マスクと尊厳

真花

マスクと尊厳

 友人の勧めるままに動画配信サイトにアクセスして、動画を試聴した。

 「マスクと尊厳」と言うタイトルだった。

 真っ暗な中に足音、スポットライトに照らされる壇上に三十代くらいの男性。一礼してマイクを構える。

「皆さん。新型コロナウイルスとの戦いの生活の中、どうしてマスクをするか、考えたことはありますか? みんながしているからする、でもいいですが、一つここで考察してみましょう」

 配信動画にしては珍しい、話すだけの動画のようだ。

「一つ。感染をしないため。これに関してはウイルスではほぼ無意味なこともご存知だと思います」

 知ってる。ウイルスの感染防御力はマスクは非常に低い。

「二つ。感染をさせないため。この効果はかなりあります。自分が保菌者である可能性があると常に考えて、感染を拡散させないためにマスクをすることには公衆衛生上の意義が十分にあります」

 その通り。攻撃力低下の効果は素晴らしい。

「三つ。周囲の視線から自分を守るため。自分だけマスクをしていないと、非国民のような視線、もしくは感染源扱いの視線と行動を他人に取られます」

 敵ではないと言う意志表示のようなものだよね。これもあるのは知ってる。

「四つ。感染、社会の両面からの不安を覆うため。不安は自分自身を矮小化させる感覚を伴います。それをマスクを付けることによって埋める行為と言えます」

 今のような状況じゃなくてもマスクをこの理由で付けている人は居るから、これも納得出来る。

「ここまでは一般的なマスクを付ける理由です。ここに、第五の理由を示したいと思います。それは、マスクを付けることには、今の状況に限って言えば『尊厳の傷付きにバランスを与える効果』があると言うことです」

 ここまで明快だったのに急にまどろっこしい感じになって、私は眉を顰める。

「尊厳とは、『その人が当然出来ると思っていることが、出来なくなる、失われる、奪われる、そういったときに傷ついたと感じるもの』です。このような表現をするのは、尊厳が保たれているときには自分の尊厳について感じることも考えることもないからです。尊厳は傷ついて初めて認識される、しかし重要な人間の感覚です。尊厳が傷つく代表的な状況が、障害を持つことと暴力や差別を受けることです。当然出来ると思っていた行為、例えば排便をする、歩く、食べる、朝起きる、などが出来なくなったときと、自分が出来る筈のことを暴力や差別で奪われたときが、主な状況です。しかし、他者由来であり理不尽であることは必須の要件ではありません。これらの状況では経済的、社会的、心理的、一部では身体的不利益を被ります。それらの不利益とは別の次元のものとして、尊厳が傷付くのです」

 当然出来ると思っていること。それから感じる尊厳。なるほど。

「傷付いた尊厳は、時間と共にこころの本体に馴染んで吸収されていきます。しかし、傷痕として永遠に消えません。いつしかそれがあることが前提となった日々を送るようになります。これは逆の視点で言うと、普通の毎日を重ねることが、尊厳の回復には必要なのです。さて、ここで現在の私達の状況を考えてみて下さい。『当然出来ると思っていること』を奪われていますよね? 外出やいつもの仕事です。私達は、ウイルス自体よりも社会的な対応にだとは言え、パンデミックによって尊厳を傷付けられているのです」

 この視点はなかった。でもだからどうなの?

「その傷付いた尊厳のバランスを取ることに、マスクが効果を発揮しています。バランスを取ると言うのは、傷付いた尊厳を回復させる訳ではなく、傷は傷のままに、それがあってもやっていけるような釣り合いを取れる何かを提供するから、こう表現しています。傷付いた尊厳がバランスされるものは、共有されている使命感や信じられる価値観です。今、マスクにはこの効果があると考えられます。つまり、コロナと戦うと言う使命感が共有されていることをマスクを付けることによって表明することが出来るのです。ピンクリボンのようなものとも言えます。だから、マスクによって傷付いた尊厳がバランスされるのです。また、同じ社会状況で同じようについた尊厳の傷痕は事態が終わった後にも連帯を強めます。同じ時代を戦った同士となります。すなわち、今共にマスクをしている分だけ、仲間になっていきます」

 尊厳のために、マスク。そうかも知れない。さっきの四つのだけでは説明出来ない部分を尊厳が補っているよう。

「余談ですが、だから政治家がマスクをすることに苛立ちを覚えます。彼等は、それが存在意義であるとは言え、私達の尊厳を傷付ける方策を行った張本人だからです。でも、彼らも同じ人間です。そして私達とは違う形で戦っています。だから、マスクをさせて下さい。そして、尊厳であると言う観点では、さらに非国民的な人に攻撃をしがちになると思います。国の一大事と言うことは、戦争中になったのと同じです。経済的な痛みや心理的な痛みを分け合うよりも、尊厳の傷を分け合う方が静かにしかし根強く効くので、ぶつかり合いが生まれ易いです。そしてこの傾向は長期化する程に強くなります」

 じゃあ、どうすればいいのか。いや、結論は最初から出ている。

「マスクを持っている人は最初の四つだけでなく、尊厳の観点から、する方がいいです。自分は同じように尊厳を傷付けられている仲間なんだと示した方がいいです。ですが、トラブルを避けることよりもっと重要なのは、ご自身の尊厳が傷付けられていると言う認識を持ち、そこに対処をすることです。それには、奪われていない『当たり前に出来ると思っていること』を味わいながら行うこと、既にあるものや代替の何かを楽しむこと、そして使命感を胸にその象徴のマスクをすることです。大事なのは、この状況下であっても楽しんでいいこと。これを忘れてはいけません。楽しいと言う感覚こそが尊厳を力強くするものです。楽しむことと、マスク。その両方が処方です。……以上でマスクと尊厳についての話を終わります」

 男が一礼して照明が落ちて、動画は終わった。関連動画が表示されたが見る気は一切起きず、アプリを閉じる。

 男が語ったことは限りなく真実のように思えた。私は医療従事者なので平日は普通に仕事に行っているが、夜も休日も窮屈に過ごしている。それは皆が共有している不自由だからと理解したついでに、家の中で楽しむことにブレーキをかけていた、それが私の今の正体だ。少しづつ擦り減るように気持ちがギスギスして来ていたことを認めないといけない。何をしても、仮、のような感覚は、楽しんではいけないと言う無意識の自制によるものだった。そうに違いない。私の尊厳は分かり辛くしかし確実に蝕まれていた。

 私は部屋の中を眺め、目に止まったピアノに向かう。楽譜の束からJ-popのコード譜を一冊取り出して、パラパラと捲る。

 これまで一度も歌ったことがない、だけど散々街でテレビで聴いたからきっと歌える、SMAPの「世界にひとつだけの花」が、今に必要な気がして譜面台に据える。

 馴染みのイントロを弾いただけで涙が出て来る。彼等が本当は何者だったか知らない、だけど、彼等は象徴だったのだ。こういうときこそ、必要なのに。

 Aメロ、Bメロ、サビ。涙声のまま歌う。次第に溢れた分だけ胸が軽くなって、二番になる頃には涙は止まって、最後にイントロと同じメロディーがあったから、お腹いっぱいになるまで繰り返した。

「歌、いつぶりだろう」

 十曲くらい歌い弾き続けて、汗だくになったところで終わりにして、シャワー。体の中に滞っていたものが流されるみたいで、本当に久しぶり、さっぱりした。

 髪を乾かす間にも、トトロの歌を口ずさんで、すっかりパジャマになってからベランダに向かう。

 煙草の吸える場所がたくさん奪われたのも、尊厳を傷付けるのかな。煙が流れてゆくのを目で追って、空は繋がってるからどこかのコロナと私の煙は出会うのでしょう、戦おうみんなと。伸びをひとつして、部屋に戻った。


(了)

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