天気雨

古根

1

 にわかに雨が降り出して、石畳をパタパタと濡らしていく。


 湿った風が梢を揺らし、ざあっと涼し気な音を立てる。財布を鞄に仕舞い込む姿勢のまま、ふと空を見上げると、キラキラと舞う雨粒がひとつ額に当たって弾けた。


 天気雨。


 ふと、そんな単語が思い浮かばれる。

 天気雨だ。空を流れて行く雲の合間に覗く、茜色の秋空。黄金色の夕日が空を照らし、遠目には山々のシルエットがくっきりと浮かび上がっている。


 ふいに、誰かの視線を感じ、僕は正面に視線を戻す。


 色の褪せた鳥居を背に、ひとりの人影が佇んでいた。学生鞄を右肩に提げ、もう一方の腕に二本の傘をぶら下げている。


 ――深山みやまさん。


 逆光のため、表情は今一つ判然としない。けれど、たぶん同じクラスの深山さんで間違いはないだろう。

 黒いセーラーの制服が包む、華奢な体躯。

 特に、眉の高さで水平に切り揃えられた黒髪は、僕が普段クラスで見かける彼女の特徴に当てはまっている。鞄から抜き出した右手を挙げて、僕は彼女に手を振った。深山さんも片手を控えめに掲げながら、こちらへと歩み寄ってくる。


「はい。これ……」


 こちらへとたどり着くなり、深山さんはこちらに傘を差し出してきた。

 控え目なのに、どこかすっとよく通る声。髪の毛を濡らす雨粒にも、全く気を払う様子がない彼女。まずは自分が差せばいいのにと思いつつ、「あ、ありがとう……」素直にお礼をいって受けとると、深山さんは目を細めて柔らかく笑った。


「片桐くん、何……してたの? こんな所で」


 自身も傘を広げ、それから僕と、神社とを交互に見比べる深山さん。

 僕はとっさに答えあぐねて、しばらく言葉に迷ってから、「お参り、かな……」と口にする。


「前にね、ここの神様にお世話になったんだ。だから、お礼しにきた、っていうかさ……」


「へえ……」彼女は、半ば冗談だと受け取ったらしい。ふっと笑いながら、「どんなご利益?」と続ける。


「……、かなぁ」


 僕も半ば言葉に困りながら答えると、「道中安全……?」深山さんもよくわからないといったふうに眉をひそめる。


「あぁ……ええと」


 なんと言葉にしたらよいのだろう。

 当の僕でさえ、実のところ、あの時自分がどうしてどのように助けられたのか、いまだにうまく言葉にできないのである。


「ごめん、なんでもない……」

「うん……?」


 怪訝そうに首を傾げる彼女。


 その視線を受けながらも、やはり明瞭な説明ができる気もしない僕は、ただ「そろそろ戻ろうかな」と誤魔化ごまかしてしまう。そんな僕の様子に、深山さんもそれ以上は追及する事はなかった。


 時刻は夕刻。全天を横切る雲たちの流れは早く、いっとき夕日がかげる。

 先に深山さんが鳥居をくぐるのを見ながら、僕は一度だけ境内を振り返ってみた。


 心持ち陰影の濃くなった境内は、柔らかい西日に照らされて、さびれた雰囲気を一層濃いものにしていた。僕は数瞬だけその光景に見とれて立ち竦んだ後、ぺこりと一礼して、すぐにきびすを返して境内を後にする。

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