魔女の柏木さん
四方山次郎
第1話
そんな彼女の正体を、ぼくは知っている。
彼女の正体は魔女なのだ。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
あれは2か月前のこと、国語の授業で漢字ドリルをやっていたときだ。決められた漢字を書くことに早々に飽きて、当時漫画で知ったばかりの「
左に顔を向けると一人の女子がぼくのノートを見ていた。
当時ぼくの隣の席だった柏木さんだった。
ぼくの視線に気づいた彼女はすぐに自分のドリルに取り掛かりなおす。
なんで見ていたんだろう。疑問には思ったが、そのときは大して問題には感じていなかった。
ある休日、妹と近所を散歩して柏木さんの家の前を通りかかったときだ。
柏木さん家の塀のひし形に空いた文様があり、その空間から敷地内が見える構造になっていた。ぼくはちょっとした出来心で覗いた。
そして真っ黒な服を着た柏木さんが太い木の棒のようなもので大きな
ぼくは目を見張った。
ぐるぐるとかき混ぜる彼女は疲れ気味であったが、笑みをこぼしていた。
ぼくは震え上がり妹つれすぐにその場を後にした。
あれはきっと何か良くないものを作っていたのだ。
そのときぼくの頭をよぎったのは以前読んだある小説の挿絵だ。黒いローブを羽織った長っ鼻の老婆がぐつぐつ煮える窯で毒を作っている場面だった。柏木さんはそれほどまでに鼻は長くないが、混ぜているときの含みのある笑みはそれと似た雰囲気を感じた。
そして、ぼくは気づいた。先日、彼女はぼくの書いた「呪」の字を見ていたのだ。おそらく、彼女が由来する魔女、それは日本における
そういえば彼女からはいつも不思議なにおいがしていた。彼女とすれ違う瞬間に鼻腔をくすぐるにおい。なぜだから落ち着けるそのにおい、きっとそれは魔女が作る秘薬だとぼくは考えた。ぼくがいつも授業中寝てしまうのもきっとそれのせいだ。
そして10月31日、ハロウィンの日。ぼくが彼女を魔女だと決定づける出来事が起きた。
授業の一環として、ハロウィンもしくは秋らしいものを創作してくるという宿題が出された。ぼくは大してやる気になれなかったため、近くの河川敷になっていたススキを何本も抜き取り、そのまま輪っか状に切り貼りした画用紙に張り付けた。これをかぶれば以前テレビで見た民族の被り物に見えるだろうと考えた。
授業中かぶっていたら友達に「インディアンだ! インディアン!」とはやし立てられたため、ぼくはノリに乗って被り物に「インディアン」と書き込んだ。
みんなそれぞれ秋らしいものを作ってきていた。中には秋の果実をふんだんに盛り込んだケーキを持ってきた女子もいたし、キリギリスやコオロギといった昆虫をこれでもかと虫かごに入れて持ってきて教室内でぶちまけた男子もいた。
そのなかで柏木さんはどうだったかというと、黒の魔女帽子をかぶってきていた。そして右手には竹ぼうき、左腕にはバスケットをかけている。
まさに魔女。ぼくは目を見張ってしまった。ほかにも魔法使いの格好をしたクラスメイトは何人もいたが、彼女の姿が一番しっくりときた。
「トリックオアトリート……」
彼女は控えめにクラスメイトにお菓子を要求する。
その様子は恥ずかしそうであった。
しかし、ぼくは誰よりも魔女らしいと感じる彼女の言動に恐怖すら覚えてしまった。
そんなぼくの恐れに気付いたのか、彼女がぼくのほうに振り向く。
そして、彼女もぎょっと顔をしかめる。ぼくは何かしただろうかと困惑する。
トリックオアトリートと言われていないが、とりあえずお菓子を渡す。
彼女は黙ってお菓子を受け取ると、じっとぼくの顔を見て小さな声で「今日放課後、校舎裏で」というと彼女はそのまま立ち去って行ってしまった。
ぼくはしばらく放心していた。
ぼくは今の言葉の意味を考えた。お菓子はくれたが、気に入らないから放課後にトリックするという意味だろうか。いや、彼女の目線はどこにむかっていたか。
それはぼくのインディアン帽子だ。
つまり……つまりどういうことだろう。
「おいおい、森永。もしかして柏木ってお前の“コレ”だったのか?」
クラスメイトがニヤニヤしながら小指を立ててくる。
そんな生易しいものではない。
なぜだかわからないが、ぼくのインディアン帽子が彼女の怒りを買ってしまったのかもしれない。
魔女の怒りを。
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「森永くんの字、すっごく汚い」
ぼくは
「それが気になっちゃって」
「え」
「今日、ハロウィンの授業のとき、『インディアン』って書いた帽子かぶってたよね? ごめんね。言葉は悪いんだけど、あの字、ちょっとね……」
「え」
「そういえば前の国語の授業のときの漢字練習もそうだったよね? 『呪』って字書いてたけど、あれもちょっと……言いづらいんだけど下手すぎて」
なぜ字なんかのことで魔女にこんなにけなされているんだろう、とぼくは思った。
「だから、練習しよ!」
「へ?」
だから、と彼女は言葉を区切り、「私が字の書き方を教える!」と大きな声で言った。
今までの無表情が嘘だったかのような、熱のこもった瞳を、ぼくは見た。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
ぼくの前にどさりと紙の束が置かれた。彼女に字の書き方を教えるといわれてからすぐさま彼女の家へと連れていかれた。
彼女の親は書道家であり、この家でも書道教室を開いているという説明を聞いた。
「私、習字やってるんだ」
「そうなんだね。ぼくも今から習字をやるの?」
「違うよ。ペン習字だよ」
「それって何が違うの……?」
「習字は毛筆で、ペン習字は硬筆なの。全然違うんだよ」
続けて彼女は「今の字のままだと大人になってから苦労するよ」とか「今のうちに直せばすぐにきれいな字が書けるようになるよ」と、ぐいぐいくるのでついぞペン習字の練習をすることになってしまった。
しかし、なんてことはない。“ペン”習字といってもただボールペンで書くだけのことだった。
結論から言うと、柏木さんは魔女でもなんでもないただの女の子だった。
彼女が黒い服を好むのも趣味である習字の墨汁汚れが気づかれにくいからだ。昔見かけた大きな窯で秘薬作りをしていたのも、ただ単に大きな筆で多量の墨汁をかき混ぜていたに過ぎなかった。
なんてことはない。
ただ、少し字にうるさい性格らしく、汚い字を見ると黙っていられないらしい。2か月前にぼくのノートを凝視していたのも、ぼくのインディアン帽子を見て顔をしかめていたのもともにぼくの字が汚いことが原因らしい。
「私が魔女だと思ってたの?」
柏木さんは正座し、少し前かがみになりながら筆を
流れで彼女が魔女ではないとわかっていたが、ぼくは恥を忍んで直接聞いた。
「うん」
ぼくが正直に肯定すると彼女は顔を緩める。
「私そんなに魔女っぽいかなぁ。まあでもおばあちゃんあんなんだしね」
先ほど柏木さんのおばあちゃんがお茶を持ってきて「久しぶりのお友達だね、ウェッヘッヘッヘ」と不気味に笑うものだから本当に魔女かと思ってしまった。
「手、止まってるよ」
ペン習字の手が止まっていることを指摘されてぼくは言い訳をする。
「ごめん、集中力がないんだぼく」
「そうなんだ。じゃあ、そんな森永くんにはこれあげるね」
彼女はそういうと今書いたばかりの紙を渡してきた。
「……これ、なんて読むの?」
「『
「コトダマ?」
「言った言葉の意味が現実的にも影響するってこと。森永くんにこれあげる。そうすることであなたにこの言霊が宿るの。つまり、森永くんは鍛錬したくてたまらなくなるってこと」
「魔法みたいだね。だけど、今全然そんな気がしないんだけど」
「そのうちするようになるよ。私は魔女なんでしょ?」
ニコニコしながら冗談をいう柏木さんを見て、彼女は普段からこんなんだったか? と違和感を覚える。
柏木さんはぼくが不思議そうにしていることに気付くと、真顔になり咳払いする。
「ごめんね。うちに友達が来るの久しぶりでつい。みんな書道なんかに興味ないから」
ぼくも無理やり連れてこられただけだしなんならやってるのはペン習字なんだけど、と思ったけど口には出さなかった。
その後は黙々と作業を続けた。灰色の線をなぞって書くだけの作業、すぐにでも飽きてしまう。それに、この場のにおいのせいだろうか。非常に落ち着いてきて眠くなる。
これはそうだ。彼女がいつも発していたにおいに近い。
どうやらぼくは墨汁の香りで穏やかになるタイプらしい。
「ちょっと席外すね」
しばらくして、柏木さんがそう告げ、ガラス戸の向こう側へ消えていった。
眠りかけていたぼくは生返事をして目をこすり再度作業を開始しようとする。
しかし、何やら隣の部屋で柏木さんがどたばたとやっているらしく騒がしい。
なんだろうと半開きのガラス戸ごしにのぞいてみると、そこには壁全面にブルーシートがかけられた6畳ほどの畳部屋、そしてその中心で仁王立ちする柏木さんの姿があった。
部屋には先ほど使っていたものとは比較にならないほど巨大な文鎮と下敷き、そして書道半紙が敷かれていた。その前には漆黒のワンピースの柏木さん、
突如、柏木さんが筆を持ち上げ、勢いよく窯に突っ込んだ。墨汁が跳ね、彼女の服を、ブルーシートを汚す。窯のふちで余分な墨汁を取った後、今度は半紙に強く打ち付ける。彼女が筆を動かすたびに墨汁があたりを黒く染め上げる。それでも彼女は気にせず筆を揮い続ける。
何より筆を振りぬき、書道半紙に突き立てるその勇ましい姿に、ぼくはしばらく釘付けになっていた。ガラス戸の隙間から風と共に
ふと、この前読んだ小説に出てくるドラゴンを狩る巫女が現実にいるとしたらこんな感じなんだろうか、と思った。
「すごいね、柏木さん」
筆を揮い終わり放心している彼女にぼくが感想を投げかけると、彼女はびくりと体を震わせ振り返る。
「見てたんだ……」
「うん」
「寝てるかと思った」
「ごめん、覗き見ちゃって」
「ううん」
ばつが悪そうな表情をする柏木さんだったが、小声でありがとうとつぶやいた。
しばらく無言が続いてしまう。
なんて言葉を出せばいいかわからない。でも何か言ったほうがいいということはわかる。彼女のあの釘付けになった動きをなんといえばいいのだろうか。
「すごく、すごく……かっこよかったよ!」
結局、単純な感想しか出てこなかった。
一瞬、柏木さんは口をとんがらせて細めた目でこちらをにらむ。
「ほんとは、あんまり見せたくないんだけどね。この姿」
「なんで? あんなにかっこよかったのに」
「私にはまだまだ満足できたものじゃないし。それに……」
「それに?」
「身だしなみがちょっとね」
確かに、オーバーな動きをしていたからか墨がそこら中に飛び散り墨汁のにおいを充満させている。彼女の格好も、漆黒のワンピースであるから衣服の乱れや汚れはないがよく見ないと気づきにくいが、全くないというわけでもない。息も上がり額には汗も見える。
「でも、今の柏木さんすごくかっこよかった。ぼくは好きだよ」
ぼくの言葉に柏木さんはきょとんとする。そのあと、いつものように口をとんがらせそっぽを向く。いつもと違うのはやや頬を赤らめているところだ。
「何か、書いてほしい字とかある……?」
彼女はこちらを見ずにそう問う。
書いてほしい字。特にはないけど、と言いそうになるが慌てて口をつぐむ。
「あの字を書いてもらいたい」
ぼくはあの単語を口に出した。柏木さんは「本当にそれでいいの?」とほほ笑む。
そして、再度始まる。柏木さんの筆さばき。それはまるで踊りだった。こういうのを演舞というのだろうか。揮うごとに彼女の世界が少し、また少しと広まっていくようだ。この、墨汁のにおいに満たされた世界は、ぼくにとってもとても居心地が良いものだった。
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「もし、嫌だったら遠慮なくいってね」
帰り際、ペン習字練習用の用紙をたくさん持たせた彼女はそう告げてきた。
「これまで何度も友達誘ってきたけど大体変な言い訳して来なくなっちゃったし。それだったらはっきり言ってくれたほうが嬉しい」
そう言う彼女は少し寂しげであった。
「うん、わかった」
「もっと本格的なことするってなったら月謝とか必要になってくるからそのときも一声かけてね」
「……習字は」
ぼくは思い切って聞いてしまった。柏木さんは「え」と呆けた顔をする。
「もし習字を習いたいっていったら、どう……?」
彼女は目を見開いて、そして言葉を探すように目を左右に振り、不器用な笑顔を見せた。
「もちろん、大歓迎だよ!」
柏木さんに書いてもらった大きな『呪術』という字を部屋に飾ろうとしたら両親に大反対され、仕方なく最初にもらった『鍛錬』の紙を
『呪術』のほうは机の引き出しに仕舞ってある。
布団に寝転がっていたぼくは、起き上がりもう一度引き出しから半紙を引っ張り出した。いくつにも折られている紙を広げ、その字を見つめる。
荒々しく、はっきりとした意志を感じさせる字だと思った。
普段の物静かな彼女からは想像もつかない。いや、もしかしたら時折見せる口をとんがらせ目を細める彼女の心情はこんなようなものなのかもしれない。
半紙に鼻を近づけ、大きく深呼吸をする。墨汁のにおいが肺いっぱいに広がる。やっぱりこのにおいは落ち着く。
『呪術』の半紙を仕舞ったが、なんとなく名残惜しくもう一度深呼吸をした。
墨汁のにおいなどしないというのに。
しかし、ほんのわずかにだが、墨汁のにおいが鼻腔をくすぐった。
一瞬、疑問に思ったが、すぐに「ああ、そうか」と納得した。
知らぬ間に『鍛錬』からの墨汁のにおいが少しながら醸し出されていたのだ。
ぼくは布団に戻らずに机に向き直った。
これもコトダマ、彼女の魔法なのだろうか。
そう思いながら、柏木さんからもらった練習用紙に手を伸ばした。
魔女の柏木さん 四方山次郎 @yomoyamaziro
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