ライブ@スパイダー1992年8月4日

ライブは大成功だった。

告知から2週間でチケットを売り切り、会場は満員御礼となった。

ネットもSNSもない時代、情報はそう簡単に拡散などしなかった。

チケット販売は地道な販促活動によった。

友達が友達に、その友達がそのまた友達に、といった具合だ。

電柱にチラシを貼る。

CDショップにチケットを置いてもらう。

アナログ時代の足を使った営業活動。


スパイダーもライブハウスの外にチラシを拡大パネルにして貼り出してくれた。

光沢のある巨大パネルで素人の作りでないことは明らかだった。それをほぼ1日で仕上げていた。


どうやったんです?


こう言う商売やってるとな、コネがあんのさ。


客がはけ、片付けも掃除も済んだライブハウス。

シャッターは閉じられ、スタッフはすでに帰っていった。

祭りの後の静けさ。

いや、静けさと言うのは大袈裟だ。

爆音と歓声に埋もれた後だから静かに感じるだけだ。

僕たちはカウンターに座り、スパイダーとビールを飲んでいた。

今日のライブの成功に僕たち自身よりスパイダーの方が興奮気味だった。


お前ら一体何者だ?こんなにチケット売れるアマチュアバンドなんて初めてだぞ。


そんなことを言いながら、まるで僕らを引き止めるみたいにグラスが空いた側から注ぎ足した。


どんなバンドだってそうだろうが僕らだって一夜で花が咲いたわけではない。

高校1年のときから継続して練習をし、ライブを繰り返してきた。その結果にすぎない。

ほとんどのバンドは途中でやめるか、離合集散を繰り返し名前を変えるか、とにかく続かない。

そんな中、僕らは同じメンバーでここまでやり続けてきた。

演奏は上達し、メンバーには阿吽の呼吸、化学反応が生まれ、オリジナル曲はライブで客の反応を見ながら都度修正を加え、時間をかけて磨き上げていった。

地道なライブ活動にいつしかファンが付き、話題になり、ライブをやれば頼まなくても人が来るようになった。

才能があったかどうかはわからない。

ただ他のバンドより長く歩いたからこそ見ることのできた景色で、それだけのことかも知れなかった。


「あの、支払いをしたいのですが…」


僕は言った。


使用料10,000円と言うタダ同然の見積を事前に提示されていたが、もしかして今飲んでいるビールでぼったくるのではないかと思い、切り出した。


「金なんていいじゃねえか」


スパイダーはビールを煽り、グラスをカウンターに音を立てて置いた。

ヒゲにビールの泡がついていた。


僕たちは顔を見合わせた。

スパイダーの言ってることが分からなかった。


「正直言って」


スパイダーはビールを一口飲んだ。


「アマチュアバンドのライブなんてつまんねえのばっかりだ。人前で演奏するレベルにないのがほとんどだ」


ナッツを口に放り込んだ。

噛み砕きながら言葉を続けた。


「でもお前らは違う。感動を売ることができるバンドだ。実際、多くの客が金を払ってお前らを観にくる。このハコがここまで客で溢れ返ったのは今日が初めてだ。俺はそれを目の当たりにできた。金を払わなくちゃならないのは俺のほうだ」


そう言ってスパイダーは封筒を僕に差し出した。

中を見るとかなりの額の現金が入っていた。


「チケットの売り上げだ。そっくり入ってるぜ」


「困りますよ。いくらか抜いてくださいよ」


「提案がある」


唐突にスパイダーが言った。


「提案?」


まるで長年温めていた計画をついに口にするような感じで彼は言った。


「お前らうちで演奏しねえか?」


「は?」


彼の提案とはこうだった。


ライブハウス「スパイダー」は夜はクラブとなった。

若者たちはアルコール片手に音楽に合わせて踊った。


飲みに来た客に聞かせる為に演奏すんのさ。

平日は学校があるだろうから週末だけでいい。

ギャラも弾む。


演奏場所を手に入れる。

金も手に入れる。

願ってもない申し出だった。


これまでは金を払って練習やライブの為の演奏場所を確保していたのだ。

ところが金をもらって演奏する場所と機会を提供されるのだ。


にもかかわらず、その申し出を素直に受ける気にはならなかった。

話がうますぎた。

スパイダーに会ったのは今日が2度目。

しかも彼は元ヤクザの噂があり、見た目も堅気には見えない。

そんな人物からうまい話を持ちかけられて二つ返事でOKするのは危険だと感じた。

世間知らずの高校生だってそれくらいの猜疑心と警戒心は持ち合わせている。


これはアメとムチだ。

まずはアメを与えて手なづける。

その後でムチを与える。

気づいた時にはヤクザの一員になっているかも知れない。


スパイダーの目を見た。

サングラスの向こうに隠れた瞳は除けなかった。


この男を信用してはいけない。

こんな暗い部屋で、正体を隠すようにサングラスをしている男を。


断ろう。


そう決心したときスパイダーがこちらの心を見透かしたように言った。


「疑ってるのか?」


僕は答えなかった。


「まあ、疑うのも無理はねえよな。俺みてえな奴からいきなりこんなこと言われてもな」


僕は黙っていた。

話す必要はなかった。

僕の思いを彼が代弁してくれたからだ。


「でもな、特に裏はねえよ。言った通りの提案だ。いやなら受けなくていいし、やめたくなったらやめてもいい」


「やろうぜ」


テツオが言った。


「こんな話、最高じゃねえか。裏があったってやらねえ手はねえよ」


一抹の不安を抱えながら結局その申し出を受けることにした。


もちろんこの話に裏がないわけはなかった。

真相が分かるのはもう少し先のことだった。

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