第3話
話は遡ること五年前。
ウィル・クラウリー、当時九歳。
二人の義兄に連れられ、ウィルは町中を歩くのであった。
「ウィル、次は何が食べたい」
「おいおい、俺の意見も聞いてくれよ」
七歳年上の義兄たちの歩幅はウィルより広いため、ウィルは後れを取らないようにせっせと足を動かす。
「ジン、お前は黙ってろ」
ジンと呼ばれた青年は大きなため息をついた。そしてもう一人の義兄、アーサーはジンの背中を思い切りたたく。
ジンはこの辺りでは珍しい黒髪の青年であり、どうやら、東洋の血を引いていようであった。一方、アーサーはきれいな金髪の青年で、誰にでも優しく、兄の鏡のような性格である。そしてこの二人は、ウィルの教育係であり、一番やさしくしてくれる兄と呼べる存在でもあったが、彼らは、もうすぐ聖騎士見習いとして寮に入ってしまう。そのため、一緒に過ごせる時間はあまり残されていなかった。
今日は義兄たちの入寮パーティの食材の買い出しのため、街に出てきている。そして彼らは、買い物を素早く終わらせ、時間の許す限り街をぶらついていた。
人通りの多い通りははぐれやすく、アーサーはウィルにペースを合わせようとするが、先先とジンが行ってしまうので、ウィルが頑張る羽目になってしまっていた。しかしウィル自身、不満を言うどころか、普段より楽しんでいるようで、それがわかっているからか、アーサーも何も言わなかった。
大通りの脇には出店が並んでおり、日用品から、新鮮な食材までたくさんのものが売っていた。ジンは片っ端から店を覗き、いいものがあれば買って食べている。そしてアーサーはウィルと顔を見合わせ、苦笑い。
そのような光景が何度か見られ、三人は大通りの端まで来た。これより先は、道が狭くなり、いわゆる貧困地域に入ってしまうため、そこでUターンしようとしたところ、大通りのはずれ、人通りが少ない空き家が立ち並ぶところにフードを深くかぶった一人の男が大きな袋を担ぎながら通り過ぎるのを見つける。
すると二人の表情が一気に険しくなり、
「アーサー、あれ」
「ああ、行くのか」
二人は振り向く。
「ウィル、お前はここで待っていてくれ」
ウィルが深くうなずくのを見ると、二人は男のあとを追いだした。
「……これ、入寮前から大手柄じゃねえか」
「……そうなるといいな」
二人は息を殺しながら、男のあとを追う。
事実、見習いになる前から魔獣の討伐経験がある者はクラスなどでもリーダー的存在になることが多い。しかし……。
「……いつ接触する」
アーサーは剣と一緒に捨てられていたらしい。そして最近、その剣を見習いには必要だとクチャおばさんからいただいていた。その後はその真剣で稽古をしていたため、慣れていたつもりだが、改めてその重さを実感する。
男が一軒の空き家に入っていく。
「……行くぞ」
アーサーは握りしめていた剣を放してそう言うと、ジンが頷き揃って駆け出す。
空き家の中は薄暗かった。家の中にもかかわらず、長年手入れされていない為か、苔が茂っていた。そしてその奥に長身の男が一人。脇には先ほどまで抱えていた大きな袋が無造作に置かれている。
「……お前、人間じゃないな」
アーサーが先に口を開いた。それと同時に二人は腰に下げた剣を抜く。
男はゆっくりと振り返りながら深くかぶったフードを外す。
そして驚いたような表情など一切見せず、むしろ微笑みながら、
「誰か追ってきていると思いきや、まさかあなた方とは……」
二人は驚愕する。それは男が言った言葉にではなく、その容姿にだ。透き通るような肌、整った顔立ち、そして何よりも腰のあたりまで伸びるブロンドの髪の美しさは息をのむほどであり、正に美男と呼ぶにふさわしい形貌だった。しかしその美しさは、事実、人離れしており、その笑みから覗かす異様に伸びた鬼歯、左右の頭から生えているねじれた角は彼が人間ではないことを物語るには充分であった。
「あなたたち、ウィルという少年を知っているでしょう。彼が今どこにいるか言いなさい」
発せられた言葉に二人は動揺を隠しきれない。
「なんでお前がウィ……」
ジンが言うのをアーサーが手で制す。そして代わりにアーサーが話し始める。
「なぜお前に言わなくてはいけない」
「そうですか……。それは残念!」
そう言うと、男はローブの中に装着していた金のレイピアを抜き、一瞬で間合いを詰める。
アーサーは剣を握り直し、とっさの判断で何とか剣を受け流す。二撃目が来ると思い、傷を負うことを覚悟したが、追撃が来ることはなく相手は距離を取ったため、アーサーも急いで飛びのき、十分に間合いを取る。
相手は剣の感覚を確かめるように軽く剣を振っていた。
先ほどの勢いで相手が着用していた黒いローブがとれ、中に着ていた金の刺繍入りの白い貴族調のゴシックコートがあらわになる。
見るからに高価な代物だ。やはり、高位の魔族なのだろう。アーサーは自分の予想が恐ろしいほど当たっており、冷や汗をかく。
「どうしました二人とも。剣が震えてますけど」
隣を見るとジンの顔が青ざめていた。ジンも奴との差に気づいているのだろうと、アーサーは思う。
再び視線を前に戻すと張り付いたように変わらない妖しい笑みが目に入る。が。
大丈夫。さっき追撃してこなかったのには何か理由があるはずだ。追撃できないのか。もしそうなら勝ち目はある。
僕が受け流している間にジンが横から攻撃を入れれば……。
「……ジン、援護を頼む」
「……おう」
少し遅れて返事が届く。しかしそこに恐怖は感じられなかった。
アーサーは少し安心する。
そして息を深く吐き、呼吸を整える。
相手の動きに集中し、剣を構える。
異常なほど速いスピードだったが、手に負えないというほどではなかった。
大丈夫。
いける。
相手が動き出す。
レイピアを胸元で構え、突く動作とともに、沈みこむほどの力で地面を蹴ったかと思うと、先ほどよりも速いスピードで距離を詰める。
「———刺撃」
突如、アーサーの体に無数の穴が開く。
即死。アーサーの身体がゆっくりと崩れ落ちる。
「アーサー‼」
ジンが駆け寄り身を持ち上げるが、ピクリともしない。空いた穴が血で塞がれる。
ジンが顔を上げ睨むが、男はこちらに興味がないのか、血糊を払い胸元から出したハンカチーフでレイピアを拭く。
次は自分だろうか。どうして先にこいつが死んでしまうのだろう。剣の腕も、頭の良さもこいつのほうが上だったはずだ。見た時から勝ち目なんかないことくらいわかっていたはずだ。それなのになぜ戦った?勝てるとでも思ったのか?それともほかに何か……。
「……どうしてこんなことをする」
「どうして?それはあなたたちが襲ってきたからでしょう」
「でもここまで……」
「確かに惜しい気も……、まあでも代わりはいくらでもいますから」
単純にアーサーが殺された訳が知りたいのか、それとも時間稼ぎか、ジン自身にもわからなかった。
「……代わり?」
「おや君は何も知らない……。それは可哀想に。君の中ではアーサー君は本当に無駄死にしてしまったようだね」
ジンにはこの男の言っている意味が分からなかった。
「話は終わったかい。じゃあ……」
殺されるとジンは思ったが一向に攻撃が来ない。顔を上げると男が険しい顔で背後を見つめていた。その視線の先には先ほどまで男が持っていた袋。その中から一人の少女が出てくる。少女は赤い炎を纏い、宙に浮いていた。そしてその真紅の炎は彼女もろともすべてを巻き込む勢いで膨れ上がる。
「トリガー……。少々早かったようですね」
男の独り言の中にジンの聞き覚えのある単語が含まれていた。「トリガー」。それは魔族にも匹敵するような力を持つ、特別な人間。耳にしたことしかなかったジンにとって、あの少女がトリガーなのかはわからない。しかし……。
「義兄さん‼」
ジンの後ろにある扉から息を切らしたウィルが飛び込んできた。
「おお、これはこれは」
先ほどまでの険しい顔が嘘のように男に笑顔が戻り、貴族風の深々とした礼をウィルに向けてする。
「お久しゅうございます、王子」
ジンはまたしても男の言葉に戸惑う。
一方、ウィルは男になど目もくれず、辺りを見回しこの状況を理解したようだった。
「義兄さんたちに何をした⁉」
「ただ少し手荒な真似を……」
しかしウィルは返事を求めていたわけではないようであった。
元々白いはずのウィルの目が赤く輝く。その目は怒りに染め上げられ、その身に纏うオーラはそれでも溢れ出る怒りのようであった。
その姿はあの少女に似ていたが、ウィルの場合、足は地面についていた。
そしてゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……」
男は一瞬考えるような姿勢をとるが、すぐに甲高い笑いが家に響く。
「まさかもう目覚めていたとは……。少し厄介なことになりました。今回は見逃してあげるとしましょう。あなた様を殺すわけにもいきませんしね」
男は少女の元まで行き、彼女の額に手を当てる。
「———フリーズド」
そう言うと、少女が力なく崩れ落ちる。
「ヒョウイ」
「それでは王子、五年後また会いましょう。楽しみにしております」
男は一礼し、影の中へと消えていった。
その後、俺はアーサーの遺体をその場に残し、崩れ落ちるウィルと倒れた少女を連れみどりやまで戻った。
道中、俺は考えた。あの男の言葉が示すもの、ウィルと少女の正体、そして、アーサーの死の意味。何故アーサーは死ななくてはいけなかったのか。アーサーは何を知っていたのか。アーサーは頭がいい。だから俺が知らないことまで知っていてもおかしくはなかった。そしてそれが怖かった。だからアーサーは死ぬほかになかったのではないか。何故男はウィルを「王子」と呼んでいたのか。明らかにウィルに対して敬意を示していた。もしあともう少し早くウィルが来ていたならば、アーサーは助かったのではないか。そして、ウィルはあいつらの仲間なのではないか。
俺は横で歩くウィルを睨む。しかしウィルは死んだような表情でただ歩いていた。
そして俺の背で眠る少女。彼女はいったい何者なのか。
店に戻ると、クチャおばさんだけが待っていた。向こうはこの状況を理解しているのか、無言で空き部屋まで案内してくれた。そのベッドに少女を寝かせ、俺とウィルは用意されていた椅子に座る。ウィルはと言うと先ほどから全く変わらず、光のない目をしていた。
そして俺たちの前に座ったクチャおばさんが口を開く。
「……何があったのか説明してくれるかい」
初めはそれからだろうと思っていたが、声がうまく出せなかった。
それでも自分が見たすべてを話す。
「そんなことが……。その男はたぶん高位の魔族、それも始祖の血を引くものだろう」
「じゃあやっぱり魔族は滅んでなかった……」
「そういうことだね。でも高位の魔族がここまで来るんだからそれなりに数は少ないんだろうよ。……それよりも」
二人はウィルを見る。
「何か覚えているかい」
クチャおばさんがウィルに問うが、返事はない。
「おい‼」
俺はいつの間にか立ってそう叫んでいた。それでもピクリともしないウィルに苛立ちを抑えきれない。肩をつかみ揺らそうとするがクチャおばさんに止められ渋々席に着く。
「実のところ、ウィルのこの顔を見るのは初めてじゃないんだよ」
クチャおばさんは語りだす。
「君たちにはこの子が狩人に連れてこられたといっていたが、本当はこの子、ここまで歩いてきたんだよ。それも独りで。体全身に血を浴びていてね。……しかしそれは人の血ではなかったのだよ」
驚愕する。普通の獣なら魔力を付与した銃で対抗できる。しかしウィルの家族は殺されていた。それは相手が人間の力では到底かなわないものということだ。しかしウィルは一人生き残った。
「しかしウィルは家族が殺されるまでの記憶しかなかった……。だから今回も寝込み、記憶はなくなるだろう。だが問題は……」
「こいつが『王子』と呼ばれていたこと……」
「ああ。獣人を殺すほどの力を持ち、高位の魔族に『王子』と呼ばれていた……。この子は人間ではないと考えるべきなんだろうね」
ジンもそうとしか考えられなかった。
しかしクチャおばさんが付け足す。
「でもおかしな点もある。この年になっても魔族としての特徴が現れないのもおかしい」
二人は顔を見合わせるが、ここで解決できる問題ではないこととわかっている。
「意識が戻ったらすべて話してやるんだね。そして男の話が正しければ五年後、この子に迎えがくるってことも」
そして最後に残った疑問。この少女はいったい何者なのか。汚れているものの、白をベースとし、赤の刺繍が入ったドレスはそこらで買えるような代物ではなかった。何より、高位の魔族らしき男がこの子をさらおうとしたこと。そしてその男が発した言葉。それにはクチャおばさんも驚きを隠せないようだった。
「……本当にこの子が『トリガー』だというのかい?」
「……」
それはジンにもわからなかった。ただ、彼女の不思議な行動はこの目に焼き付いている。
「そうかい。まあ今はどうしようもないしね。この子もここで匿うとしよう」
「それじゃあ」と言い残すとクチャおばさんは部屋を後にしようとする。
「あ……」
しかし、ジンの疑問はこれですべてではなかった。
まだ一つ、聞かなくてはいけないことがある。それは。
「……アーサーは、アーサーは何を知っていたんだ?奴はアーサーが無駄死にしたと言っていた。……たぶんあいつは俺の知らない何かまで知っていたんだ。おばさんなら何か知っているんじゃないか⁉」
つい熱くなって立ち上がり、椅子を倒してしまう。
アーサーは何かを知っていた。時間が経てば経つほどそう考えるのが妥当だと思えてくる。あの男も言っていた、この俺が無能だと。
クチャおばさんは少し考え、
「……あんたが知る必要はないよ」
ただそう言い残し、去っていった。
それは今まで聞いたこともないほどに冷たい声であり、ジンは唖然とする。
その冷酷な表情は人間ではないようであった。
数日後、アーサーの葬式が行われた。葬式と言っても金がない俺たちにとってそれは名ばかりのものであり、クチャおばさんの知り合いの元神官を呼び寄せ、山中で遺体を埋葬する。しかし、葬式の規模に見合わず、参列に訪れた人の数は五十人を優に超えており、それは、アーサーがどれだけ街の人々から慕われていたかを物語っていた。
その後の俺たちの入寮パーティは中止になった。クチャおばさんはやるべきといったが、俺からアーサーのこともあるからと、断った。それにおばさんは反対することもなく、ほかのみんなも受け入れてくれた。
あの少女が目覚めたのは葬式の翌日のことだった。
少女は自らをルルと名乗るが、それ以外は何も覚えていなかった。それが不幸か幸いかどうかはわからない。しかし、クチャおばさんの提案により、ルルにはあの出来事は話さないこととなった。
そしてウィルが目覚めたのは俺が出立する前夜、すべてのことが収束した後であった。俺はすぐに部屋に駆け付け、暗く俯くウィルのそばに寄り、ことの一部始終を話した。
ウィルはずっと俯いており、それを理解したのか俺にはわからない。しかし俺は翌日朝が早いため、それだけ伝え部屋に戻る。
翌日の見送りにウィルの姿はなく、次に会ったのは四年と半年後であった。
俺は聖騎士見習いを卒業したものの、聖騎士になることはなくここに帰ってきた。その理由は俺にもわからない。ただ、このアーサーの剣がそう言っているように思えた。
この四年半の間に何があったのかは知らない。しかし久しぶりに見るウィルの顔にもうあの頃の面影はなかった。
そして半年後、ついにあの日が訪れた。しかし迎えに来たのはあの男ではなかった。そのため一戦交えようという気にもなれず、ただその様子を眺めていただけであった。
だが、ただ少し、ほんの少しだけ、最後に見せたあの表情には淋しさを覚えた。
……また俺だけ、置いてけぼりかよ。
TRIGGER〜漆黒の巫女〜 ゆさゆさ @yusayusa652
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