第5話 虚構の終焉

 私は目を覚ました。

 ここが何処どこか一瞬わからなかったが、直ぐに思い出す。電車だ。私は電車に乗っていた。車両の中央の座席の中央に座っていた。私の他、乗客は誰もいなかった。車窓は酷く曇っており、進行に合わせて景色が流れていることはわかったが、窓の向こうが街並みか草原かもわからなかった。

 電車は非常に優れた移動手段で、こうして私がぼうっと座っている間にも線路を走り続け目的地へと運んでくれる。時折駅で停車することもあるが、その前後を除けば大抵一定の速度で進んでいく。

 景色を映さない車窓を眺めているうちに欠伸あくびが漏れる。どうやらまだ寝惚ねぼけているようだ。立ち上がって路線図を確認してみると、駅名は全て耳原だった。私はしばらく路線図を眺めていたが、やがて座席に戻った。そうして振動に揺られていると段々と眠くなってきたので、そっと目を閉じる。

 私は目を覚ました。

 ここが何処か一瞬わからなかったが、直ぐに思い出す。私は四角い部屋の中にいた。私を囲う壁面はかつて曇りない純白であったが、今や年月によってすっかり薄汚れている。なんとなく気になって薄汚れを落とそうと手で拭ってみたものの、壁面がより一層汚れる結果に終わった。壁面がかつての美しさを取り戻すことは無いのだと、私は悟った。

 この部屋には窓も扉も無い。どうやってこの部屋に入ったのか全く記憶に無かった。考えてみれば不思議なことだが、然程興味は無かった。どうやってこの部屋を出るのかも然程興味は無かった。

 四角い部屋の中、私は独りだった。しかし時折部屋の外から何かが聞こえた。聞こえるような気がした。私は壁面に耳を押し付け音の正体を確かめようとした。誰かの声のようでもあったし、川のせせらぎのようでもあった。もう一度確かめようとすると自動車の駆動音のようでもあったし、管弦楽器による葬送曲のようでもあった。

 私は部屋の外にいるかもしれない何かに対して挨拶をしたり讃えたり罵ったりしてみた。稀に応答しているような音もあったがそうでないものもあり、総じて考えてみると、部屋の外に誰かがいて、私とコミュニケーションを取ることに成功しているとは言えなかった。四角い部屋の中、私は独りだった。部屋の中心で私は体育座りをし、立てた膝に顎を乗せる。そうして幻聴とも知れぬ雑音をなんとなしに聞いてると段々と眠くなってきたので、そっと目を閉じる。

 私は目を覚ました。

 ここが何処か一瞬わからなかったが、直ぐに思い出す。私は鏡の前に立っていた。鏡は私の全身を映して余りある大きさを誇っている。もしかしたら高級なものなのかもしれないが、工場生産の安物だと言われるとそれはそれで信じてしまいそうだった。

「こんにちは」

「こんにちは」

 私が手を上げて挨拶してみると、鏡像も同じように手を上げて挨拶を返した。

「私は耳原耳原、よろしくね」

「よろしくね、私は耳原耳原」

「私は耳原耳原、よろしくね」

「よろしくね、私は耳原耳原」

「私は耳原耳原、よろしくね」

「よろしくね、私は耳原耳原」

 私達は円満なコミュニケーションを取ることに成功した。

「私は幸せになりたいんだよね」

「どうなれば幸せかろくにわかってないんだよね」

「他人が上手く理解出来なくて、同じ人間だなんて信じられないよ」

「自分が人間だなんて信じられなくて、まるで泥人形みたいだよ」

「だから人を殺してみたくなるんだ、たまにね」

「いつも願っている、誰か殺してくれと」

「人を殺せば幸せになれるかな」

「殺されてしまえばきっと幸福かな」

 私は笑った。鏡像は泣いた。どうしてそうなったのかさっぱりわからなかったが、きっとそれは間違いではなかった。泣き笑いになった表情をやり直すため、そっと目を閉じる。

 私は目を覚ました。

 ここが何処かわからなかったが、そんなことどうでも良かった。私は立っていたので歩いてみた。茫洋ぼうようとしていたが歩くことは出来た。やがて疲れてきたので座った。地べたに座りこんだのかもしれないし、ベンチに座れたのかもしれないが大差なかった。

「ねえ」

「何」

 私が尋ねると短く返事が戻ってくる。

「人を殺せば幸せになれるかな」

「なれるよ」

「どのくらい幸せになれるかな」

「耳原くらい」

「貴女の名前は」

「耳原耳原」

「私の名前は」

「耳原耳原」

 私は頷いた。そして自分の中にある情動を確かめた後、いとも容易く殺人鬼となって耳原を殺した。殺したら死ぬ。当たり前のことだ。私は死んだ。

 そして私は目を覚ました。

 ここが何処かなんてわかりきっていた。現実だ。私はきちんと目を覚ましたふりをする。たとえこれで物語ることが終わろうと、どうせここが現実だった。

 

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人を殺せば幸せになれる ささやか @sasayaka

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