ティーンエイジシンフォニー

平野武蔵

スパイダーマン(スパイダーと呼ばれた男)1992年7月24日

1992年、ロックシーンは世界的に(と言っても先進国においてだが)盛り上がりを見せていた。


アメリカでは、ニルヴァーナ、パール・ジャム、スマッシング・パンプキンズといったグランジと呼ばれる新興勢力がメインストリームに居座るハードロック勢を蹴落とそうとしていた。


イギリスでは、ブラー、スエード、マニック・ストリート・プリーチャーズなど英国ロックの最良の部分を継承するバンドが次々と登場し、来たるべきブリット・ポップの胎動を響かせていた。


日本では「いかすバンド天国」なる深夜放送のテレビ番組がアマチュアバンドの登竜門となり、ブランキー・ジェットシティ、たま、ジッタリンジン、人間椅子など個性と実力を兼ね備えたバンドが次々とメジャーデビューを果たした。


当時、高校3年生だった僕は、スリーピースのロックバンドでギターとボーカルを担当し、「スパイダー」というライブハウスを拠点に定期的にライブを行っていた。

地元では最大の収容人数(といっても200人ぐらいだが)を誇るライブハウスだった。


ここの支配人(みんなはマスターと呼んでいた)はスキンヘッドで、口の周りに髭をたくわえ、昼も夜も常にサングラスをかけ、肩から二の腕にかけて蜘蛛の巣のタトゥを纏まとっていた。

ライブハウス「スパイダー」の由来であり、彼自身もスパイダーと呼ばれていた。


その風貌はどう見ても堅気には見えなかった。バンドの仲間内ではヤクザだというのがもっぱらの通説だったが、真相は定かではなかった。もっとも外見からすると日本的なヤクザと言うよりはアメリカのギャングに近かった。


そのマスターがなぜか僕にとても目をかけてくれた。理由は後で知るのだが(ちなみ彼はゲイではない)それまではずっと不思議でならなかった。


初めて「スパイダー」を訪れたのは、1991年の夏休みだった。ライブの予約を入れるために直接出向いた。


当時のアマチュアバンドは自分達でハコを予約し、チケットを作成し、それを売ってライブの費用に当てた。


ほとんどのバンドは友達にチケットをタダで配って観に来てもらうか、義理で買ってもらうかしていたため、金を払ってライブをやるようなものだったが、僕たちのバンドはチケットが売れた。

ライブハウスやレコード屋にチケットを置いてもらうのだが、ライブをやる度にいつもソールドアウトだった。


欲が出て少し大きいハコでやってみたいということで、対バン仲間から紹介されたのが、当時できたばかりのライブハウス「スパイダー」だった。


いつもならメンバー3人で予約に行くのだが、その日は僕一人だった。なぜかはよく覚えいていないがドラムのテツオは高校を退学し昼間は働いていたし、ベースのケンイチはバイトか何かだったのだろう。


一人で行くのは構わないのだが、対バン仲間からあそこのマスターはヤクザらしいと聞いていたので行く前から少し緊張したのを覚えている。


8月4日の午後だった。

日付を覚えているのはその日が誕生日だったからだ。

扉を開けて中に入ると、薄暗いフロアは人気がなく静まり返っていた。スタンディングで200人はゆうに入るフロアが広がり、その向こうにステージがあった。両端の壁にはストーンズやジミヘンやボブ・マーリーやオールマン・ブラザーズバンドの巨大なパネルが掲げられていた。


左手にドリンクを提供するカウンターがあり、その向こう側にいたのがマスターだった。ダウンライトに浮かび上がるそのルックスは話に聞いていた通りだったので、すぐにわかった。


近づいていくと、彼はサングラス越しに僕を観察するように見た。

敵対するヤクザの若い衆と思われたかと勘繰かんぐり(そのような格好はしていなかったと思うが)あわてて、ライブの予約に来たことを告げた。


マスターは頷いて、カウンターのスツールを顎で指した。

座れということだ。

僕ら近づいていき、腰を下ろした。


「何飲む?」


「ライブの予約に来たんですが…」


「それはもう聞いたよ」


コーラを頼んだ。

しかし、目の前に置かれたのは2人分のジョッキビールだった。

マスターは自分のジョッキを手にした。


「乾杯」


わけがわからなかったが、誕生日だった僕には乾杯する理由があった。


「お前、いくつになった?」


まるで今日が僕の誕生日であることを知っているような口ぶりだった。

あるいは、年齢確認ならばビールの提供前にすべきだった。

正直に17歳だと答えた。

マスターは頷いただけだった。そして、クルミやアーモンドやカシューナッツを小皿に入れて出してくれた。


しばらくの間、特に会話もなくビールを飲み、ナッツをつまんだ。

サングラスをかけているため彼の表情は読み取りにくかった。物思いに更けているように見えなくもなかった。


落ち着かなかった。当然だ。他人の家に上がり込んでビールをごちそうになっているようなものだ。

ライブの予約に来たことは2度告げた。3度目を言うのは気が引けた。


「で、いつだ?」


私の胸の内を察したかのように、マスターが口を開いた。

余りに唐突だったのでつい、は?という言葉がもれた。


「ライブだよ。予約に来たんだろ」


「あ、はい。8月18日は空いてますか」


「2週間後じゃねえか。チケット捌き切れんのかよ」


マスターはB 5サイズのスケジュール張をカウンター下から取り出した。


「何とかします」


「大した自信だな」


開かれたスケジュール張は見開きで1ヵ月分のカレンダーが見渡せた。

ちらっと見たところ、8月18日にはバンド名と時間が書き込まれていた。

まあ、よくあることだ。第2、第3希望日は決めてあった。


「もし、その日がだめなら・・・」


「空いてるよ」


「へ?」


マスターはすでに記入されていたバンド名を二重線で消した。


「空いてるんですか?」


「そう言ったよ。バンド名は?」


名前を消された憐れなバンドはどうなるんだろうと思いながら、バンド名と自分の名前、連絡先を言った。


彼は書きつけた文字をしばらく睨んでいた。まるでケンカを売るみたいに。


使用料を聞くと彼は肩をすくめた。


仲間からはキャパが大きいだけに相場より高いと聞いていた。あとからぼったくられるのが怖かったので金額入りの見積書を頼んだ。その辺はこちらも慣れたものだった。


「面倒くせえなあ」


マスターはブツブツ言いながらカウンターの引き出しから手書きの複写になった見積書を取り出した。


「ほらよ」


手渡された見積書には走り書きで¥10,000-と記入されていた。相場より一桁少ない数字だった。書き間違えたのだろう。


「十万ですか」


「そう書いてあるか?」


「一万円て書いてありますね…」


「そう書いたつもりだけどな」


そもそも一万円と言うのはあり得ない、タダ同然の使用料だった。何か裏があるにちがいない。


「一万円て、いくら何でも安すぎですよ。せめて十万は取ってもらはないと」


「学割だ」


「学割って…」


学割があるなんて聞いてなかった。


「ウダウダうるせえな。俺がいいつってんだからいいんだよ」


結局、裏はなかった。

我々のバンドが使用料として払ったのは本当に一万円でそれ以上は後にも先にも請求されることはなかった。


これがマスターとの初めての出会いだった。


このときの彼の振る舞いはいちいち不可解だったが、その理由はしばらく後で知ることになる。

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