第2話 確信

 桜とはあの一件が終わったその日のうちに親友と堂々と言えるまで元通りになった。下校時には家までの道のりもいつもと違い、全てが胸弾むようだった。いつも唯一の楽しみとしていた、ベランダに出て夜空を眺めることも星がより一層輝いて見えた。こんなにも私の周りは楽しくて、綺麗で、平和なんだ。私をそんな素敵な世界へと導き出してくれたきっかけはあの夢の中の声。あの声が聞こえてから良いことが増えた気がする。思い返してみれば、屋上に行くときにあの声が聞こえたのは偶然ではなく必然で、私に桜を助けさせて親友に戻らせるためだったのかもしれない。そもそも何がきっかけであの声が聞こえたのかも分からないが。いくら考えたって目に見えない物は信じられない。たまたまだったのだと自分に言い聞かせて冷えた身体を温めるようにしてベッドに横になり、眠気に身を委ねた__。



<また会えたね......>



 またあの時の声だ。聞き覚えがある。頬をつねると痛くない。やっぱり夢の中だ......。あの声について行くと顔も見られなかった彼らに今度こそ会えるかもしれない。興奮からか緊張からかよく分からない身震いをしながらも進んでいく。あの時は彼らの顔が見られないほどの光の強さだったが、今はか細いながらも芯のある光が私を導いているようだ。辿っていくとそこには一人分だけの影が立っている。近づくにつれて光はその影の周りを水分をたくさん含んだ絵の具のようにじんわりと照らしていく。影の元に辿り着いたときには、私まで光に包まれていた。そして影の姿も明らかになった。



「誰......?」


「俺はピンイン!君の守護神とでも思っといて!よろしくね!」



 いきなりおかしなことを言い出したと思いながらも、今は夢の中なのだと気を取り直す。ピンイン?名前からして日本人ではなさそう。彼は白のシャツに白のボトムスを身にまとっている。スタイルが良く、シンプルな装いが映える。多分同年代なんだろうけれど、そんな装いで大人っぽく見える。若干黄色みがかった白髪のセンター分け。切れ長の目できつく見えるが笑ったときに目がなくなってしまう、どこか子どものような無邪気さと可愛らしさが見られる。それにしても、守護神なんて信じられなくて思わず聞いてしまう。



「守護神って?」


「まあ簡単には信じられないよね。でも一応説明させてね。」



 ピンインは私が混乱しないように優しい口調で話し始めた。



「訳あって君のことを守護神としてここから見守っているんだ。俺の他にあと三柱、三人の守護神が君のことを見守っているよ」


「三人も?普通そんなに一人の人間につくものなの?」


「つくって、まあ人間からしたら幽霊と同じもんだよな。大体は一人に一神だけれど、君の場合は少し特殊かな。でも別に悪い意味ではないから深く考えなくてもいい。あとで詳しく説明するけれど、どうせなら守護神が揃ってからの方がいいから今はごめんね」



 ピンインはなんともないように話すけれど、私にとっては異次元の話。一人の人間に四人も守護神がついているなんて不安になってくる。眉間に皺を寄せていたのかピンインは微笑んで言った。



「今までにさ、今みたいに夢の中とか友達を助けるか迷っているときに声が聞こえなかった?」


「......聞こえた」


「それは俺らが君に話しかけていたんだよ。良い方向に君を導くために」



 そう言われればしっくりくるような。でも守護神がつくこと自体が私にとっては少し怖く感じる。



「まあ、今はそんなとこかな。これから徐々に分かってくることもあるから今日はここら辺で。じゃあまたね!」


「え?帰るの?!まだ聞きたいことがたくさんあるのに!」


「ごめんねー!」



 ピンインは私にひらひらと手を振り、後ろを向いて歩き始めた。どんどん遠ざかっていき、不安が大きくなる。何も出来ない子どものように。必死に追いかけるが追いつくことが出来ず、また腕を前に差し出しながら勢いよく起き上がり、目が覚めた。こんな夢に惑わされるなんて。本当かどうかも分からないのに、あの声が幻聴かもしれないという不安で勝手に脳が作り出した夢なのかもしれないのに。

 学校に行く準備をしている間も彼の名前が離れない。ピンイン......。顔も初めて見るし、なんなら日本人ではないのにどこかで聞き覚えのある名前。もしかしたら今日も彼らの声が聞こえるのかな。そんなことを考えながら家を出ると、桜がドア越しに顔を覗かせた。



「文美香!おはよう!」


「うわっ!」


「そんなに驚かないでよ」


「ごめん。どうしたの?」


「これからは一緒に登下校しようと思って」



 桜の誘いは嬉しかった。でもこのまま甘えてしまっていいのだろうか。桜に迷惑をかけるかもしれない。



「......桜まで目をつけられるかもしれないよ?」


「もう目をつけられてるから気にしない!!一人だけいじめられるより二人の方が辛くないじゃん?」



 桜はにかっと私に笑いかけた。一緒に乗り越えてくれる存在が一人でもいるとこんなに考え方が楽になるなんて。もうこれからは一人じゃないと朝から新しい自分に出会えたようで少し嬉しかった。

 しばらく歩き続けていると、桜は何か思い出したような様子で話題を変えた。



「そういえば、文美香を助けようと屋上に行く前に不思議なことが起きたの。急に頭の中に文美香が屋上から突き落とされる映像が過ぎってそして男の人の声がしたの、“助けて”って」


「え......」


「それで怖くなっちゃって助けにいかなきゃって屋上に行ったんだよね。でも文美香がそのときまだ学校に来てなかったって分かって安心したけどね」



 桜の言葉に身震いした。もしあの日、桜が助けに来なかったら、その男の人の声が聞こえなかったら、私は屋上から突き落とされて死んでいたかもしれないってこと?自分に死という存在が近くまで迫っていた事実に驚きが隠せない。同時に本当にピンインたちが助けてくれたのかもしれないという推測から確信に変わりつつあったのだ。



                  ◇



 教室につき一時間目の準備をしてても屋上に呼び出されることなく、もういじめられなくていいんだという開放感に包まれながら桜と一緒にお弁当を食べていると、屋上への呼び出しの合図の軽く机を突く音がした。絶望だ。桜も表情が強ばった。



「嘘でしょ......」


「......大丈夫。ちょっと行ってくるね」


「心配だから私もついていく」


「いいよ!平気だから!」



 私を助けようと身体を張ってくれた桜にはもう痛い思いはさせたくない。そんな思いが大きくなってつい強く言ってしまった。



「何かあったら電話するから、ね?」


「......分かった」



 桜は俯いて小さく返事した。これでいいのだ。傷つくのは私だけでいいのだ。そう自分に言い聞かせて緊張しながらも屋上に向かう。一つ深呼吸をして目の前にある屋上のドアを冷や汗で濡れた手で開ける。



「......いない」



 周りを見渡しても誰一人いない。あの机を突く音は気のせいだったのかな。まあ勘違いだったのならそれはそれで平和な一日を送れるということだから良いことだ。早く教室に戻ろうと振り返り、階段を降りようとすると一気に身体全体が前に傾いた。背中には誰かに手で押された感覚がある。もしかしていじめてくる彼女たちか?まんまと罠に引っかかった。どうにかして体勢を立て直そうとするが、最悪なことに手すりにすら届かなくてそのまま倒れるしかない。どうにか受け身をとらないと酷いことになると考えているうちにも重力には逆らえない。もう落ちるだけ落ちてしまえ。どうせ屋上から突き落とされるよりはいい。私は目を閉じて痛みを受け入れようとする。



 [大丈夫だから......]



 あ、ピンインの声じゃないけど聞いたことのある声。助けてくれるのかなとそんな気持ちになりなぜか脱力する。いつの間にか守護神という存在を受け入れているのかもしれない。



[そのまま動かないで......]



 動かないでとはどういうことだ。いつまで経っても衝撃を感じず、そっと目を開けると段差にぎりぎり当たらないのところで身体が宙に浮いていた。びっくりしかけた私に声が語りかける。



[もう少し我慢して]



 今すぐ段差に手をついて受け身をとりたいのをぐっと我慢してそのままじっと待っていると、上から「どうしよう、本当に死んじゃったんじゃない?」と悲鳴じみた甲高い声が聞こえた。完全に私が階段から落ちて意識を失ったと思っている。彼女たちは怖いものから逃げるように足早に去って行った。この一瞬であらゆる出来事が詰め込まれて頭が真っ白になった私は動けずに硬直する。



[よく頑張ったな]



 身体を支えていた何かは私を一旦宙に浮かせてからそっと立たせた。私が助かったのは守護神のおかげだと確信がついた。今ならまだ私の傍にいてくれているよね。少しだけ小声で話しかける。



「守護神....、ありがとう」


[どういたしまして]



 私しかいない空間に私と男の人の声だけが響く。特別感があって少しだけ心がくすぐったい。早く桜のところに戻ろう。早まる気持ちについ駆け足になる。



「大丈夫だった?!」


「うん!平気だよ!」


「良かった。これで本当に心を楽にして過ごせるね!」



 桜は安心したように抱きついた。一方、私を突き落としたと思われる、いつもいじめてくる女子たちは、私が無傷な上に何もかなったかのように戻ってきたからすっかり怯えてしまっている。必ず私を助けてくれる人がいるということは奇跡なんだと噛みしめながら、何もない普通の学校生活を楽しんだ。



 







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