手をかざせば1億光年
にのい・しち
近距離の星達
今年の夏は憂鬱だ。
年々、気温が上昇してうだるような暑さに見舞われる。
日が沈んでも暑さは変わらない。
夜の空を見ることで、気分だけは涼しく感じられた。
高校三年の夏休みは顧問の先生が引率として付き、夜の学校への出入りを許される。
毎年八月、僕たち天文部は校舎の屋上へ天体望遠鏡を運び、夜空にレンズを向けた。
都会と違い地方は空気が奇麗で、
先生は星への好奇心を試すように、部員達へ問題を出した。
それは持てる天文学の知識を使い「夏の大三角」を探すというもの。
広大な星の海から特定の形を探すのは、慣れていないと難しいもので、まず東に目を向ける。
その方角にもっとも輝く星を見つけたら、それはひし形をした琴座のベガ。
ベガを頂点に周辺の明るい二つの星を見つければ、単線でイメージできるピラミッドが見えてくる。
続いて琴座の右手、鷲座の胸に位置するアルタイル。
この三つの星を直線で結べば、自然と巨大な三角形が姿を見せる。
他の生徒には見えてないかもしれないが、何度もやっているから我ながら慣れたもので、僕はすでに暗い空に光の糸で繋がった三角形の図形が見えていた。
夏と言えば忘れてはならない七夕。
天の川を挟んだ壮大な遠距離恋愛、織姫と彦星は夏の第三角の内のベガとアルタイルだ。
織姫であるベガの右下から、恋人を見上げるように位置する彦星のアルタイル。
夏の大三角を通してこの二人は結ばれるが、このカップルが互いを思う距離は宇宙の長さに当てはめると、数十万光年にも及ぶ。
年に一度出会うことが許されるが、数十万光年では歩み寄る前に、七夕を何億回も過ぎてしまう。
永遠に出逢えない遠距離恋愛だ。
七夕は思ったよりも悲しい物語なのかもしれない。
夏の大三角を密かに発見した僕は、腕を夜空へと伸ばしブラックホールに吸い込まれるように、手の平をかざした。
せめて、僕の手の長さだけでも距離を縮めてあげるよ――――――――。
すると、ハンドベルを重ね合わせた演奏のように、心地よく響く"彼女"の声が背中を押したので、星から目をそらす。
「ようやく見つけたんだ? 夏の大三角」
呆れ顔で僕を見つめるクラスメイトの女子。
長い髪は月明かりに照らされ、天の川銀河のように
目は数多の星の光を収束させたように瞳が爛漫と輝いている。
細く整った眉は芽吹いた葉のように美しく、唇は惑星の大気かと思わせるほど色素が薄いピンク色。
口元をやんわり上げると、陽のあたる場所のように、温かみのある笑顔を見せた。
何より人を引きつける目の輝きは、僕の気持ちを彼女の魅力へ、ワープさせるほどだ。
要するに僕は彼女のことが好きなんだ。
改めて思うと恥ずかしくなるけど、宇宙の神秘になぞらえてしまうほど、彼女の虜だ。
彼方の星が人を引きつけるように、彼女は僕の心を魅了する。
でもそれは何百光年も先にある星へ、思いをはせるように片思いでしかないのだ。
僕は彼女と仲良くなる為に、天文に関する知識をあれこれ覚えた。
その介あって、彼女との会話には困ることはない。
「まぁね。思いのほか簡単だったよ」
嘘だ。
これは格好つけたいが為の虚栄。
「へぇ〜感心感心」
僕の側まで来た彼女は天体を見上げ、おもむろに語る。
「夏の大三角のベガとアルタイルは織姫と彦星なんだけど、このカップルの距離は何万光年も離れているんだ。年に一度じゃ、遠すぎて会いに行けないよね」
「そう」
僕の悪い癖だ。
つい愛想のない返事を返してしまう。
「でもね……」
彼女は二つの星の間に横に寝かせた人差し指をかざした。
指の先がベガを差し、第三関節が対面するアルタイルに重なり、二つの光点を針のように伸びる彼女の人差し指が繋いだ。
それは星間をまたぐ架け橋に見えた。
彼女は屈託のない笑顔で僕に言う。
「ほら、見てよ? こうすれば織姫と彦星の距離がスゴい近くなった!」
彼女が肩寄せてくると横顔がすぐそばまで迫った。
地球に寄り添う月を眺めている気になる。
間近の彼女を眺めていることに気持ちが耐えられなくなると、天空へ目をそらす。
彼女は語り続けた。
「こうやって星と星の間に指を重ねると、私の指は何百光年や何千光年って長い距離を、一瞬で結べるんだよ。これで織姫と彦星はいつでも一緒にいられるの。スゴいよね?」
「どこが? 指を重ねても星の距離は変わらないよ」
「もぉ〜、夢がないな〜。君はつまらない大人への道をまっしぐらだね」
「何言ってるのか全然わからない」
彼女は閉じていた指を広げて、めいいっぱい手の平を夜空へ近づける。
「星空に手をかざすと何万光年や何億光年、もっと広大な銀河団が私の手に収まるんだ。宇宙の全部が私の手の中で繋がって、思いも気持ちも一つにまとまっていく」
昔の人は湖に反射して写る月を、両手ですくい上げ月を持ち帰ろうとしたが、それと同じくらい彼女の言っていることはバカバカしくて、それでいて素敵な感性だった。
星々とテレパシーで交信しているのではないかと、錯覚させるほど彼女は他のクラスメイトとは違う、不思議な魅力に僕は惹きつけられる。
この惑星で彼女だけは特別な存在だと感じてしまう。
でも、その時の僕は彼女の感性を素直に受け止めることができず、ひねた受け答えしかできなかった。
「聞いていて恥ずかしくなるよ」
「あ〜、ひどいな〜」
彼女は何か思いついたのか、願いが叶う流れ星を見つけたようにはしゃぎ、ある提案をする。
「ねぇ、一緒にやろうよ?」
「無理」
「ほら?」
周りに生徒達がいて格好つけていたこともあり、彼女が強引に僕の腕を掴んで夜空にかざそうとしたので、思わず。
「いいよ!」
振り払ってソッポを向いた。
僕の反応に面を食らった彼女は、ようやく声を振り絞り答える。
「ご、ごめん――――――――」
彼女の声がか細くなると、天界から突き落とされた天使のように、現実へ引き戻された。
これが去年、高二の夏休みに起きた出来事。
それから二ヶ月後に、彼女は交通事故に巻き込まれて重体におちいった。
回復の見込みはない。
彼女の太陽のように照らす明るい笑顔は、宇宙の冷たい空間ように凍った。
夜空を見ると思い出す。
どうして素直に内に秘めた思いを伝えなかったのか。
酷く後悔した。
これから先、思いを伝える瞬間が訪れないと考えるだけで、破れたグラスのように心がバラバラになりそうだ。
神様が僕に教えた教訓は、同じチャンスは二度と訪れないということ。
この後悔は永遠に降りられない観覧車に乗ってしまった気分になる。
もう二度と、次は……。
不意に、耳をくすぐる鈴の音のような声が、背中を撫でた。
「もしかして、私の真似してた?」
振り向くと彼女がいた。
僕は自然に受け答えする。
「まぁね。何でも試してみないと、面白いかどうか解らないからね」
「へぇ〜、私がいない間、成長した訳だ? 感心感心」
事故から数カ月間、昏睡状態だった彼女は意識を取り戻し奇跡的に回復したものの、後遺症が残ってしまい車椅子生活を余儀なくされる。
手でタイヤをこぐ彼女を見かねて、僕は車椅子の後ろへ回り地平線が見える所まで運ぶ。
夏の青みがかった暗い空を見上げ、二人で光の海を一望すると、星の瞬きが僕らの会話を奪った。
僕はあらためて、胸の秘めた思いを確認する。
同じ瞬間は、また来るとは限らない。
セカンドチャンスになんか期待してたらダメだ。
今、この時、この瞬間、後悔を残さない為にも僕の思いを伝えよう。
彼女はまるで星を掴もうとするように、腕を上げて手の平で天を仰ぐ。
腰を浮かし前のめりになるので、車椅子から転げ落ちるのではないかと、肝を冷やした。
早く思いを告げないと、このまま星の神々に彼女をさらわれかねない。
「あの、さ」
「何?」
「君のことが、ずっと前から――――――――好き、だったんだ……」
彼女はゆっくり腕を下ろした後、時を止めた。
すごく焦れったい。
夏の風が答えを催促したのか、彼女の口は自然と開かれる。
彼女の返事は――――――――。
fin
手をかざせば1億光年 にのい・しち @ninoi7
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