第4話 素姓
守護神のおかげで私の日常が徐々に良い方向へと向かっている。以前のような窮屈で寂しい生活から一般的な特別悲しかったり、楽しかったりする出来事のない平凡な日常を送っている。人々はつまらないというかもしれないが、長い間苦しんできた私にとっては輝かしい日々なのである。ただ一つ言えることは、そんな輝かしい日々が増えることでちょっとした負の感情や出来事はさらに際立ち、一瞬にしてまた闇に引きずり込まれる。人は常に幸せになることはできないのだろうか。そんなことを悩んでいても朝は私たちの闇には気づかずに相変わらずやってくる。
「お父さん、おはよう」
「おう、おはよう」
お父さんはもうすでに朝食を済ませ、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。リビングではお母さんが私に見向きもせずにソファーに深く腰掛け、テレビを見ていた。私は朝食を食べるためにお父さんの隣の席に着いた。
「昨日は風呂に入った後、あのまま寝てしまったのか?」
「うん。身体が温まったら眠くなってそのまま寝てた」
「風邪をひいてないか?」
「平気だよ」
お父さんは私の心配をしていたらしく風邪をひいていないと分かった途端、安心したような素振りをみせた。その優しさについ心が温かくなる。しかし、その温かな雰囲気はお母さんの言葉で一瞬にして冷酷と化した。
「あなた、この子のことを心配しても意味は無いわ。だって、この子は人を殺したのよ?」
「そんなことを言っちゃだめだろ。それに文美香は人殺しをしてなんかいない」
「違うわ!この子は自分が可愛くてたまらなくてあの子を犠牲にしたじゃない!」
「違うだろ。君が現場にいて見たわけでもないのになぜそう言える?」
お母さんとお父さんの言い合いは過激化し、その場にいるだけで心苦しくなる。私はこれ以上酷くなる前にこの場から去った方が良いと思い、静かに席を立とうとするとお母さんはまるで獲物を狩るかのような鋭い目つきで私を捉え、手元にあったテレビのリモコンを私に投げつけた。当たったのが頭や顔ではないということは幸いだが、当たった肩は想像以上に痛みが強かった。反射的に肩を庇った私を睨み付けお母さんは続けざまに言い放った。
「そうよ。あなたが消えれば良いんだわ」
「お母さん......」
「あなたが私をお母さんと呼ぶ資格なんてないわ。今すぐ私の前から消えてちょうだい」
「でも、」
「いいから早く!!」
今にも襲いそうな勢いのお母さんをお父さんが抑える。その間に逃げるようにリビングを去り、コンビニに食べ逃した朝食を買いながら学校に向かった。普通の人からすれば、この状況はおかしいと感じるだろう。しかし、こうなったのには必ず理由があり、それは私が幼稚園児の時に遡るのである。
◇
「お兄ちゃん!待ってー!」
「捕まえてごらーん」
私には5つ上の兄がいた。面倒見が良くて優しくていつも遊んでくれた。私はお兄ちゃんのことが大好きだった。そんなある日、鬼ごっこで鬼だった兄から逃げていた私は公園内ではすぐに捕まってしまうと思い、道路に飛び出してしまった。私の背後には運悪く、猛スピードで近づく自動車がいたという。それに気づいた兄は私に自動車が近づいていることを教えるために大声で叫んだ。
「危ない!!」
「えっ」
私が避けようとしたときにはもう遅かったが誰かが覆い被さって守ろうとした感覚があった。しかし、逆光のせいでその人の顔も見ることができず、はねられた衝撃でそのあとの記憶が無かった。
意識が戻り、視界に入ってきたのは見慣れない白い天井だった。そして、薬のような匂いが鼻を掠め、自分は病院のベッドで寝ているのだと理解できた。ベッドの左隣には私の手を祈るように大きな両手で包み込んでいたお父さんがいた。
「お父さん......?」
「......文美香?!よかった......」
お父さんは私が目を覚ましたことに安心し、泣き崩れていた。しかし、お母さんの姿は見当たらなく、少し不安になる。そして兄の姿も。
「お母さんは?」
「....お兄ちゃんと一緒にいるよ」
「私、お兄ちゃんに会いたい」
「......文美香、ごめんな。もう....、お兄ちゃんには会えないんだ」
「......なんで?」
「お兄ちゃんは、天国にいったんだ。だから会えないんだ。でも、文美香のことをお兄ちゃんは絶対見守っているよ」
お父さんは私を強く抱きしめながら嗚咽混じりに涙を流した。滅多に涙する姿を見せないお父さんだったから驚きもありつつ幼いながらに兄が死んだことを理解した。けれども、今よりもはるかに死の世界がどういったものなのか見当もつかなかった私はお父さんの腕を通り抜け、兄の病室へ行きたいとわがままを言った。流石にまだ小さい子にはトラウマになりかねないとお父さんは反対したが、それでも必死に会いたいと騒ぐ私を見て、最後のお別れだぞと私を抱きかかえて病室に連れて行ってくれた。
「お兄ちゃん......?」
病室に着くと白い装いをした大人達と絶望に満ち、今にも倒れそうな真っ青な顔をしたお母さんが兄を囲んでいた。お父さんは抱きかかえるのを止め、私を降ろしたが重く、息苦しく、地獄の淵に落とされたかのような雰囲気に足を一歩踏み出せなかった。近づいてはいけないと感じたのだ。その代わり、自然と涙が頬を伝っていった。動くことができずにその場に立ち尽くしていると、ベッドの淵から無気力な片腕が垂れているのが見えた。兄の腕だ。今にも動き出すんじゃないかと思えるほど傷もなく、綺麗な腕に死んだという事実が信じられずにベッドに近づくと、お母さんは鋭い目つきで私を押し返した。
「文美香がお兄ちゃんを殺したの?」
「え......」
「お兄ちゃんは文美香を守って車にはねられたの?」
私自身も事故に遭った当事者で記憶も整理されていない状態でお母さんの問いには答えることができずに口籠もってしまった。そんな私に苛立ったのか、お母さんは理性を失う寸前で詰め寄ってきたのだ。お父さんはその様子に異変を感じ、私を守るようにして咄嗟に私の前に立った次の瞬間、お母さんは発狂して暴れ出したのだ。
「あんたはお兄ちゃんを殺したのよ!あんたは人殺しよ!あんたなんて生きている意味が無い!」
「おい!なんでそんなことを言うんだ!」
暴言を吐きながら暴れるお母さんを必死に止めようとお父さんの他に、医者や看護師まで集まる。狂った姿を間近で見て思わずその場に座り込んでしまい、全ては私のせいだ、私が外に飛び出さなかったらお兄ちゃんは死なずに済んだと自分を責めた。絶望の淵に立たされているような気分だった。
今ではお父さんや当時関わった看護師さんが支えてくれているけれども、お母さんに冷たく当たられる度に思い出しては自分を恨むの繰り返し。いっそのこと死んでしまおうかと思うこともある。ただ、自分のことを心から心配してくれたお父さんを悲しませたくない。その気持ちだけで今までどうにか生きていると言っても過言ではない。自分のために生きていると言えない私の人生に文句を言う余裕もないほどだ。
コンビニで朝食用に買った菓子パンをちびちびとかじり、歩きながら当時のことを思い出しては泣きたくなってくる。涙を堪えようと見上げると晴天ではなく曇天で、空も私に同情しているのかと不思議と虚しさは無く、少しは気持ちが楽になった。なんだか今日は雨が降りそうだ。空も一緒に悲しんでくれるのだろう。
ハイライト~前世からの繋がり~ Sawaha @Sawaha
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