君を奪う魔法の名前 痛覚/まなざし/囁く ――蠍と蕚
ツキリ、と頭が強い痛みを訴えた。わたしはそれを傍らの幼馴染に気取られないように、努めて平静を装った。
横目で確認する限り、彼は気づいていないみたいだ。
「ナレア、いよいよだね」
「……うん。法士の試験、やっと受けられるようになったんだもん。頑張って来るよ」
わたしが生まれた時、村は蜂の巣をつついたような大騒ぎになったらしい。お母さんからその話をよく聞かされた。そりゃあ、めったに生まれない、というか村の長老たちでさえ自分の村で出たという経験がなかった法士候補が生まれたんだもん。みんなびっくりするよ。
そうは、思うけど。
何度も何度も繰り返して聞かされるうちに、法士候補の肩書がだんだんと重荷になっていった。多分この頭痛も、そのせい。
法士候補は、不思議な術――理法を扱うことができる存在。法士は、その理法が満足に扱えると導師会に認められた法士候補がなれる。導師はそのさらに上。何らかの理法を極めたと認められてから初めて導師と呼ばれる資格を得る。
法士でも結構敷居が高くて、法士候補のままで一生を終えてしまう人もいるって聞いている。もしわたしがそうだったらどうしようって思っちゃうんだ。
「ウェルク」
「なに?」
ウェルクは、法士候補じゃないけれど、わたしとずっと一緒にいてくれた幼馴染。法士の試験があるこのエペシュにも一緒に来てくれた。だから余計に、かっこ悪いところを見せられない。
「ありがとね、ついてきてくれて」
試験会場の前で、彼に向き直る。ウェルクは瞬きをして、わたしの頭をなでてきた。
「いきなりだね。俺がやりたくてやってることだし、ナレアがお礼とかいう必要はないよ」
肩をすくめて返されて、わたしはちょっとだけ笑う。
「わたしも、言いたくて言ってるの」
それじゃあね、と言って、わたしは建物の中に入った。石造りで、アウレキ神を祀る神殿みたいだ。アウレキ神は技術の神様だから、法士が信仰するのもわかるかもしれない。
試験の内容は、座学、実技、面接。試験日自体は一日だけだけど、導師の方々の理法で時間が普通よりも早く流れるようになっているらしい。だから、体感時間で三日。
私は導師会が推奨している正規の学校に通ったことはない。……というか、村の皆の協力で本を見て学んだから、他の人よりも遅れているのかもしれない。そんな不安を抱えながら、三日間の試験に臨んだ。
「座学と実技は、まあまあかなあ……」
試験会場の隅っこで、わたしは長椅子に座って膝を抱えた。実技のときに言われたのだ。ずいぶん古風な理法を使うんだね、と。
古風かどうかはわからないけれど、言い回しとかが難解で、覚えるのに苦労した記憶がある。……不安、だなあ。
ツキリ、と頭が痛んだ。
「いたた……。ほんと、なんなんだろう。この頭痛」
すぐに治まった痛みへの疑問を吐き出しながら、わたしは立ち上がった。次は面接。体感時間だと朝だけど、今は世界は夕方だ。一日がかりの試験も終わりに近づいている。
面接の控え室にいくと、同じ
まるで自分たちの敵ではないとでもいうみたいに。
わたしはますます不安になって、ウェルクのくれたお守りをぎゅうっと握りしめた。
そして、わたしの番が来た。
「ナレアさん」
「はい」
「エチレ村の出身、ですか」
「はい」
「学校に通ったことは?」
「ありません」
そういう質問に答え続けて、最後に、今まで発言していなかった男の試験官が、わたしを見据えた。
「では最後に、法士適正検査を行う」
そのまなざしは、なにか、おそろしいもののようで……わたしはその瞳に魅入られ、恐怖し、そして……はっと気が付いた。
「い、今のは……」
「以上で面接を終わる。来月の初めに結果が出るので、それまで待つように」
男の試験官がそう締めくくったあと、視界が一瞬で切り替わって、わたしは試験会場の外に出ていた。こんな術も使えるのか、と気圧されながら、辺りを見渡す。案の定短い栗色の髪の男性――ウェルクの姿があり、わたしはほっとして駆け寄った。
「ウェルク!」
ウェルクがとびついたわたしを受け止める。わたしは何度も彼を呼んだ。呼びながら、わたしはずっと心細かったんだな、と気が付いた。
そして、気づいたら宿に着いていた。
「ナレア、お疲れ様」
「ウェルク、法士だったの?」
「……なんで?」
「だって、知らない間に宿に着いてたんだもん!」
ウェルクがはは、と笑った。わたしはその笑顔を見て、なんだか無性に泣きたくなった。
「……ウェルクぅ」
「なに、ナレア」
「わたし……」
ふと、思いとどまる。ウェルクにわたしのかっこ悪いところ、さらす……?
「何でも言っていいんだよ、ナレア。俺はどんなナレアでも大事だから」
「……ウェルク……」
心の中が、せめぎ合う二つの想いで揺れている。でも。
吐き出せないのは、つらい。
「……わたし、ずっと不安だった」
「そっか。君はエチレ村の希望だったものね」
「うん。それが重荷でつぶれそうで、だけど、村の誰にもこんなことは言えないし……っ」
ウェルクの手がわたしの手に触れた。それで励まされたように感じて、さらに続ける。
「不安で不安で仕方なくって、時々謎の頭痛も襲ってくるし、あんまり眠れない日とかも、あるし」
ぼた、ぼた、と涙が床に落ちていく。
「今だって、試験の結果が不安で不安で仕方がないの……!」
繋いでない方の手でウェルクに縋りつけば、彼は優しく背中をなでてくれる。
「もうやだ。……ウェルク、助けて」
「君をどうしたら、助けることになる?」
「わかんない。けど、ウェルクなら、きっと、助けてくれるから、」
――頭が、ひどく、痛い。
「……わかった。俺が、君を、助けるよ」
いつもならすぐに治まってくれるはずのそれは、むしろひどくなる一方で。
――俺の、
そうしてわたしは、ウェルクの囁きを最後に、意識を手放した。
――
――……
――――――――――――――――…………
ぼんやりと霞む頭で、誰だろう、と思う。栗色の髪の、良く笑う男の人。わたしはその人の名前をきっと知っていた。いいや、それ以上に、……いつだって、支えられていたような気もする。けれど今は……綴りの一文字目さえ、思い出すことができないでいる。
「そろそろ起きる頃合いだろう、エチレ村のナレア」
聞き覚えがあるような声に、目を開く。ああ。男性の試験官。……あの、怖かった人だ。
「念のため君に解呪の印章を授けておいてよかった」
「か……いじゅ?」
試験官の言葉に驚いて、声が出ないことにもまた驚く。わたしはなにをしていたのだろうか。
「厄介なものに目をつけられていた」
「……、それは」
「君が使っている昔の呪文。あれがなぜ廃れたか知っているか」
知らない。首を振る。そもそも、今の呪文も知らないのだ。
「あれは悪しきものが好む波長だった」
「悪しき、もの」
――あれは、悪いものだったのだろうか。わたしの中を探っても、そういう印象は一切なかった。あたたかい陽だまりのようで、あるいは、わたしという不安定な人間を支えてくれる、
「しばらくは記憶が混乱することだろう。あれはそういう生き物だ。そこで提案だが……君、私の塔に所属しないか」
その言葉に、ぽかん、としてしまう。塔に正式に所属できるのは法士の称号を賜った人間だけだ。
「あの、わたしは」
「ああ、そうか。ずっと寝ていたのだったな。合格しているぞ。君はもう
「ご、うかく……」
「そうとも。それで、どうだ。私の塔に来る気は?」
じわじわと、喜びが湧き上がってくる。あんなに不安だったのが、嘘みたいだ。
「ぜひ、お願いします!」
導師に、そう満面の笑みで返した。
その頃にはもう、あの栗色のひとは、記憶からほとんど薄れかけていた。
ss置き場 蜂矢 澪音 @HoneyRain
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