精霊馬を待つモノ

匠ポン

精霊馬を待つモノ

 二〇二〇年八月十三日、天気は快晴、気温四十度。今日で一週間連続の猛暑日である。そんな中、道風みちかぜ 冬弥とうやは陽炎が揺れるアスファルトの上を歩いていた。


 「世間はお盆休みだってのに、どうして俺は今日も出勤してんだか」


 はぁ、とため息をつき、汗でびっしょりになった額をシャツの袖で拭う。地面からの反射光が足取りを重くさせるが、幸いにも冬弥の勤務先は自宅から徒歩十五分ほどの距離と近い。引っ越した当初は出勤が楽だ、早起きしなくてもいいなだの浮かれていた冬弥だったが、上司から出勤が楽なのだからという理由でたまに呼び出されることもあるため少し後悔している。


 「ん? なんだあれ」


 冬弥は思わずそう呟いてある家の前で足を止めた。目線の先にあるのは紙皿の上に乗せられたきゅうりとトマトの精霊馬らしきもの。


 (なんでこんな所に…? 普通玄関先なんかにおくか? しかもナスじゃなくてトマトが使われているのも…)


 そう怪訝そうに精霊馬を眺めるも会社に行かなければならいので、多少の違和感を残すもそういう風習のある家もあるのだろうと決めつけてその場所を後にした。



 同じ日の夜、冬弥は床に就くと今朝見た精霊馬のことをふと思い出した。そして自分が抱いていた違和感の正体に気づく。


(精霊馬があった家、確か空き家だったよな…)


 精霊馬はお盆の期間に先祖が家に迷子にならずに来られるようにと野菜を馬と牛を模すという日本の多くでみられる風習である。そんな精霊馬が置かれているということは、先祖を待つ人がいるということである。当たり前のことではあるが、問題はそこなのだ。


 (誰も住んでない家なのに、誰が置いているんだ…)


 冬弥は暫くその謎について考えるも、次第に意識が遠のいていった。



 翌日、早朝に冬弥は再び精霊馬の置かれていた空き家に訪れていた。目的はもちろん、精霊馬がなぜ置かれていたのか調べるためだ。誰が置いているのか、ただそれだけのことに冬弥が好奇心に駆られているのには理由がある。


 “魔物屋敷”


 それがこの空き家につけられた異名だ。冬弥はこの地に引っ越してから一か月ほど経ったころに近所の子供がそう言っているのを耳にするまでは知らなかったのだが、どうやらこの地域では有名な心霊スポットである。そんな異名のついた空き家に精霊馬があるという謎が、冬弥の男心をくすぐったというわけだ。

 精霊馬は昨日見かけた場所にまたしても置いてあった。同じような紙皿にきゅうりとトマトで作られた人形が乗せられている。一日経っているというのにきゅうりとトマトは腐っておらず、新品に取り換えられているようであった。


 (腐ってないってことは、もしかして模型だったりするか?)


 少し躊躇いながら冬弥はきゅうりの精霊馬に手を伸ばした。


 「───っ!!!!!!!」


 あともう少しで触れようかという瞬間に、頭上から石が降ってきたのだ。位置的にはおそらく屋根からだ。屋根の上は暗くてよく見えず、犯人らしきモノは見当たらない。これは偶然で犯人なんていないかもしれない、そう楽天的に捉えることは冬弥には到底できなかった。冬弥はすぐさま空き家から全速力で離れ、自宅へ戻った。


 「はぁ…はぁ…、何だったんだ…? 触ろうとした俺への警告か?」


 勢いよく玄関のドアを開ける音を耳にして、妻の陽依ひよりが顔をだした。


 「おかえりなさい。どうしたの? そんなに疲れて」


 「ちょっとランニングに行ってきた」


 「へぇ、珍しいじゃない。あなたが運動するなんて」


 陽依は冬弥が汗だくなのを見てタオルを手渡す。冬弥が顔面蒼白なせいもあり、陽依は心配そうにその場で立ったまま見つめている。

 久しぶりに走ったためか息を整えるのに随分と時間がかかった。急に体を動かしたからだろう、まだ全身の筋肉が強張っている。


 (こりゃ明日は筋肉痛だわ…)


 夕食を食べた後、冬弥は陽依に今日あった出来事を話してみることにした。落ち着いて考えてみると、このことは特別隠さなければならないわけではなく、人に話したほうが精神的にもいいだろうという結論に至ったからだ。


 「今日あったことなんだけどさ」


 「どしたの急に、怖いんだけど」


「実はあそこの空き家に行ってたんだよ、ランニングってのは咄嗟についた嘘。ごめん」


「あの魔物屋敷って呼ばれてる場所? あなた心霊とか興味あったんだ」


「そう。そこに何故か毎日精霊馬が置かれてるんだ。そんで気になってその精霊馬に触ろうとしたら、空から石ころが降ってきたんだよ」


「それにビビッて走って家まで帰ってきたってわけね。で? まさか本当に魔物が居るんじゃないかって思ってないでしょうね?」


「ご名答です…」


「あそこの家には魔物なんていないから、安心して頂戴」


「え、なんでそんな断言できるんだよ」


陽依は「なんでもいいでしょ」とだけ言い残すと食器を洗いにキッチンへと行ってしまった。もうこれ以上同じ話題を振るなという雰囲気を出しているのは明白だった。



事態が急転したのは次の日に冬弥が酒のつまみにきゅうりを冷蔵庫から取り出そうとしたときだった。


(何だこの量…)


ありえないほど大量のきゅうりとトマトが野菜室にぎっしりと詰まっていたのだ。しかし、冬弥の記憶では最近一度も食事の際にきゅうりとトマトが出されていない。これには冬弥も陽依に対して疑念を抱かざるを得ない。


(まさかとは思うけど…、陽依が精霊馬を置いている犯人なのか?)


「ピーピーピーピー」


長時間冷蔵庫を開けていることを知らせる音が部屋中に響き渡る。すぐに冬弥は冷蔵庫の引き出しを締まったが、少しの間はその引き出しから手を離せないでいた。


(よし決めた。陽依が外出するあとをつけてみよう。それで陽依を疑うのはこれっきりにしよう)



 そう決意した翌日の朝、冬弥はいつもより早く六時に起床した。眠い目をこすりながらベッドから立ち上がりリビングへと向かう。そしてソファに腰を掛けてテレビの電源をつける。朝のニュースを眺めているときゅうりを使った夏バテ対策料理なるものが紹介されていた。


 (きゅうりか…、あれ、そういえば起きてから陽依を見てないぞ)


 もしや、と思い玄関にいってみると、冬弥の嫌な予感が的中していた。陽依の靴がないのだ。冬弥は焦っていた。もし、今日陽依を追うことができなかったら、二度と同じチャンスは訪れないからだ。なぜなら今日は八月十六日、冬弥のお盆休暇の最終日である。

 急いで服を着替えてサンダルを履き玄関を飛び出す。走りにくいサンダルを選んでしまったせいでどうしても全力を出せない。かといって今更他の靴に履き替えるという選択肢は無かった。

 夢中で走っていると、例の空き家に到着した。恐る恐る塀にある穴から庭を除いてみると、そこにはやはり陽依の姿があった。息をひそめて観察していると、きゅうりとトマトをバッグから取り出した。すると陽依の周りに何か生き物らしきものが五匹ほど集まってきて各々がきゅうりやトマトにかぶりついている。すこし距離があるためはっきり見えなかったが、その生き物が何かは到底見間違うはずがない。


 (あれは…、猫?)


 陽依が戯れているのは猫に他ならなかった。


 (つまるところ、精霊馬は陽依が置いた猫のための餌だったってわけか…)


冬弥は何も危険なこともなく安堵すると同時に、魔物に出会えるのではという淡い希望が完全に消えてしまい残念でもあった。しばらく楽しそうに猫たちと戯れる愛妻の姿を眺めて、冬弥は家にかえった。


 (あんなに幸せそうな陽依をみたのは久しぶりな気がするな…。俺も猫に負けてられないな、帰りに陽依の好物でも買って帰ろうか)


 後日、冬弥は猫について調べていると、“猫の食べてはいけないもの”の中にナスがあることを発見した。精霊馬がきゅうりとトマトで作られていたのはそのためであろう。



 世の中にはたくさんの謎がある。近所で有名な心霊スポットなんて日常的なものや、妻の機嫌の取り方といった難解なものもあり様々だ。謎を解決したとき、そこにある解は自分の期待したものであるとは限らない。例え期待外れな解だとしても良いのだ。それを導くまでの過程が何より楽しいのであり、宝物なのだから。







 そういえば、上から石を落としたのは誰だったんだ?

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