第6話

 期末テスト最終日のことだ。

 朝、スマホの通知オンに起こされた僕は、ディスプレイにチラリと表示された名前を見て二度寝に興じた。


 数分後、アラームが狭い部屋に響き始める。

 僕はアラームを止めゆっくりとベットから体を起こした。

 カーテンから漏れる日の光が僕の意識を覚醒させていく。


 今日で桜井さんとの関係はリセットされる。

 そういえば、ラインが朝入ってたんだった。


『おっはよー

 今日放課後お疲れ様会をやります!』


 え……嘘……言い切ってる……

 しかも「!」までついてる……

 僕の予定は……


 驚きのあまり一気に目が覚めた僕でした。




 リビングのテーブルには既に朝食が用意されていた。

「あ、お兄ちゃんおはよー。なんか朝から疲れてない?」

 部屋に入ると、既に朝食のトーストを食べていた妹が声をかけてきた。

「おはよう夏海。ちょっと朝から嫌なLINEがきてさー」

 僕は心配する妹に朝の出来事を話しながらキッチンに向かった。

 食パンにマーガリンを塗りながらトーストの準備を始める。僕は食パンを焼く前にマーガリンを塗る方が好きなのだが、家族から理解してもらえないようで呆れた目でいつも見られている。

 僕の言葉を聞いた妹は、トーストをどう焼くかなんてどうでもいいようで慌ててこちらを振り向く。

「え!? お兄ちゃん友達できたの?」

 そんな驚くことかな……

「んー友達と言うか……昨日まで家庭教師みたいなことしてたんだけどたぶん今日でまた疎遠になると思う」

 僕らの関係は、なんというのだろうか。

「ダメだよお兄ちゃん! なんか良くわからないけど、絶対その人と仲良くして!」

 必死の妹に思わず怯んでしまう。

「わ、わかった。今日テストのお疲れ様会やるからその時……契約を延長できるか聞いてみるよ」

 考えた結果、今の関係を続けることが近道になるんじゃないかと思った。だから、「契約」という言葉を使ったのだが、妹はそこが引っ掛かるようだ。

「契約ってお兄ちゃん……どゆこと? 普通に友達になればいんじゃないの?」

 首をかしげる妹は、まだ理解できないというような表情を浮かべている。

 そうなのかな……

「あのさ夏海、男と女って簡単に友達になれるものなの?」

 妹の顔を見ると口が大きく開いていた。顎外れたんじゃない? 大丈夫かな。

「え! ウソッ! ウソでしょ!? お、お兄ちゃんが家庭教師してる人って女なの?」

 夏海は急に興奮し始めた。イスから立ち上がりトーストの用意をしていた僕に詰め寄ってくる。

「一応……」

 そう答えると妹はとびきりの笑顔を見せた。

「今日のお疲れ様会はウチでやりなよ! その人連れてきてよ!」

 僕は昔から妹の頼みに弱かった。

「わかったよ。ただ無理強いはできないから断られた時はファミレスかどっかに行くよ。そん時は夏海にラインする」

 そんな簡単な話だろうか?

 誘ってホイホイついてくるようなら、それはそれで桜井さんのことが少し心配になってくるな。

「 わかった。楽しみにしてるね」

 出来れば夏海をがっかりさせたくないけど、こればっかりは僕にもどうなるかわからない。

「期待せずに待っててくれ」

 僕は期待値を少し下げようと試みるが、夏海の期待に満ちた表情から効果が無かったことを悟った。

「久しぶりに一緒に学校行こうよ。折角一緒の学校に行けるようになったんだしさ」

 入学して一週間くらいで恥ずかしいから1人で行きたいって言い出したのは誰だったっけな?

「ごはん食べるまで待ってて。あ、お前また牛乳飲んでないな!」

「いや、今日はいいかなって」

 絶対ずっと牛乳飲んでないなこいつ。

「母さんからお前のことは頼まれてるんだよ。ほら飲め。好き嫌いするな」

 僕はこの時思った。

 当たり前の家族の会話は、いつぶりだろうか?

 これが、「日常」という空気なのだろう。僕は久しぶりの穏やかな風景を眺めた。


 家族の関係がおかしくなったのは、僕のせいだ。

 それでも、僕は少しずつ変わり始めている。

 色づき始めた日常が、僕の目の前に確かに広がっている。


 [彼女]との出会いが、桜井さんの存在が、僕に何かを与えてくれる。

 それが何かはわからないけど、僕にとって必要なものだということは理解できた。


 僕も思っていたんだ。


 桜井さんとこのまま疎遠になるなんて嫌だって。



 朝食を取りテレビから流れる情報を眺めていると鞄を背負った夏海が僕の肩を叩いた。

「お兄ちゃん、そろそろ行こうよ。遅刻するよ」

「そうだな。鍵持ったか? よし、行くかー」

 玄関へと繋がる廊下を二人で歩く。

 誰かが隣にいる風景というのは、案外良いものだと気付く。


 こうして僕は、少しずつ日常を取り戻していくのだろうか……


 不意に、[彼女]の笑顔が頭に浮かぶ。

 脈打つ鼓動が聞こえた気がした。


 誰にというわけではないが、無意識に「行ってきます」と囁いていた。


 開いたドアの隙間からは、温かな太陽の光が射し込んだ。

 

 

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蛇と蛙の幸福論 詩章 @ks2142

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