第3話 憂懼
やっといじめから解放された。勢いよくベッドに倒れ込んで嬉しくなって脚をばたつかせる。私がこうやって喜んでいる姿も守護神は見えているのだろうかと気になり小さく声に出した。
「守護神、今近くにいる?」
返事が聞こえない。夢の中と自分に危険が迫っているときにしか話しかけられないのだろうか。もっと身近に感じることが出来たらいいのにと少しだけ肩を落としながら、課題を終わらせ眠りについた__。
[今日も大変だったな......]
今日助けてくれた声だと気づき、道のように一人の影に続いているか細い光に沿って歩いて行く。そこにいたのはひょろっと細身の背の高い青年だ。ピンインと同じような白の装いをしている。左耳にはシルバーのチェーンがぶら下がったピアスが輝いている。茶髪で襟足が長く前髪も目にかかりかけている。二重で目がぱっちりして、鼻筋が通っているが団子っ鼻で少しだけ話しかけにくそうなオーラがある。
「あなたは......」
「俺はハオラン」
「今日助けてくれたのはあなたなの?」
「ん」
「本当にありがとう。もし助けてくれなかったら私......」
「あんな酷い目に遭ったら助けるのが当たり前だろ。それに俺ら守護神は助けることが使命だから」
「でも直接あなたにお礼を言いたくて」
「そっか」
ハオランは少し照れたのかそっぽを向いた。耳が赤くなっている。話してみれば案外怖さは無かった。
「そういえば俺の他の守護神に会ったか?」
「ピンインだけ」
「ならまだ二人に会っていないんだな」
「他の二人ってどんな人なの?ピンインから詳しくは説明されていなくて」
「だと思った。一人は俺らの中で一番年下だけれどしっかり者で正義感強い。もう一人はマイペースだな。たまに不思議な行動をするけれど誰よりも優しい。そんなもんかな」
守護神にも年齢という概念があるのか?不思議な行動をするってどういうこと?未知の世界に脚を踏み込みつつある私にしてみたらとても興味深い。ハオランはそんな私にとことん付き合ってくれた。分かったことは、四人はほぼ私と同世代であること、彼らも元々は人間として生きていたこと、そして人間でいたときに私と関わりがあったこと。私、彼らに会ったことがあるのだろうか。思い出してみる限り、記憶にない。眉間に皺を寄せていると、ハオランが思考を止めるかのように言葉を発した。
「ごめん。そろそろ戻らないと」
「......また会えるよね?」
「もちろん」
ハオランは振り返り、そのまま光る道を進んでいった。その後ろ姿が見えなくなるまでじっと見つめた。そして光がどんどん消えていった__。
◇
頭中に響くように鳴ったアラームに目が覚める。久々に良い目覚めだ。今日も桜と登校し何もない平和な学校生活を送った。一緒に校内を移動して、一緒に休み時間を過ごして、一緒に弁当を食べて。そんな何気ない一日を過ごせるのは守護神と勇気を出して助けてくれた桜のおかげだ。感謝しきれない。つい頬を緩ませていると隣にいる桜に見られてしまった。
「何か良いことでもあった?」
「うん。でも教えなーい」
「えー、教えてよー」
二人でふざけている途中、桜が思い出したように話し出す。
「あ、今日バイトで一緒に帰れないんだ、ごめん」
「全然大丈夫!バイト頑張ってね!」
少し残念に思いながらもいつも通り、一人で帰り道を歩いていく。桜がバイト終わったくらいに電話でもしてみようかなと考えていると、耳鳴りとともに後ろから足音がついてきているような気がした。後ろを振り向いても誰もいないから気のせいだろう。また歩みを始めようとすると再び聞こえる足音。まだ確信はないがストーカーだ。どうしよう。このまま家に入ってしまえば私の居場所を教えているのも同然。どこか避難できる場所を探さないと。見渡すと近くに人通りの多い商店街があり、そこで上手く時間を潰してなんとか無事に家の中に入ることが出来た。明日も同じ目に遭ったらどうしよう。恐怖で身体が小刻みに震え眠りにつくことができなかった。
翌日、目の下に隈をつくって家から出てきた私を桜は心配してくれた。でも、最悪なことに今日からバイトのシフトが続いて入っているらしく、しばらくは一緒に帰ることが出来ないと申し訳なさそうに話した。表面ではいいよ!頑張ってきてね!と応援したが、裏面では一気に不安がこみ上げて鳥肌が立った。
放課後、靴を履き替えて震える手で鞄のハンドルをきつく握った。ストーキングされないよう早歩きで進む。幸い、足音は聞こえなくて昨日の出来事は勘違いだったのだと思い込んだ。
それからしばらく一人で下校する日が続いたが、あの時のようにストーカーらしき姿はなくて完全に気を抜いていたある日、起きてしまった__。
雨が酷く降る曇り空。車が通る音なのか、雨の音なのか区別がつかないぐらいの強い雨が地面を打ち付ける。冬が終わろうとして気温が上がってきた季節だが、雨に濡れて体温を徐々に奪われる。早く家に帰ってお風呂に入ろう。少しだけ早足になる。あと5分もすれば家に着くぐらいの距離まで歩いたとき、気持ち悪い笑みを浮かべて私を見つめながら歩いてきた男が視界に入った。その瞬間、一気に身の毛もよだつくらいの胸騒ぎがした。あの男の人、危ない。直感で分かる。足が竦みそうになりながらも何度も曲がり角を曲がり、細い路地裏に入り上手く交わせたと思ってほっとした瞬間も束の間。後ろから大きくて冷たい手が私の手首を掴んだ。勢いよく振り返るとあの男がまた気持ち悪い笑みを浮かべていた。恐怖のあまり、声が出ず助けを呼べない。必死に振り払おうとしても掴んでいる力が強くて手首が痛い。それでも涙を目に溜めながら抵抗する。心の中で何度も助けてと叫ぶばかり。
《大丈夫、君を守るから》
夢の中の優しい声が聞こえた。守護神だ。助けに来てくれたのだと分かり、全身の力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
《目を閉じて待ってて》
指示されたとおり目を瞑った。なぜ目を瞑らなければならないのか分からないが、少しずつ周りが明るくなったのは感じることができた。
《もういいよ》
恐る恐る目を開けると私の手首に感じた痛みは無く、男の姿が消えていた。この一瞬で何が起きたのだろうか。立ち上がり大通りに様子を窺いながら出ても男の姿は見当たらなかった。また守護神に助けられた。立ち上がるまでの力を回復するため、落ち着くまでしばらく冷たい雨に打たれながら縮こまった。
家に入り、水浸しになった制服を脱ぎ捨てる。冷えた手脚が麻痺していくような感覚に陥る。急いでお風呂を沸かし、その間に部屋着に着替える。未だ放心状態で何も考えられず、ひたすら窓の外を眺めているとあっという間にお風呂が沸いたことを知らせる音楽が聞こえた。
湯船に浸かると、リラックス効果なのか頭がさらに覚束ない。ただ冷え切った身体は温まり、今にも寝てしまいそうなほど気持ちが良い。少しばかり幸福感で溢れた。お風呂から上がると、玄関でびしょ濡れの姿のお父さんに出くわした。
「おかえり」
「ただいま」
「お風呂沸いてるから先に入って」
「うん、ありがとう。お母さんは?」
「分からない。いたとしてもどうせ私には興味ないんだから」
「......そっか」
お父さんは少し困ったような笑みで私に笑いかけた。お父さんは何も悪くないのに、お母さんが圧倒的に悪いのに。なんだか申し訳ない。お母さんとの仲が悪くなった原因のあの出来事を思い出しそうで、嫌な気分になって自分の部屋に向かった。濡れた制服からぽたぽたと滴が落ちる音がよく聞こえるくらい静かな空間だ。疲れた。もう寝てしまおう。身体の温かさが逃げてしまわないように毛布に包まり、眠りに落ちていった__。
《よく頑張ったね》
今日、私を助けてくれた人の声がした。また夢のなかで守護神に会えるのだろう。少しだけ胸を弾ませながら足下を照らす光に導かれるまま進んでいくと人影が見えた。
「あなたは誰?」
「初めまして。今日文美香さんを助けた守護神のファグァンです」
ファグァンはピンインやハオランと同じような白の装いをしている。二人よりどこか幼さがあり、可愛らしい。たぶん私と同年代なんじゃないかと思うくらい、なぜか親近感が湧く。しかし立ち振る舞いが落ち着いた雰囲気がある。綺麗な黒髪でまさに好青年そのもの。一重ではあるが瞳が大きくて、一重特有の鋭い目つきが緩和されている。背は低い方ではあるものの、体格が良い。もしかして、ハオランが言っていた一番年下でしっかり者で正義感強い守護神なのだろうか。
「あの......、さっきは助けてくれて本当にありがとう」
「文美香さんが無事で本当に良かったです」
「もしかして、ファグァンが私を見守ってくれている守護神の中で一番年下なの?」
「そうです!」
「少しだけどハオランからファグァンのこと聞いたよ」
「そうなんですか!?他に会ってない守護神はいます?」
「ピンインとハオランには会った。残り一人に会ってないんだけど、ハオランがいうには癖が強めだそうで......」
「まあ少しそうかもしれませんが、本当に優しいお兄さんなのでそこまで気にしなくても大丈夫ですよ!」
ファグァンは、私の心配している様子を少し面白おかしそうに笑ってみせた。そこまで心配する必要はなさそうだ。安心して胸を撫で下ろしていると、ファグァンは何か心に決めたような引き締まった表情に急に変わった。
「文美香さんのことはこれからも護っていくのであまり心配しないでくださいね」
「ありがとう」
「では、僕はこの辺で失礼します。やっとお話が出来て嬉しかったです。」
なんとも礼儀正しいのだろうか。自分と同世代に見えるのだが、振る舞いが落ち着いていて年上のような雰囲気が漂っている。そして何よりも最後に残していったファグァンの言葉が弱った私の心を優しく包み込んだ。彼が去る姿を見届けながら、また新たな守護神が増えたという心強さに胸が躍った。私はもう一人じゃない。そう信じることに決めた___。
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