女子高生と雨空のブランコ。

しろいねこ

女子高生と男の子


 ――夏が過ぎ、風が少しずつ秋の季節を運んでくる。

 私は高い空を見上げた。西の空に傾いているはずの太陽は、鼠色ねずみいろの分厚い雲に覆われて影すら見えない。

 少し空気が淀んだ感じがした。

 それは私の勘違いなのかもしれない。

 ――けれど、その勘違いは黒く濁った私の心を余計に黒く、深く、濃く濁らせた。


 私はストンと力が抜けたように、ブランコに腰を下ろした。するとブランコは、キーキーと無機質な音をたてる。

 ブランコに乗るのは何年ぶりだろうか、たぶん小学生ぶりだと思う。

 昔はあんなに楽しかったブランコも、いまの私には公園の遊具の一つと言う認識でしかなかった。

 時代の変化なのだろうか、数年前――私が毎日のように遊んでいたこの公園に、いまの小学生の姿はない。きっと今の小学生は、オンラインゲームだとか、そういう類のもので友達と遊んでいるのだろう。

 そんな数分後には頭の片隅にも残っていないであろう、どうでもいい疑問を浮かべながら、私は開かれたスマホのページへと再び目をおとした。

 スマホを指でスクロールすると『激選。オススメ20の職業!』と書かれたサイトが出てきた。私はサイトを無意識にタップする。

 2秒もしないうちにそのページは開かれ、沢山の文脈がスマホの画面いっぱいに広がった。

 

――『公務員試験完全攻略!』

――『年収2000万の公務員が教えるオススメ職業』

——『国公立大学模試対策』

——『センター入試対策』

 

 画面には数えきれないほどのページが表示された。どれも読む気にはなれないタイトルのものばかりだ。

 そして私は、程なくして嫌気がさし、スマホの画面を消した。

 こんな記事を読んだところで、私の気持ちは晴れることなどないって自分でも分かっていたからだ。 

 自分でもよく理解しているつもりだった。

もっと焦るべきだった。もっと前から将来に向けてちゃんと具体的に考えるべきだった。

 しかし、高校1,2年の私は遊んでばかりいた。ろくに将来のことお考えず、目先のことばかりを気にして生きていた。

 

――その代償がだった。

 

 学校の友達は将来の夢や、目指したい職業を具体的に決めはじめているなか、私はいまだに将来の夢も職業も、なにも決められずにいた。

 そんな自分が嫌いで醜くて、毎朝鏡でみる自分が本当に自分なのか疑っては、自分だと自覚して――。


「ねえ、おねえちゃん」

 ――ブランコを握る指先にピリと弱い電流が走った気がした。

 

 私の内耳に響いたのは、まだ幼い声変わりすらしていない男の子の声だった。

 私はその声がした方へ目を向けた。

 視線の先は、私が腰を下ろしたブランコのよこだった。

 ――そこには足先も地面についていない、小学生くらいの小さい男の子が、ブランコに座っていた。 

 男の子はじっと、まるで私の心のなかを覗いているように私を見ている。

 

「……ど、どうしたのかな?」

「おねえちゃん、なんでそんなに暗い顔してるの?」


 男の子は小首を傾げながらそう言うと。

 澄んだ瞳で私を見てくる。私はそんな男の子を前に、自分の顔が熱くなるのを感じた。


「べ、べつにどうもしてないよ? なんでそんなこと聞くのかな?」

「おねえちゃんの目がね。なんかほかのみんなと違って暗くみえたの」

「そ、そうなんだ。でもねえ君――」

「——くるみだよっ」

「は――?」

「君じゃなくて、僕はくるみだよ。おねえちゃんの名前はなんていうのー?」

「わたしの名前は、琴花ことは。――それで、おねえちゃんぜんぜん暗い顔なんてしてないけど」


 私は、自分の心なかを的確に言い当てたくるみくんに悟られないよう、必死な笑顔でそう言った。

 ――きっと、今の私は酷い顔をしているんだろう。酷い笑顔なんだろう。ニセモノの笑顔なんだろう。

 

「——ううん、してるよ。とっても暗くて悲しいかお」


 恥ずかしかった。

 何歳も年下の男の子に心の内を見透かされたことが。

 顔が熱くなって気持ちが高潮こうちょうする。

 冷え切った身体が少し桃色に変わって熱をもつ。ブランコを握る手に力が入って、しかしその力はすぐにスッと消えた。

 もしかしたら私は限界だっただったのかもしれない――。


 気がつくと、私の目尻からは大粒の涙が流れていた。

 

「――え……どうして……わたし……」


 私は紺色の地味な制服のブレザーで涙を拭う。しかし、何度も拭っても目尻からは、透明に輝いた涙が溢れ落ちてくる。

 頬をつたって顎から涙がこぼれ落ちた。

 制服のスカートに滲んだ涙の斑点が徐々に増えて、広がっていく。

 そして、ぼやけた視界に映るのは、びちゃびちゃに濡れた両手だった。


「……琴花おねえちゃん。ぼく……琴花ことはおねえちゃんの悩んでること聞くよ。ぼくはまだ小さいし、子供だし……でもっ! ぼくは夢があるんだっ! おっきな将来のゆめ!」


 くるみくんはブランコから飛び降りて、私の前に立つと、キラキラと双眸を輝かせながら、大きな声で言った。

 その声音は、小学生の男の子の声音などではなかった。夢を持つ一人の人間が発した、重たくて、痛くて……そして、少しだけ優しい言葉だった。


「……だからッ! 私はその夢がないのッ! いくら考えても、時間ばかり過ぎていって……将来の夢も学びたいこともなにも……見つからないのッ! まわりのみんなは自分が学びたいことや叶えたい夢に向かって進んでいるのに、私は一歩も踏み出せずにいるのッ! そんな自分が嫌で……醜くて——」


 気づけば、声をあらげていた。

 無意識のうちに尖ったナイフのような言葉が、口から溢れていた。

 ——きっと、くるみくんは泣いているだろう。私を怖がっているだろう。それどころか泣いて私から逃げてしまったのかもしれない。

 自分に落胆した私は、恐る恐る俯いた顔を上げた。少しだけ視界がボヤけている。


——目の前に立っていた男の子は、泣いてなどいなかった。私に恐れてなどいなかった。逃げてなどいなかった。

 それどころか、くるみくんは一歩まえへ、足を踏み出した。

 くるみくんの私を見る視線が、徐々に強く太く尖っていく——


「琴花おねえちゃん……」

「……」 


 喉が詰まった。

 思うように言葉が出てこない。


「琴花おねえちゃんだって、昔は夢あったんでしょ??」

 

 昔の夢……。

 小さいころ、私が夢見た将来の私。


「私は……昔……なにを夢みていたんだろう……?」

「大丈夫だよ、琴花おねえちゃん。ゆっくり思い出してみて、そしたら……きっと、琴花おねえちゃんの未来は開かれるはずだから……僕があきらめた未来を、琴花おねえちゃんに叶えてもらいたい……」


 その言葉は、小学生の口から飛び出したと思えないほど、的確で真っ直ぐで。

 そして——私の心を確かに動かした。


 私は目を瞑る。

 小さい頃の記憶を呼び覚ます。

 少しだけ熱の持った脳を覚醒させる。


 小さいころ私が夢見た将来——。


 浮かんできた景色は、日本の景色ではなく。どこか、遠い外国の景色だった。

 透き通った水が、地平線のそのまた先へつづく不思議な世界。

 水は驚くほど澄んでいて、少し穏やかな風が私の頬を優しく撫でている。

 南の空に浮かぶ太陽が、澄んだ水に、一ミリのくるいもなく反転して投影されている。

 もちろん、私も透き通った水に映っている。

 水に映っている私は笑っていた。

 悩みなんか無い。そんな笑顔だった。

 写っている私は、水なんかよりずっと透き通って澄んだ笑顔をしている。


「私はこの景色を見たくて……」

 小学生の卒業式で言った、あの夢の話……。


『わたしは将来、夢みた景色を見るために旅をしたいです』


 ——みんなに笑われた、先生だって少し顔が引きつっていた。

 けど、あの頃の私はそんなまわりなんて一切視界にはいっていなかった。ただただ、自分の夢見るあの景色に辿り着きたくて——


「くるみくん……わたし……」

 

 気がつくと、とっくに太陽は沈んでいた。

 真っ暗な公園に、パッと街頭が灯る。

 さっきまで私の前に立っていたくるみくんの姿はない。

 スマホを開いて画面に映し出された時間を見る。時刻は7時20分をさしていた。


「こんな時間……きっと帰ったんだろうなぁ……」

 

 話したかった。

 何個も歳下のくるみくんに、私が小さいころ夢みていた将来のことを。

 いまのわたしの心は澄んでいるのだろうか、濁っているのだろうか。

 きっとそれは私にもわからない。

 ……でも、一つわかることはある。私は、将来の夢へ一歩を踏み出したはずだ。


 かけがえのない、大きな一歩を。



※※※※※



——2年後


 羽田空港。

 国際線ターミナル。


 そこに大きなリュックを背負った一人の女性がたっていた。

 その女性の瞳は澄んでいて、濁っても霞んでもいない。彼女は立派な眼差しで、離陸する飛行機を眺めている。


 きっといまの僕は彼女の傍観者でしかない、あのとき僕は最後まで彼女を見ていてあげられなかったから。

 2年前、あの公園で僕は彼女と会い。そして逃げ出したんだ。

 同い年の彼女が、僕を置いて一歩踏み出すことが怖かった。

 とある難病を抱えた僕は、他の子と違って身長も伸びないし、顔つきも変わることもない。永遠にこの小さい子供の身体のまま生きていかなければいけない。

 その事実を受け止めきれないでいたあの頃、僕は自分の将来に絶望していた。


 ——きっと僕じゃ、夢へ進むのは不可能だったから。だから、僕は……僕よりも恵まれた彼女に、僕の未来を。僕の将来を。一緒に背負っていってもらいたかったのかもしれない。

 

 そして僕は、成長した彼女をみて全身が震えた。

 

——ピリッと足先から指先まで、電流が走った。同時に鳥肌が立ち、体が高潮する。


 あのころの彼女では、考えもできなかったはずの未来がいまここにあった。

 もちろん僕もこんな未来が来るなんて想像もしていなかった。

 あの日、公園のブランコで彼女の未来は確かに変わったんだ。

 

 あの日を栄に彼女は大きく成長した。

 心が強く太くなった。

 諦めることをやめた。


 思わず涙が溢れた。

 熱い涙が頬つたり、顎から溢れ落ちる。

 視界が少しづつぼやけてゆく。


 僕は見届ける資格がないかもしれない。

 けれど、僕はみたい。

 再び彼女が大きく前進するすがたを。

 この双眸に刻みこみたい。


 ——そして、今年20歳を迎えた琴花ことはは、大きな一歩を踏み出し。


 小さいころ夢見た、あの夢の景色の場所を探す旅へ。



 ——旅立った。

 


〜Fin〜


 読んでくれてありがとうございました。

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女子高生と雨空のブランコ。 しろいねこ @sironeko_hokkaido

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