カンパ
カンパという言葉は今どれくらい使われているのだろう?
ロシア語のカンパニアが語源で、意味は、大衆に呼びかけて資金を募ること。
要するに募金活動だ。
僕が当時通っていた工業高校では、伝統的にカンパがあった。
新入生は入学してから1ヶ月間、3年生に毎日カンパをするというものだった。
最低10円、上限はない。それを毎日。
一年生は全部で400名以上はいただろう。
1人10円、全員が寄付すると1日4000円。
それを何人で分けるのかは知らない。
指示をするのは3年生の不良グループだが、彼らが1年生の不良を使って集めさせるのだ。
不良の世界は縦のつながりが強い。
同じ中学に通っていた先輩後輩の関係が高校でも続く。
中学の先輩が高校に入ってからもボスとして君臨していれば、後輩はそのコネでデカい顔ができる。
政治家の派閥みたいなものだ。
そんなわけで、3年の中心的不良グループが中学時代の後輩を使ってカンパを募る。
カンパを断れば、殴られる。
3年生にではない。
1年生にだ。
指示役の3年は表に出てこない。
汚れ役を買うのは末端の1年生だ。
こんな馬鹿げた伝統がこの高校ではずっと続いてきたのだと後から知った。
誰が始めたのかはわからない。
今の3年生も1年のときにはカンパする側だったわけで、やられたらやり返すの精神で自ずと続いてきたのだろう。
続いてきた、と書いた。
続いている、ではない。
その伝統は途絶えたからだ。
誰が始めたのかは知らないが、誰が終わらせたかは知っている。
入学して2日目、昼休みの時間だった。
僕は教室で「バンドやろうぜ」という雑誌を読んでいた。
僕の席は廊下側の前から3番目だった。
教室は賑やかだった。
クラスメイトはお互いに少しずつ打ち解けていった。
明日の昼飯を賭けてポーカーや花札に興じる奴もいた。
僕は人に打ち解けるには時間がかかるので、昨日、今日とクラスでは一言も口をきいていなかった。
「カンパして」
声とともに布の袋が雑誌の上に置かれた。
読書を妨げる置き方だった。
袋は左右のひもを引くと口がきゅっと閉じるやつだった。
猫の絵がプリントされていた。
猫は詰襟の学生服に日の丸の鉢巻をしていた。
なめんなよ、と書かれていた。
なめ猫が流行ったのは今から10年以上前だ。
袋はすでにたっぷり小銭を喰らい膨らんでいた。
僕は訳がわからなかった。
このとき僕はこの高校にカンパの伝統があることを知らなかった。
なぜ雑誌を読む邪魔をされ、募金袋が差し出されるのか理解できなかった。
「カンパ」
もう一度声がした。
無反応への苛立ちを聞き取ることができた。
顔を上げた。
眉を細く剃り、額に大きく剃り込みを入れていた。
詰襟にIのピンバッジを付けていた。
一年生だった。
彼に表情はなかったが、静かなる威圧感があった。
カンパしないと後悔するぞ、というメッセージを無言で伝えていた。
僕は首を横に振った。
なぜ同じ一年に金を脅し取られなければならないのか?
バックに3年がついていることはこの時知らなかったが、知っていたところで払うつもりはなかった。
彼は僕の胸倉を掴み、無理やり立たせた。
背は僕より小さかったがすごい力だった。
「聞こえてんのか?」
武力行使に出るのが早かった。
経験で培われたマニュアルなのだろう。
暴力がいよいよ現実のものとなれば痛みを回避するために金を払う。
だが、僕にはどちらも受け入れ難かった。
痛みも金も。
では、どうするか。
などと考えているうちに相手が僕を押し、教室の壁に打ちつけた。
大きな音がして、教室内が一斉に静まり返った。
そこにいた全員がこちらを振り返った。
続く男の恫喝。
「カンパしろって言ってんだろ!」
これで全員が一瞬にして何が起きているのか理解したわけだ。
これもマニュアル通りなのかも知れない。
「カンパ」
男はタバコ臭い息を吐いて、次の一手の前に言った。
しかし、そこまでだった。彼の背後から僕のクラスで1番大きい男が近づいてきた。
彼は男の肩に手を置いた。
男は振り返った。
次の瞬間、顎を殴られ、意識が飛んだ。
彼は持っていた袋を床に落とし、足元から崩れ落ちた。
前のめりに倒れ、気を失った。
何枚かの硬貨が袋からこぼれ床に散らばった。
「大丈夫か?」
テツオと口をきいたのはこの時が初めてだった。
僕は首を縦に振った。
「俺も読んだよ」
何を言ってるのかと思った。
「それ」
僕が読んでいた「バンドやろうぜ」のことだった。
「ああ」
間の抜けた返事しかできなかった。
テツオは振り返った。
別のひとりが教室の一番奥の列ですでにカンパを募っていた。
集金は順調だったようだ。
「袋置いて出ていけ」
そいつは目の前の生徒の机に袋を置くと足早に出て行こうとした。
が、テツオが呼び止めた。
「こいつ、連れてけ」
床に横たわる男を足蹴にした。
「カノウくん」
彼は男を仰向けにすると名前を読んだ。
男は目を覚ました。
何が起きたのかわからない様子だった。
そばに立つテツオを見上げて、状況を理解したようだ。
彼は近くの机に手をかけて立ちあがろうとした。仲間が手を貸すと振り払った。
カノウと呼ばれた男はよろめきながら教室を出て行った。
ティーンエイジシンフォニー 平野武蔵 @Tairano-Takezo
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