私が彼女たちと働くわけ

おこげ

第1話


 人々が健康で文化的な集団生活を送る、その基盤として設けられた社会というシステム。誰が言い始めたか、いつからかその型に嵌まった者のことを健常者と呼び、そうでない者のことを障害者や社会不適合者として区別してきた。


 普通とはなんだろうか。


 手脚の一本や二本が足りなくて何だと言うのか。身体の成長が遅ければ、脳の発達にむらがあるならば、それは恥じることなのか。優劣とは他人の評価だけで決めて良いはずがない。


 だがそんな彼らを疎ましく思う者たちは確かに存在する。心なき発言が障害者たちを傷付け、自覚の有無は問わずして数々の悪意が彼らを社会から遠ざける。居場所を奪われた者は他者に恐怖を覚え、外出することを極端に嫌ってしまう。心が参るのだ。




 かつての私もそうだった。小学時代、クラスにいたを車椅子に乗っているというだけで無視をしていた。

 障害者という言葉自体は知っていたが、それ以外のことは知らない。彼女がどういう事情を抱え、車椅子生活を余儀なくされているのか、深く考えようともしなかった。


 彼女はいつも笑顔だった。怒らないし泣かない。ただ困ったように眉尻を下げて、笑っていたのだ。

 そして私はそんな彼女に不快感を覚えていた。教室の隅にいる彼女の存在を異質に感じ、私や他の生徒たちとは違う生き物のように思えたのだ。


 周りが私たちみたいな人間ばかりだったからだろう。


 中学に上がる頃には、彼女の姿は見なくなっていた。




 無知は悪いことではない。誰でも間違いや誤解をする。時にそれが新たな切り口や重要な指針になりさえする。悪いのは無知のまま放置すること。自分の中の常識に齟齬が生じ、ストレスに感じるのを嫌って相手を排除する――どうしてストレスに感じるのか考えもせず、マジョリティに従い、社会の規範ルールにもたれ掛かって楽をする。楽とは楽しいではない、手を抜くということだ。生きることに楽をしているのだ。楽からは有は生まれない。失敗に眼を逸らす間は何も学べない。



 馬鹿にする者たちは理解していないのだ。彼ら――障害者が、類い稀なる才能の持ち主だということを。


 社会に縛られない自由な発想。

 驚異的な集中力。

 一定の物事に突出したセンス。 


 嫌々ながらも詰め込んだ教育課程を終えただけの、どの学問においても平凡な知識量しか保持しない――それでも社会に従順な人間と比較した時、どちらが自由で楽しい人生を送っているだろうか。




 こんな風に思うようになったのは、彼女との再会があったからだ。


 夢も目標なく漠然と生きていた私は、母に言われるままに四年制の大学を出て、急かされる形で都心部にあるIT企業に就職した。


 時間に追われる日々だった。

 給与も福利厚生も充実していたが、社員間には壁のようなものを感じた。会話は定型的で、そのくせミスには過敏に反応する。監視するような視線を毎日浴びて、私は息苦しさを覚えた。


 冷え切った社内に辟易するも仕事に対しては文句を言わずこなしていた。社会に染まるとはそういう事だからだ。


 サービスエンジニアだった私は、自社が提供するシステムが正常に機能しているかどうか点検をするため、担当案件であるクライアントの元を定期的に訪問していた。


 だがその日の訪問は普段とは違った。担当の社員が体調を崩して休んだため、急遽私が代行することになったのだ。

 とはいえ、やることなど大して変わりない。いつだって代えが利く業務なのだ。面倒だと感じながらも口には出さず、私は連絡先と所在地を確認すると、渋々とクライアント先へと向かった。


 訪問先は障害者から虐めによる不登校者まで、様々な理由で社会に不安を抱えている子どもや若者を支援する、特別福祉施設だった。そこでは個々の特性や興味に合わせたカリキュラムを提供し、彼らが将来自立できるよう応援する――横に広がる教育を実施していた。


 初めての顔だったからだろう。そんな事を施設の従業員が説明してくれた。

 正直作業の邪魔ではあったが、熱く真剣に話すその人がとても楽しそうで、私自身手を止めて聞き入ってしまっていた。と、同時に彼女の事もふと思い出していた。


 社会人になって無感動な日々を送っていたのもあったのかもしれない。久しぶりに頭に浮かんだ彼女の笑顔に、私は無性に羨ましく思ったのだ。そして遅れてやって来た、胸を刺すような罪悪感。


 若さゆえの過ちでは済まされない。私たち一人ひとりの悪意の蓄積が、彼女の自由を奪ったのだから。他人の人生を変えてしまった罪は重い。


 部屋を移動するなか、施設内を見回してみた。みんな楽しそうだった。だがここに来た理由、来るまでの暮らしを想像すると、自分の過去を咎められている気がした。


 だがそんな私に神様は機会を与えてくれた。

 贖罪、そして夢を。


 点検を終えて部屋から出ると、扉のそばで声を掛けられた。

 振り向くと、そこには車椅子に乗った女性がいて自己紹介をしてくれた。


 驚いた。


 過去を思い返していたところに、その彼女が現れたのだから。互いに容姿は変わっていたが、彼女は私を知っていた。いつもと違う担当者だったので私のことを従業員に訊ねていたそうだ。それでもしやと思い、声を掛けたという。

 地理的にはあり得なくない話だが、それでもこの偶然の再会に私は心が震えた。


 彼女はこの施設で、eスポーツに取り組んでいると話した。当時、世間ではまだ聞き慣れない言葉ではあったが、彼女は障害者たちの可能性を広げるため、プロゲーマーを目指しているということだった。


 情報企業に勤める者として私もある程度には理解していた。だからこそ無謀な挑戦だと思った。ほんの一握りしかなれないプロを目指すなんて。現役で最前線に立てる期間なんてたかが知れてるし、その上障害者には敷居が高いに決まってる。


 その時の私はまだそう思っていた。だが帰る前に見て欲しいと言った彼女のずば抜けた腕前に私は声が出なかった。


 彼女はこれまでの経緯を私に聞かせてくれた。不登校になってから彼女はずっと考えていたらしい。誰にも迷惑を掛けず、楽しめるものはないかと。そこで試しにネットゲームを始めてみるとそれが大ハマり。これまで感じたことのない開放感に彼女は夢中になって、あらゆるジャンルのゲームを遊んではその魅力に取り憑かれていった。


 ご両親は彼女のその行動を否定しなかったらしい。学校に行かなくなった際も、頭ごなしで怒鳴るのではなく、どういった理由で行かず、自分は今どう思っていて、どうしたいのか、そういう事を何日も時間を掛けてゆっくりと他愛ない会話のなかで話したそうだ。


 そしてご両親はただ娘の好きにさせているわけではなかった。彼女の見てない所で必死に奔走していた。彼女の好きを活かせる環境はないか、彼女自身が行きたいと思える場所はないか。学校、医療、福祉――可能性のありそうな施設を探し続けた。教育現場が娘の個性を受け入れられないのなら、子を強制するのではなく、個性をさらに伸ばせる肯定的な教育を探せばいいという事らしかった。


 唖然とした。そんな発想、私には全然なかった。家族、友人、勉強、眼の前にあるものはあるのが普通で当然のものだと、何の疑問もなく生きてきた。社会はいつも正しくて、それを享受できない人に問題があるのだと。


 話をする彼女はとても嬉しそうだった。まるで久しぶりに会った旧友に喜び、その空いた時間を埋めるように。彼女は絶えず笑顔だった。


 私は訊いてみた。どうして笑っていられるのか。私との思い出に良いものなんて何一つなかっただろうに。なのに今も、そしてあの頃も彼女は笑っていた。


 それに対して彼女は『嫌われたくないから』と答えた。けれど『でも』と短く考えたあと、『本当は好きになりたいから』と続けた。その時の表情は子ども時代に私が見ていたあの困ったような笑みだった。


 彼女は話してくれた――冷たい態度をとる周りがずっと嫌いだった。自分が周りと違うから嫌われているとも思った。そんな時、笑顔は人を幸せにすると母親に聞いた。だから笑っていればみんなも笑ってくれるはずだと。だけど途中から気付いた。嫌いなのは周りを嫌いだと思っている自分自身だったと――。


 そして彼女は学校を離れた。嫌気が差したわけではない。自分を好きになりたい、そう思って彼女は好きを模索する時間のために不登校を選択したのだ。


 何を馬鹿なことをと思われるかもしれない。だがその行動のおかげで彼女は好きを知り、今がある。楽しいと感じる自分を彼女は好きだと言った。



 そこで彼女とは別れた。会社に戻って仕事を片付け、帰路に着く。

 私は食事もそっちのけで湯船に浸かり、彼女の話を思い出しては考えた。


 自分を他人と比べたがるのは、自分自身が嫌いだからではないかと。だけどその嫌いを認めたくないから、相手を見下そうとする。見た目、性格、能力。自分は正しいと、相手のせいにする。嫌なことから逃げて楽をする。生きることに手を抜いている。


 暫くして私は会社を辞めた。彼女のところと違って私の母は強く反対したが、やりたいと思える事のために、好きを見つけるために選択した。


 私が転職先として決めたのは、障害者専門の総合支援事業に努める今の会社だった。社会貢献とビジネスモデルにおける、周囲からの様々な逆境を乗り越え、健常者と障害者の垣根を取り除き、理解浸透に尽くす――そんな苦悩や理念に惹かれたのだ。


 軽度・重度は関係ない。知的、発達、身体、精神など程度の違いで切り捨てない。楽しむを応援する。

 自分の未熟な知識に悪戦苦闘しながらも懸命に働いた。罪の意識もあったが一番の原動力は好きにあった。彼らが社会で自由を感じられたら、自分を好きになれる気がしたからだ。


 そしてこの夏、会社の活動に賛同する外部企業の協力の下、障害者のeスポーツ雇用事業が起ち上げられた。私はそこでプロを夢見る彼らが積極的に活動できるようサポートに当たる。


 私は彼女の元へ再び出向いた。

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