アップタウンガール 1992年8月9日
たいら駅は北口と南口で趣が大きく異なっていた。
北口はアップタウン。
小高い丘になっていて城跡があった。
かつては城があったが戊辰戦争で焼けてしまった。
今は地元の名士が多く住む住宅地だ。
僕の彼女もそこに住んでいた。
一方の南口はダウンタウン。
商業地域だった。
駅ビルがあり、駅から国道6号までまっすぐに伸びた表通りには服屋、カバン屋、靴屋、本屋、レコード屋などが建ち並んでいた。
裏通りにはおびただしい数の飲食店がひしめいていた。
この街はかつて炭鉱で栄えた。
全国から集まった炭鉱夫が心と身体を癒すためにここら辺りで酒と色を求めた。
僕が高校生だった当時、表も裏も通りは活気が溢れていた。
大手資本が流入して国土を均一化する以前の姿だ。
僕は南口から徒歩3分ぐらいのマンションに母と2人で暮らしていた。
母が経営するスナックも南口の裏通りにあった。
山手の女の子に恋する下町の男の子。
ビリージョエルのアップダウンガールじゃないが僕と彼女の関係は正にそんな感じだった。
僕は車を北口のロータリーに向かって走らせていた。
彼女を迎えるために。
でも家までは行かない。
保守的で厳格で裕福な民が集う地元の山手。
そんな地域に住むお嬢さんが高校生の運転するスポーツカーに乗り込もうものなら警察に通報されかねない。
だから僕はいつも彼女に下界まで降りてきてもらい、駅北口のロータリーでピックする。
彼女はすでに待っていた。
白いノースリーブのワンピースを着て、トートバッグを右肩に下げていた。
彼女の目の前で停車すると、助手席のドアを開けて乗り込んできた。
暑い空気が流れ込み、日焼け止めの香りが鼻を掠めた。
僕は彼女の重そうなバッグに視線を据えると、
「これ? 塾のテキスト。親には塾に行くって言って出てきたんだもん」
進学校に通う彼女は来春大学受験を控えていた。都内の大学に通いたいと常々話していた。
志望は僕でも知っている有名校だった。
一方、僕が通うのは工業高校で、ほとんどの生徒が卒業後は就職をした。
僕もその一人だ。もっともまだ就職先は決まっていない。就職活動を始めるのは夏休み明けだ。当時はまだバブルの只中で、高校が斡旋する企業の中から選ぶのであれば就職先に困ることはなかった。
「相変わらず目立つわねえ、この車」
母の赤いスポーツカーだった。
彼女が乗るのは2度目だった。
「何食べたい?」
ランチのことだ。
「暑くて食欲がないわ」
僕はギアをセカンドに入れた。
運転を教えてくれたのは母だった。
普段働いている母だが、時々僕のために時間を割くように努めてくれた。
そして、彼女なりのやり方で僕とコミュニケーションを取ろうとしてくれた。
それはときに車の運転やタバコの吸い方、麻雀の打ち方を教えるという形をとった。
どうせすぐに経験するんだから、知っておいて損はないというのが母の考えだった。
アクセルを踏んだ。
腹が空いてないなら無理に食べる必要はない。
僕たちは海に向かった。
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