「いまのうちに『現場』片づけちゃうね」「ワン!」
天野橋立
愛犬も大喜び、そのための超能力じゃないはずだけど
お城の一番上にある天守台の石垣が台風で崩れた、というのは普段なら結構な騒ぎになっただろう。この小さな町のシンボルだし、2020年の今年は築城から四百何十年だかの節目に当たるはずだ。
しかし、例の自粛のあおりで、記念行事はみんな中止、未だにお城への出入りも制限されていたから、実際にその様子を目にする機会はまず無かった。普通なら。
僕がたまたまその「現場」を目撃したのは、城址公園近くを散歩中に行方不明になった、愛犬の「マンディ」を探して、そこらを駆けずり回っていた時だった。
うっかりリードを手放してしまった僕から解き放たれて、自由を満喫する仔犬の目に、「立ち入りはご遠慮願います」なんて文字が入るわけもない。ワンワン喜ぶ声が遠ざかって行くのを追いかけて、僕も張られたロープなど無視して城に入るしかなかった。
まさか、それを監視している暇な警備員もいないだろう。
ようやく城の天辺、天守台の近くまで来たところで、僕の姿を見つけた「マンディ」は、今度は大喜びで駆け寄ってきた。足元にじゃれつく様子はいい気なものだが、こちらはすっかり汗だくである。もう日も暮れて空の半分は紺色、散らばる星まで見える。
二度と逃げられては困るので、意外と重くなりつつある豆柴の仔犬を抱きかかえて、さあ帰ろうかと顔を上げた時に、半分崩れかけた石垣が目に入った。ああ、これが話題の「現場」か。
しかし、さらに僕の目を惹いたのは、その石積みの上に仁王立ちで立っている、僕と同じ北中の夏服を着た女の子だった。
何だこいつ、何やってんだ? とおそらくはいぶかし気な顔の僕に、その子は突然声を掛けてきた。
「ここ、立ち入り禁止なのよ? 君、なんでそんなところにいるの?」
「いや、その、こいつが」
その態度から上級生と思われる彼女に、僕はあわてて「マンディ」を抱き上げて見せた。仔犬本人は、訳も分からず笑顔で愛想を振りまいている。
「なるほどね。その子のことは計算違いだったわ、さすがに」
長い髪を風になびかせながら、彼女は笑顔を見せた。薄暗くて分かりにくいが、どうもその髪の色は、明るい紫かピンクのように見える。コスプレ、という奴だろうか。
「ねえ、君。この石垣って、誰が作ったか知ってる?」
そんなの、築城した羽柴秀杜に決まってる。しかしこれは、どうもひっかけ問題の気がする。
「ええと、あれだろ、大工さんとか」
「あら、悪くない答えね。分かってるじゃない、あなた」
褒められた僕の代わりに、なぜか胸元の「マンディ」が、ワンワンと嬉しそうに返事した。
「じゃあ、これも知ってる? このお城には、そもそも天守閣はなかったのよ。じゃあ、なぜこんな立派な石垣を組んでわざわざ天守台を作ったのか」
それは……確か、途中で戦国時代が終わったか何かで、天守閣まで建てる必要がなくなったからではなかったか。
「はい、残念。これ、もともと天守台なんかじゃなかったのよ。私たちの住んでる星系本部との、連絡用のコヒーレントパルス交信システムを設置するための場所だったの」
彼女は頭上の左、星空の側を指差した。
「今はNTTの塔借りてるけど、当時はここがこの辺りじゃ一番高い場所だったしね。一晩で作るから場所貸して、って言ったら、秀杜も文句なかったわ。三番目くらいの側室だったけどね、あの時は私」
ああ、こりゃ関わっちゃだめなアレだったか、と僕は思った。ちょっと脳内系がヤバい人か、良くてこじらせたオタク系のお姉さんか。結構かわいい子に見えるのに、もったいない。
「それでね、さっきの答えだけど。この石垣を造ったのは、実はわたしなの。自分で造ったものは、ちゃんと自分で直さないとね。今日なら誰も見てないって思ったし」
そうしゃべる彼女の姿が、ふわりと宙に浮かぶのを、僕は確かに目にした。相変わらず言葉の意味は不明だが、それどころではない。
「これから見たものは学校でも、誰にもしゃべらないでね。まあ、しゃべっても相手にされるわけないけど。昔なら、妖怪とか化け物とかうるさく言われたもんだけど。さあ、直しちゃいましょう。ああ、ちょっと離れててね。危ないから」
空中に佇む彼女が右手を一振りすると、崩れて地面に転がっていたものを含めて、全ての巨大な石が淡い光を放ちながら、軽々と空に舞い上がった。ディズニー映画か何かで、こんな場面を見たことがあるような気がする。
「これ、組みなおすの結構難しいのよ。昔、
いや、これはパズルどころの騒ぎじゃないだろ。
壮観だった。夜空の色に変わって行く頭上の宙を、紫がかった燐光のようなものを放つ、何十もの巨石がグルグルと飛び回り、入れ替わり、ぶつかりあったりしながら、意を決したように時折ドスンと土の上に落下する。
そうしているうちに、見覚えのある石垣が、たちまちのうちに復元されて行った。
「マンディ」は特に大喜びで、ワンワンキャンキャン騒ぎながら、胸元から飛び出して行こうとするものだから大変だった。
万が一にもそんなことの無いようにコントロールしてくれるという、なぜかそんな確信はあったけれども、あんな大きな石の下敷きにでもなったら、仔犬なんかペチャンコだ。
結局、作業が終わった時には、すっかり陽は沈んで辺りは夕闇の中、街灯の蛍光灯が当たり前のように、元通りになった石垣を照らしていた。しかし実際には、十分もかからなかっただろう。
「ふう、疲れた。でも、この『現場』もお役所式にまともに直すとなると、結構大変よ。予算とか何とか大騒ぎだわ」
どうよ、という風に、彼女は再び仁王立ちになって、暗くてはっきりは見えないが、恐らくはドヤ顔をして見せた。
「あの、その……あなたさまは」
「ああ、私? 君と同じ、北中三年の
はは、と寧子は笑った。
「でも、今の名前なんかあんまり意味はないんだけどね、来年になったら、また一年生になって北中入ってくるからね。その時はよろしくね、先輩。誰が私か、分かんないと思うけど」
「あの」
と僕は口を開いた。最後に一つだけ、聞いておきたかった。
「
「そうよ」
こともなげに、彼女は言った。
「そんなに珍しい話でもないのよ。古い町、ここみたいな城下町とかね。そういう場所には、必ず私みたいなのがいてメンテしてるの。文化庁だっけ? あんなのだけじゃ無理無理。あなたたちの文明の伝統文化ってやつ、うちらの星系的には人気なのよ、実はね。ま、こんな『現場』見つかっちゃうのは、珍しいけど。これは失敗」
彼女はちらっと、舌を出して見せたようだった。てへぺろ、って奴だろう。ちゃんと彼女たちも、時代に合わせて進化しているのだ。
「じゃあ、また学校でね。バ-イ」
残されたのは、僕と「マンディ」だけだった。日中の熱気もさすがに去り、下界から吹き上がって来た涼し気な風が、辺りの雑草を揺らしながら駆け抜けて行くばかりだった。しかし、そこには確かに元通りになった天守台――じゃないのかも知らんが――の石垣がそびえていた。
「……どう思う、今の?」
僕は、胸元の仔犬に聴いてみた、
「ワン?」
彼は、とぼけた顔をして見せるばかりだった。
(了)
「いまのうちに『現場』片づけちゃうね」「ワン!」 天野橋立 @hashidateamano
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