前に広がる見えない海を思い浮かべていると、

「ここの風景は気に入ってくれた?」と女性の声が影から発せられた。

 左を見れば、目が合う。金色にほんのりと光る眼は不気味にとられる類の物だが、不思議と私は恐れや怖れを感じることはなく、

「考え事をするにはちょうどいいかも。」と、返していた。


「話すのが苦手ってわけじゃないのね。でも、もっといい楽しみ方をしてほしいわ。」

 少し不満げにそう影は返す。

 だが、そこまで気にしていないようであった。

「この時間に海に行ったことなんてないから、本当は違うのかもしれないけれど、あの見えない水平線と、こうして聞こえる潮騒は、とてもいいモノだと思うの。」

「わかってるじゃない。それは考え事なんかせずに体目いっぱいで感じてほしいんだけどね……。ま、ひとそれぞれかな、うん。」

「ごめんなさい。あんまり考えなかったことがなくて、その、感じるっていうのがわからないの。」

「謝らなくていーの。別にそれがいけないことだとは思ってないわ。私ね、あなたとずっと話してみたかったのよ。まぁ、話せるようになるまでこんなに時間がかかっちゃったけどね。」


 声はずいぶんと楽しそうだった。本当に私と話すのがたのしみだったのだろう。

「私があなたと話して楽しませられるかはわからないけど……。それでも、よければ。」

 そう自信なさげに返すと、

「もちろん!」と、明るい声がする。(おそらく)彼女は、笑っているようなきがした。


 気づけば、少し空が明るみ始めていた。日の出前にも空は明るくなるのだと、今日のこの夢で知った。

「あなたは、毎日ここにいるの?」

「んー、少し違うかしらね。私はここに確かにいるけれど、あなたがいないときは、そうね、眠っているんじゃないかしら。」

「ずいぶん曖昧な答えだね。」

「そうね、曖昧かも。」

 笑みがこぼれたようにそうごちる。

 その輪郭を少しずつ明るくなる空の淡い光が照らす。

 ほんの少し、空が明るくなっただけで見違えるほど景色が鮮明になる。

 穏やかな雰囲気をまとう虎が、体を横たえ海を見ていた。


「この夢で朝を迎えたのは初めてかな。いつもは暗いままで終わってしまったもの。でも何となくあなたが虎っていうのはわかってたけど、初めて見て意外と大きいんだなって。……そう、思ったわ。」

 そうするりとでるはずだった言葉はなんだか気恥ずかしいように思えて、すこし語尾が下がった。

「あら、この体も意外と小さいのよ?この砂浜と海の広さにはあなたも私もちっぽけだわ。月並みな返し方だけどね。」

 気にしたふうもなくどこか照れ臭いかのように彼女はそう返した。


 そんな他愛ない会話をぽつぽつと紡いでいく。お互いに口を開かない時間も長かったような気がするが、それも苦ではなく、むしろ心地よかった。

 このゆったりとした心地よさは、久しぶりに感じたような気がする。満ち引きする潮騒の音、徐々にゆっくりと黒がはがれるこの景色、それらがすべてかみ合ってこの心地よさを作るのだろうか。

 水平線が赤く染められていく。そろそろ日の出だ。

「もう終わりが近いかしら。」

「どうしてそう思うの?」

「大分話してるし、もう日の出の時間だし、いつもならもっと早い時間に目が覚めるのよ。」

「ここはあなたの世界と必ず同じ時間にいるわけじゃないわ。あなたが醒めるまで、この夢は続くのよ。」

「じゃあ、ずっとここにいたいと思えば。……いえ、何でもないわ。」

「ふふ。そう思ってくれるのはあたしもうれしい。でもね、ずっと心地いいところにいてはだめ。きれいなものにしか触れないのも、あなたにとってはよくないわ。」

 そうなだめるような口調で言いながら、ゆっくりと彼女は体を起こす。

 私は座ったまま、

「どうして?」

 と聞いた。


 腰を下ろしている私の目からは、やはり彼女はおおきい。彼女は近づいて前足を上げると、ぽん、と優しい手つき(これは前足だから、足つき、と思うべきか、とあまり意味のない問いが私の中で一瞬だけ浮かび上がった)で頭を撫でられた。

 やや硬くて、でも柔らかい感触が髪越しに伝わる。

「あなたはわかってるはず。この夢はあなたの物だから。本当の望み、そうね、それはだれもすぐにわかったりしないし、見つけるのも難しい。逆にふとした時に見つけちゃって戸惑ったり。自分のことでもわからないものよ。」

 伝わる暖かさに目を細めた。この感触を感じたのはいつぶりだろうか。いや、そもそもこうして触れ合うこと自体が久しぶりな気がする。

「じゃあ今思ってることは、すっと出てきたこの気持ちは偽物?」

 自分でも何となくわかってる問いを、投げかける。まるですねた子供だ。いやまさにそうだろう。

 仕方なさそうな顔をして、彼女は少し前に歩き海に足を踏み入れた。

 ようやく差し込み始めた日の光が輪郭を取る。

 そして振り返り、

「いいえ、それも本物よ。でもね、本当であっても、それをあなたは本当に望んでいるの?まるで禅問答だけれど。」

 確かに禅問答だ。私は立ち上がり海に入り彼女と並ぶ。そして向き合って、

「ううん。違うわ。だって私が生きているのはここじゃないもの。どっちの気持ちも本物だけど、ここには私はきっとお邪魔しているだけだもの。」


 そう出した答えに満足げにうなずいた彼女は、

「ん。よくできました。」

 と、満面の笑みを返した。


「じゃあ、ごほうびを上げなくっちゃね。魔法を教えてあげる。」

「魔法?」

「えぇ。魔法。」

 唐突に不思議な展開になってしまい少しついていけない。

「なんだか何かわからないって顔してる。」

「誰だって魔法って言われたらこんな顔をすると思うのだけれど……。」

「まぁ何事も実践あるのみ!!お姉さんが魔法使いにしてあげる!!」

 おどけたような口調で、彼女はそういうのだった。

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真夜中の邂逅 グース @BbeaR

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