第99話◇元英雄で、今はヒモ
魔王軍のヒモに戻ってから、俺の生活は平穏を取り戻した。
まず、朝目覚めるのはふかふかのベッドの上。慣れたが、いまだに天蓋がついている意味がわからない。
かつては世界中を転々とし野宿も珍しくなかったが、今ではそんな英雄時代は遠い過去のように感じられるから不思議だ。
安心して眠れる環境が身体に馴染んだ、ということか。
「おはよう、レイン」
人間状態の聖剣ミカが、俺の頬を指でつんつんしている。
毎夜ではないが、ミカは子供達に混ざって布団に潜り込むようになった。
「起きたか、ヒモのレインよ」
白狐は、今日は小さな狐状態だった。
ミカほどではないが、最近はよく人間化して子供達と遊んだりしている。
「おはよう、ミカ、白狐さま」
挨拶を終えると、ちょうどそのタイミングでドアがノックされる。
「お目覚めですか、勇者さま」
「うん、起きてるよ」
美しい黒髪の魔人メイド、フェリスが静かに部屋に入ってくる。
「おはよう、フェリス」
彼女とも挨拶を交わす。
その後、俺達は子供達を起こし、着替えを済ませてから食堂へ。
食堂には、白銀の長髪が輝かしい、凛々しき魔人の魔法剣士が待っていた。
彼女は立ち上がり、俺の方までやってくると、ぱんぱんに金貨が詰まった革袋を差し出す。
「受け取っていただけますか……? 本日分の『おこづかい』です」
笑う彼女に、俺も微笑みを返す。
「うん、ありがとう。エレノア」
「はい……!」
『神』召喚による異変は、あの場にいた者達の胸の中にしまっておくことになった。
人類が滅びかけました、なんて正直に伝えて不安を煽る必要はあるまい。
ただ、魔族が儀式に命を捧げて倒れる場面を目撃した者もいるので、そのあたりは【軍神】が上手いこと誤魔化した。
より上位の魔族を召喚するために自らを生贄に捧げた、と説明。
事実だが、その脅威を『王』や『将』クラスと偽ったわけだ。
戦場は混沌としていたので、出現した上位の魔族も援軍である英雄や七乙女たちが倒してくれた、と説明されればみんな納得する。
女神を召喚した男に関して、【賢者】アルケミ、『稀代の魔道技師モナナ』、『幻惑の魔女メイジ』が調査を進め、無数の魔道具を発見。
それらが、今回の戦場全てを儀式の場として機能させる役割を担っていたようだ。
また同じことが起きぬよう、引き続き研究を進めるとのこと。
今回の件で、凄まじい数の魔族が命を落とした。
その中には、『王』クラスなど強い個体も沢山いた。
魔界が広いとはいえ、悪しき魔族の数も無限ではない。
人類領を襲う魔族の数は極端に減り、一時的な平和が訪れた。
最近では【聖女】マリーだけでなく、【魔弾のシュツ】やアルケミも遊びに来るくらいなので、六英雄の過酷な任務にも少しは余裕が出来てきたのだろう。
俺は、これからも【勇者】の紋章を持った人間だ。
それは変わらない。
しかし同時に、魔王軍のヒモであることも変わらない。
英雄兼ヒモの生活は、今日も続く――。
「おこづかいなんて甘いですねぇ、エレノアちゃん。思春期男子というものをまるで分かっていません」
食堂にメイジが現れた。
「貴女、呼んでいないんですけど」
エレノアの指摘をメイジは無視した。
「年上のお姉さんが少年心を掴むのに、金貨なんて要りません。勇者様? わたくしからはこれをお贈りいたしますね? 受け取っていただけますか?」
メイジに渡されたものを咄嗟に受け取ってしまう。
丸められた布だ。なんだかほんのり温かい。
いや、これは単なる布ではなく、女性ものの下着――。
「脱ぎたてですよ」
耳許でメイジが囁いた。
エレノアがすぐさまメイジの下着に触れると、それが『空間転移』でどこかに消える。
「ちょっとエレノアちゃん。勇者様のお宝をどこに飛ばしたんですか?」
「この淫乱魔女! 馬鹿な真似はよしてください! それにあれのどこがお宝ですか!」
「きっと今頃わたくしのパンツを拾ったどこかの少年が、悶々としているでしょうね」
「野ざらしのまま朽ちていくんじゃないですか?」
「勇者様、落ち込まないでくださいまし。また後ほどお持ちしますね」
「次は貴女本人を深海の底に飛ばしますよ?」
「わたくしなら戻ってこれますし」
「くっ、なんて厄介な……!」
この最強の魔法使いには、脅しが通用しないのだった。
いや、例外が三人ほどいる。
メイジにとって『魔法で自分を上回る者』として、俺と【賢者】アルケミとあと――。
「レイン。これ、レインに、迷惑? 消す?」
「おっとぉ……さすがに女神様が現れると分が悪いですねぇ……」
その人物が現れたことで、メイジが額に汗を掻くのがわかった。
そう。女神は生きているのである。
生きているし、何故か俺を抱き上げている。
服のように展開された黒い何かは、見た目のイメージほど固くはない。ぷにぷにした感触だ。
そして彼女の身体は、とても柔らく、甘露みたいな香りがする。
「消しちゃだめだ。ティア」
名前までつけてしまった。
だって、ずっと女神と呼ぶのもあれだし、本人は名前なんてないというし……。
「だめ。消すだめ。わかった……」
こころなしかしょんぼりした声を出す女神。
「ちょっとあんた……レインはこれからご飯なのよ、下ろしなさい」
「そ、そうです。神だろうがなんだろうが、レインさまの邪魔をするなど許せません」
ミカとエレノアは一瞬怯みつつも、果敢に食ってかかる。
「問題、ない。レインが、レインは? このまま、ご飯、食す。食べる」
顛末を語るには、『万有属性』の話からする必要があるだろう。
俺達が立っている普通の世界には、無数の『透明の紙』が重ねられており、通常攻撃の効かない霊魂や夢魔といった奴らは、己の存在を透明な紙に置いている。
存在というのは、命と言い換えてもいいかもしれない。
紙が透明なので、透けて俺達の世界に立っているように見えるが、実際は異なる紙に描かれた生き物なので、こちらから相手の命には干渉できないのだ。
それを覆すのが、アルケミとメイジがそれぞれ独自に編み出した『万有属性』なのである。
女神ティアの恐ろしいところは、その『透明の紙』の遠さ、である。
霊魂が透明の紙一枚違いの存在だとすると、ティアは数万枚あるのだ。
だから、彼女に攻撃を当てようとすると、『万有属性』で数万枚の紙を乗り越えなければならない。
これにまず凄まじい魔力と、常識外の集中力が必要。
俺達はあの時、その両方をなんとか揃えて、彼女を斬った。
今のティアは、魔族の中でこそ圧倒的だが、あの日に比べるとかなり弱体化している。
逆に、彼女から剥がれた強さは全て、俺に吸収されている。
これは瘴気の中で敵を殺した時と同じ作用によるもの。
本来ならばティアも死んでいなければおかしいのだが……。
俺達は見落としていた。
『透明の紙』だろうがなんだろうが、紙には
流れはこんな感じだ。
第一に、ティアは最強。人生負けなし。何もかも退屈になるまでの間にとんでもない数の敵を屠り、そいつらの強さをゲット。
第二に、そいつらの強さイコール魂は、本来であればティアの魂に吸収される。だがティアの魂は『透明の紙』数万枚先にある。いかに魂といえど、即座に吸収とはいかない。
第三に、なんやかんやあってティアの魂に張り付いた、敗者たちの魂。だがどう頑張ってもティアの魂には届かず、彼女の紙の裏面にベチャッとくっつく形となった。
第四に、先日の俺達の一撃は、ギリギリ彼女の紙の表に届かず、裏面についた魂たちをこそぎ落としただけだった。それでも、その時のティアの強さの数割は奪えた。
というわけである。
今の俺であれば、今のティアを完全に殺すことも出来るだろう。
実際【軍神】からはそう指示が出た。
しかし、俺は『普通』を知らぬ彼女に、かつての俺を見てしまったのだ。
そうして、みんなに頼みこみ、彼女を魔王城で預かることにした。
何かあれば俺が倒すと約束して。
さすがにそれだけでは不安とのことだったので、アルケミによって使用魔法の大半が封じられ、モナナ印の魔力を吸収する腕輪足輪が四肢に嵌められている。
この結末をどう受け止めているのか分からないが、ティアは今のところ誰かを故意に傷つけたりはしない。
俺の言うことはある程度聞いてくれるので、もしかすると『より強い者に従う』という悪しき魔族の習性に従っているのだろうか。
でも、あれは瘴気に侵された魔族同士のみに見られるものだったので、やはり違うか。
どちらにしろ、ハラハラする言動はあるものの、ティアは新生活に馴染んでいた。
遊びと称して戦いたがったり、やけに俺にひっついたり、メイジなど俺を困惑させる存在に関しては冷たかったり、まだまだ『普通』には遠いかもしれないが。
少なくとも、ここのやつらは彼女を神と畏れて心理的距離をおくことはない。
そのことが、彼女の孤独を壊せるといいな、と俺は思った。
「よし、朝食にしよう」
俺を抱きしめているティアを諭して、普通に椅子で食べることに。
その後、魔王の娘ミュリと共にメイドのレジーとアズラがやってきて、一緒に朝食を摂った。
魔王の息子フリップに、久々に魔法学院に顔を出さないかと言われ、行くことに。
そこで講師のルートが俺を堂々と贔屓して他の生徒を呆れさせたり、フリップやジュラルと昼に学食に行くと何故か筆頭情報官のヴィヴィが居て、俺だけの特別メニューとして豪華なスイーツが出てきたりした。
帰りの馬車には四天王マッジが乗っていた。
彼女は今日から俺の護衛に配置換えしてもらったのだという。
魔王軍四天王が一食客の護衛というのはどうなのだろう……。ティア対策という面もあるのかもしれない。
マッジは満足そうだし、一人魔界に潜入する仕事よりは、俺としても安心だ。
女神の一件以来研究室に籠もっているモナナに、差し入れを持っていくことに。
すると研究室では、俺に似たぬいぐるみ達が何体も忙しなく動き、書類やら機材やらを運んでいた。
雪巨人の失敗から学び、改良に成功したようだ。
小さな助手達に囲まれるモナナに差し入れを渡し、しばらく話してから次の場所へ。
フローレンスと再会した、城下町の野外ステージだ。
そこには主催者であるフローレンスがいた。
羊の執事セリーヌも傍らに立っている。
フローレンスに誘われていた主演の話を、俺は引き受けることにしたのだ。
そして、五年前の七人組役だが……これは子供達が担当することになった。
演者がほぼほぼ素人という劇になってしまうが、お金をとるわけでもないし、何より主催者が良いと言っているのだ、俺達は全力で頑張るのみ。
ちなみに、キャロたちだけだと六人なので、足りない一人は魔王の娘ミュリが担当するのだという。
王族が庶民の祭りで役者をするなんてめちゃくちゃだなぁと思うが、魔王からは許可が下りている。
ミュリ自身も了承した。
今日は通しで練習することになっている。台本は暗記したが、演劇は初めてだ。
この国に来てから、本当に色々な『初めて』を経験することが出来た。
「ゆうしゃさま、わくわくするね!」
ウサ耳のキャロが言う。
「そうだな」
俺は笑った。自然に笑えていたと思う。
元英雄で、今はヒモ~最強の勇者がブラック人類から離脱してホワイト魔王軍で幸せになる話~【Web版】 御鷹穂積@書籍7シリーズ&漫画5シリーズ @hozumitaka
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