第2話
「目が覚めたかい」
見知らぬ天井と聞知らぬ声。
木製の硬い寝台から身を起こそうとするが、まあまあと止められる。
「自分の名前はわかるかい?」
「ウィル・クラウリーです」
「ならよかった。なんせ、一週間も寝たっきりだったからね」
頭を戻し、少し冷静になるとあの日の記憶がよみがえる。ただし、最後だけを除いて。
「何があったか覚えているかい」
「……はい」
「まあ言いたくなかったら、無理に言う必要もないし、聞いたりもしないさ」
ウィルの気持ちは伝わったようだ。
「あたいは、クチャっていうんだい。みんなは『クチャおばさん』って呼ぶんだがね。この店はあんたみたいな身寄りのない子供を独り立ちするまで預かってんだ」
クチャおばさんは最後に「だから、ちゃんと働いてくれればいうことはないさ」と付け足し、笑った。
ここはあの森から一番近い場所にある小さな町だという。
ウィルは一人家の中で倒れていたところを、近くを通りかかった狩人に助けられ、ここまで連れてこられたらしい。
先ほどの女性はクチャという五十代くらいの少しぽっちゃりとした人だ。
クチャおばさんはこの酒屋の店主で、行く当てのない子供たちを引き取る代わりに、子供たちを店で働かせている。
そしてウィルも今日からここでお世話になることになった。
あれから八年。長い月日が流れた。
今日、十四になるウィルはこの「みどりや」の中でもどちらかというと年上の部類に入るまでだ。
ここにきて義兄からたくさんのことを学んだ。もともと山奥に住んでいたこともあって学ぶことは山ほどあり、楽とは程遠い生活を送っていた。
しかし、苦痛ではなかった。
楽しかったというのも嘘ではないが、気を紛らわすためだったというのが強かった。
実のところ、ウィルにはもうあの時のことはほとんど記憶にない。
ひどく苦しんだ一年、悪夢に魘された一年、そして月日が流れ、三年後には完全にその記憶が無くなる。
それにより少しは生きるのが楽になった。
しかし、胸にできた虚無感の溝が埋まることはなく、ウィルは一部の感情と味覚を失った。
そして近頃は、二個年下のルルという少女の教育係をしている。
彼女は昔からやんちゃでとても手にかかる子だった。五年前、彼女はここに来た。
記憶を失っていたため詳しいことは分からなかったが、盗賊にとらわれていたどこかの貴族らしい。
そして今日も、よくいうと明るく、悪くとるなら適当な彼女との勉強が始まる。
「ねえウィル兄、稽古しよう!」
「武術の勉強は昨日もしたじゃないか」
こういう性格なら運動はピカイチと決まっているのか、ルルの身体能力、武術の上達スピードは目覚ましかった。
これで座学のほうもできたなら……と、ウィルはいつも頭を悩ませるのである。
「ウィル兄のケチ」
考えている間に、ルルはそう言い放ち、頬をぷうと膨らますと、すたすたと早足で、廊下を歩いて行った。
記憶のなかったルルはウィルと同様、世の中のことを理解していない。
そのうえに、この性格である。
手にかかるのは目に見えていた。
しかし、それでもウィルが教育係の変更を申し出ないのは、なぜか親近感を抱くというウィル自身よくわからない理由のためであった。
勉強部屋に行くと、不満な顔をしながらもちょこんと一人の少女が座っている。
「今日は歴史でしょ、早くしてよ」
歴史。そう、この世界の歴史はとても長い。
遡れば、それは神々の誕生にまで至る。
人間種が生まれたのはどちらかと言うとつい最近のことだ。
どうして今にもなって神は人間を作り出したのか。それはこの現状では永遠にわからないのかもしれない。
もともと世界には、最も長い歴史を持つとされる魔族、強い生命力と力を持つ獣人と呼ばれる二種の知性を持つ生物がいた。
そして人間はどの種族よりも劣る獣人の成り損ないとしてこの世に誕生することとなる。
しかし人間種の中にも「トリガー」と呼ばれる他種に後れを取らないほどの力を持つ存在が現れるようになり、人間はそのトリガーたちの力と高い知能を行使し、人類の安泰を築くのである。
その方法は残虐非道のほかになかったが、魔族と同じように他種に慈悲を抱かない人間種にとってそれは苦痛でもなんでもなかった。
獣人を森に追いやり、魔族をこの世界から追い出し、そして自分たちは何重にも囲んだ壁の中で暮らす。
そのようにして安寧を手にした人間は数を増やし、今やどの種族にも勝る土地と力を手にしていた。
「魔族って滅んでなかったんでしょ。前までは滅んだとか言ってたのに」
実を言うと、魔族を異世界に追いやったという説が有力になったのはつい最近のことだった。
滅んだとされていた魔族がここ最近いろいろなところに現れてはいたずらをする。という噂が近ごろ後を絶たないのである。
ただの噂か、それとも新しい種族が誕生したのか、はたまた情報交錯されていただけで本当には魔族はまだ存在するのか、真実は誰にもわからなかった。
「早く大人になって、魔族や獣人どもをぼっこぼこにしてやりたいなー」
顔に似合わず恐ろしいことをいうものだ。
ウィルはそう思い、ぶんぶんと空の剣を振りながら言うルルに苦笑いを浮かべる。
「やっぱりルルは聖騎士志望か」
「当たり前でしょ。いつも言ってんじゃん。どうして毎回……」
「そんなことよりも、ウィル兄。そっちのほうこそどうするのよ。あの三人は置いといて、もうそろそろいい年でしょ。将来のこと考えなきゃ」
あの三人というのはこの店に住み着いている男のことだ。
べつに怪しいものではないのだが、二十歳というだいぶいい年にもかかわらずクチャおばさんの脛をかじって生活している人たちだ。
ウィルは最近知ったのだが、そのような人たちを「ニート」というらしい。
そしてルルが言っていることは、十六になると職に就き始めるというのが一般的なので、二年後何するかということを考えろということなのだろう。
「ウィル兄はすごく強いんだから絶対騎士に向いてるって!」
「…………」
「どうして嫌かな」
ため息交じりに言い、「……かっこいいのに」と付け足す。
しかしそれがウィルの耳に入る前に、店のほうからクチャおばさんの呼ぶ声が聞こえた。
ここでは誰かの誕生日には店の開店時間を遅らせ、誕生日パーティを行う。そして今日はウィルの誕生日。
その為、いつもならあと数時間で開店なので皆バタバタしているにもかかわらず、今日はそういった様子は見られない。
むしろ普段と違う甘いいい匂いが漂っているようだ。
ウィルはルルに「行こう」といい、中庭を抜けて調理場に入る。
「やあ二人とも。もうすぐできるから、配膳の準備をしてくれるかい」
そう言うと、クチャおばさんは調理に戻る。
そうしてホールに向かおうとするが、ウィルたちに数人の子供たちが飛びつく。
一対九の比率でルルの方が圧倒的に多いが。
彼らは孤児だった。
最近は魔族の活発化により、ここに連れてこられる子どもたちも増えている。
それでもって、クチャおばさんはお人よしなのか、ベッドの数もろくに足りないのにも関わらず、路上よりは寒くないだろうと、片っ端から彼らを受け入れた。
「ウィルおにいちゃん、お誕生日おめでとう!」
ルルの足に抱き着いた一人の少年が振り返り、一言。
それに続いてほかの子供たちも。
「……ありがとう」
全員が一斉にルルに向き直り、ルルと会話を始める。
前々からだが、どうやら僕は子供受けが悪いらしい。
一部例外を除いて。
後ろから服の裾を引っ張られる。
振り向くときれいな黒髪を後ろで結んだ五歳の少女がさみしそうに立っていた。
「どうしたんだい、リア」
屈み込み、リアと目線を合わせる。
「……お誕生日おめでとう」
ウィルは「ありがとう」と言いながら、リアの頭をやさしくぽんぽんとたたく。
するとリアはキッチンの奥へと走っていてしまった。
やはり、子供受けが悪いのだろうかと、ウィルは考える。
パーティが始まると思ったより時間が早く流れたように感じた。
アルコールの入ったニート二人は服を脱いで踊りだし、ルルなどの女子たちは声を上げる。
それを見ているちびっ子たちはゲラゲラと笑い、中にはマネをしようとするものも出てきていた。
そこにクチャおばさんの大声が入り、静まると思いきや、どうやらクチャおばさんも楽しんでいるらしく「まあいいか」と付け足す。
そこにルルの「ちょっとおばさん⁉」という言葉が入り、再びどっと笑いが起こる。
そうこうしているうちに日が傾き、街灯もちらほらとつき始める。
そろそろ楽しい時間も終わりに近づいてきた。
ウィルは席を立ち、旅の音楽隊が来たら演奏するためだけに作られた壇上に立つ。
ウィルが真剣な表情で上がったからか、数十人いるにもかかわらずホールが静まり返り、皆ウィルに視線を向けた。
「なんだ?告白か?」
「そうじゃないのか?」
「「相手は……」」
こそこそと喋っているニート二人に、目を向けられたルルが俯きながら思い切り蹴りを入れる。
そして二人は声に出さないものの背に手を当て悶絶する。
鍛えられているルルの一撃は、ろくに働きもしないニートにはさぞかし響くことだろうと、ウィルは見ていて思った。
しかしこれからウィルが語ることは、告白などではない。
それは今まで育ててくれた、第二の母ともいえるクチャおばさんや、頼りないがいつも見守ってくれていた義兄たち、一番長い時間を共に過ごしたであろうルル、そしてそのほかの子供たちの向けた感謝の言葉だった。
十分程に亘った話も終わりに近づく。
子どもたちは何を言っているのかわからずぽかんとしているが、中には涙を浮かべるものもいた。
最後にクチャおばさんのほうを向き、
「本当に今までお世話になりました。この恩は一生忘れません」
そういうとウィルは深々と頭を下げる。
クチャおばさんの涙交じりの返事が静寂に包まれた空間に木霊する。
そして———、扉が勢いよく開かれる。
外から全身がどす黒く、見るからに邪悪な雰囲気に包まれた巨体の男たちが四体、頭を屈め乍ら入ってきた。
先頭の男の背には二メートルもの大剣があり、棘が全身についた鎧のような硬い皮膚をしている。
そして、先頭の者の後ろに三人と並び、全員同時に跪く。
店の誰かが声を出そうとするが、それよりも先に先頭の男が口を開いた。
「———魔王直轄部隊大隊長、ガルガロイドにございます。王子、お迎えに上がりました」
恐怖を覚えるような低い声は、この場にいる全員を震え上がらせる。
ただ一人、ウィル・クラウリーだけを除いて。
ウィルは「ああ」とだけ言うと、まとめてあった荷物を取る。
呆然としている人々の間を通り、ウィルは壇とは反対側にある扉へと向かう。
そして店を出る直前、背後から声がかかる。
「ウィル、本当に行くんだな」
キッチンの横にある階段に酒を片手に座っている男性。
整えていない髭は暗い雰囲気を醸し出す。
クチャおばさんが「ジン‼」と言うが、ウィルはその先を言わせないように手で制す。
「はい。ジン義兄さん」
ウィルは悲しく笑う。
外は完全に日が沈み、星空が広がっていた。そしてその眩い星の下、この町の噴水の前には漆黒に包まれた馬車がある。
馬車自体は赤い線の入っており豪華だが、それを引く馬車馬は、普通の馬より一回りも大きい異形の馬だった。
しかしウィルは迷わず、馬車に向かって歩き出す。
「どういうことよ‼ねえ、ウィル兄‼説明してよ‼」
またしても背後から声がかっかた。今度はルルだ。
しかし、ウィルに続いて出てきたガルガロイドたちによって止められているため、ウィルの元まで行けない。
「どういたしますか」
ウィルの横にいた兵が訊ねる。
「ほっておけ」
そう言い残し、馬車に乗り込む。
町の明かりに飲み込まれた星は果たしていくつあるのだろう。
ウィル・クラウリーは外に広がる星空を眺め思うのであった。
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