シアワセ

天野蒼空

シアワセ

 拝啓


 目の覚めた私へ

 今、驚いていますか?きっと驚いているよね。今までのこと全部忘れちゃってるんだもの。だけど、落ち着いてこの手紙を読んでください。

 どうしてこうなったのかというと、私が薬を飲んだから。思い出を消す薬。だからあなたは思い出を持っていません。

 最後に私について。名前はミオ。歳は十七。それだけ。

 眠る前の私より


 かしこ



 目が覚めると、真っ白い天井が見えた。ゆっくりと体を起こす。カーテンの隙間から光がこぼれて幾筋もの線を作る。

 頭がぼうっとなり、視界がぼやける。頭を軽く振ってから、ベッドから降りる。

 なんだろう。この気持ちは。

 心がとっても軽い。何と比べてなのかはわからない。それと同時に、もう取り戻せない何かを失ってしまったという喪失感が押し寄せる。心にぽっかり穴が空いているような、そんな気持ち。

 机の上にある手紙を見て全ては解決した。


「思い出、ねぇ。」


 そっと口に出してみる。思い出ってなんだろ。タイプライターで打ち込まれた文字を指でなぞっても何もわからない。

 部屋をぐるりと見わたせば、焦げ茶色の何の変哲もない木製の机と白いシーツのかかったさっきまで私が横になっていたベッド。ドアの脇に立てかけられた姿見に映る鳶色の髪の少女の顔はどこかで見たことがある気がする。


 そうか、私か。


 シンプルなその部屋は“思い出”とやらを失くした私にちょうどいいのかもしれない。


 ──トントントン。


 部屋のドアがノックされ、一人の女性が入ってきた。紺色の丈の長いワンピースと白いエプロン。


「……メイドさん?」


「はい。今日からミオ様のお世話をさせていただきます。レイ、と申します。どうぞよろしく。」


 そう言うとレイは丁寧にお辞儀して言った。


「この館の主がお待ちです。こちらへ。」


 外に出ると長い廊下があった。片方の壁には同じような扉が並んでいる。もう一方の壁はほとんどが窓になっている。太陽の光が廊下に降り注いでいた。青い空にぽっかりと浮かぶ白い雲。風に揺れる木。それらはどこか懐かしく、また、新しい。

 二回廊下を曲がり、階段を上ると大きな扉の前に来た。


「こちらが主の部屋です。どうぞ、ごゆっくり。」


 重たそうな扉に少し緊張するが、ゆっくりとドアをノックする。


「入りなさい。」


 優しそうな、そして重みのある声が中から聞こえる。ゆっくりとドアを開けると中には銀髪の青年がいた。青年は大きな机の上に大判の本をひろげていた。その部屋は壁という壁は、大小さまざまな本で埋め尽くされている。どうやら書斎らしい。


「さて、ミオ。君は僕を覚えているのかな?」


 青年の薔薇のように赤い瞳が、私の顔を覗き込む。


「わからないです。」


「そうか、ちゃんと忘れられたようだ。」


 青年は満足そうに頷いた。


「あの、私は……。」


「ああ。心配しなくていい。先を急ぐこともない。君には記憶がある。だから文字を読むことも出来るし、空の色もわかる。だけれども君には思い出がない。そのため、僕のことを知らない。ただそれだけの事なんだよ。」


 そう言って青年は微笑んだ。それから私の目の前で恭しく一礼してからこう言った。


「はじめまして、ミオ。僕の名はツカサ。この館の主だ。ここにあなたがいる限り、あなたの幸せを約束しましょう。」


「幸せ……?」


「あぁ。ミオが望むなら何でも。綺麗な花も、美味しい食事も望みのままに。」


 ツカサは私の目を見てにっこりと笑う。


「はい。よろしくお願いします。」


 そうして私はシアワセになった。




 時は瞬く間に過ぎていった。毎日の食事はまるで美術品のような豪華なものが出た。着る服には宝石が散りばめられ、庭には四季折々の花々が咲き誇る。ある時には名の知れた楽器使いが演奏をしに来た。またある時はツカサと共に有名なお芝居を観に行った。

 そうして、春はすぎ、夏を迎え、秋をすごし、冬を通り越し、また次の春が来たのだった。




「ねぇ、爺や。この花はなんというの?」


 私は薄桃色の花を指して庭師の爺やに聞いた。太い幹の木に咲くその花は、ふわふわとした雲のよう。ひらひらと舞う花びらは青い空に映えて見えた。


「それはサクラというのです。」


「サクラ……。」


 そう呟くと胸の奥が少しだけチクッとした。理由はわからないけど胸が痛むことは今まで何度もあった。でも、きっとたいしたことない、と思って、私はそれを気にせずにサクラを見た。


「サクラがお好きなら館の裏にある土手に行かれてみてはどうでしょうか?サクラの木がたくさん並んでいますよ。」


 そう言われたので私はレイを連れて土手に行くことにした。バスケットの中にサンドイッチとお茶を入れて。


「わぁぁーー!!すっごーい!綺麗だなぁ。」


 土手のサクラは本当に見事なものだった。道に続くサクラの木は枝という枝に花をつけ、風に揺られている。時々、ひらり、ひらひらりと花びらが空に舞う。花びらの色は優しさと温もりのような色で、心の中があたたかさであふれてくる。


「ミオ様。お昼ご飯にしましょう。」


 そう言ってレイは敷物を敷き、バスケットを開けた。


「ささやかなお花見ですね。」


 笑ってレイは言った。


「お花見?」


「ええ。サクラの木の下で花を見ながら大勢で宴を催すのです。」


 そう言ってサンドイッチにかぶりついた。私もサンドイッチを食べながら花を見た。淡いピンクの花が風に揺れて笑った。


「あれ、誰だろう。」


 木の影に一人の少年がいる。太陽の光みたいにキラキラとした金色の髪の少年だ。どこか悲しげな瞳の色は、ラピスラズリのような夜と朝の間の色。あまり館の外に出ないから館の外にいる人のことは全くといっていいほど知らない。ただ、どこかで見たことがあるような気がした。少年の悲しそうな、何か言いたげな顔に見覚えがある、そんな気がした。


「ねぇ、きみはだあれ?一緒に食べようよ。」


 少年はハッとした顔をして、数歩こちらへよってきたが、ふと足を止めて何かを堪えているような顔をした。


「どうしたの?」


「ミオ様、その方はいけません。」


「どうして?」


 レイは苦しそうな悲しそうな顔をして言いにくそうにこう言った。


「ツカサ様のご命令です。」


「ツカサの?」


「はい。ミオ様の幸せの為です。どうか。」


「幸せ……。」


 そう言って深く頭を下げた。もう一度少年の方を向くと少年は駆け出した。


 ──チクリ


 いつもより大きく胸の奥が痛んだ。

 なぜだろう。あったこともない少年の後ろ姿が懐かしく、知りもしない彼の名を大声で呼びたくなった。目から小さな雨が降る。わけもわからないまま、私は流れ落ちるそれを拭いもせず彼のかけていった方を見ていた。

 翌日、私はレイの目を盗んであの土手に行くことにした。「ダメ」と言われたらしたくなるのが人というものだ。それに、自分の涙の理由が知りたかった。

 明け方に降っていた雨も止み、雲と雲の間からはすっきりとした青空が見えていた。太陽の光は曲がることなく降り注ぎ草花の上に残っていた雫を照らす。雫は一つ一つが輝いている。まるで小さな宝石のように。太陽が頭の上をすぎた頃、私は土手に行った。

 土手の小道を一人で歩きながら色々なことを思い浮かべる。私は何者なのだろう、とか、私はここに来る前何をしていたのだろうか、とか。考えても答えは出ない、いや、出すことの出来ないものばかり浮かんでは消えていく。


「なんだ、今日は一人なのか。」


 唐突に後ろから声をかけられた。聞いたことのない少年の声。だけれども、どこかで聞いたことのある声。振り向くと昨日見た少年が立っていた。


「俺はお前と会ったらダメなんだよ。」


 吐き出すように低い声で少年は言った。金色の髪がそよ風に吹かれてふわりと動いた。それが何故か懐かしく感じた。


「わ、私は、あなたを見て感じた何かが何だったのか知りたい!だから、私、あなたと話がしたいの!」


 声が裏返りそうになるのを必死でこらえながら私は言う。


「分からないけど、私、あなたの事が大切だったような気がするの。もう前のことなんてひとつも覚えていないけれど、でも……。ううん、だからこそ知りたいの。あなたは誰?私にとってのあなたって何なの?」


 体を締め付けられるような痛み。なくしてしまった何かのほんの少しの残りが身体中を駆け巡り、心の中まで締めつける。


「なあ、ミオ。本当に全部忘れてしまっているのかい?」


 少年は私の目を覗き込んで言う。心の中を見られているような、そんな気分にさえなる真っ直ぐな青い瞳。


「俺はコウ。そうだな、ミオが思い出を取り戻したら、きっとその時は笑ってもう一度話せると思うよ。」


 ふっと笑ってコウは言った。青い目が細くなる。


「思い出を取り戻す?」


「だってそうだろ?ミオはあの館の主に思い出を奪われているんだよ。」


 コウはもうにっこりと笑って、じゃあな、と言って去っていった。

 私は何も言えなかった。だって、コウが言ったことが引っかかっているから。違うって言いきれるはず、この一年間を思い出してそう言えるはずなのに……。

 考えてしまうのは、「思い出」を失くしたのは誰の意思だったのだろうか、ということ。ただそれだけを考えていた。


 そしてある一つの結果を思いついた。


 今の思いつきが虚想で私の杞憂であれば良いのだが……。ああ、ただの妄想であるはずだった物語がだんだんと現実的に思えてくる。


「妄想ってそういうものでしょ。」


 そう自分に言い聞かせて、私は早足で館へと向かった。ああ、私の妄想よ、虚想であれ!




 私が館へ帰ってから最初に向かったところは図書館だった。普段は立ち入らない本の森の無言の威圧。だけれども怖がってたって始まらない。確かめるものだけ確かめておけばいい。妄想が妄想であることの確認だ。怯える必要なんて、ない。


「あるとすればこの辺かな……。」


 分厚い本の背表紙。中身も想像できないようなタイトル。いつからそこにあるのかわからないような古くてボロボロの本と新しいどこも汚れていない本などがごちゃまぜに並ぶ棚の一角にその本はあった。


『薬品庫保管物一覧』


 とても分厚く、大判な本。色褪せた背表紙とところどころ擦り切れた中の紙の様子から、随分と昔からここに置いてあるものなのだろう。そろりそろりと床に置き、目当ての薬を探す。


「これでもない……。これも違う。」


 丁寧に、だけれども素早くページを捲りながら私はあるかどうかも分からない薬を探した。

 やっぱりそんなものは無いんだ、と思い始めたのは、本の半分をすぎた頃。私の中に少しだけ余裕が生まれる。だけれども私はページを捲った。可能性を潰すため。自分の不安を消すため。どこかでそれを信じている自分を否定するため。


「え、あ、あった……。」


 そのページに記されていたのは記憶を取り戻す薬。これを飲めば取り戻せるんだ、私の思い出。

 思い出が取り戻せればきっと全てわかる。誰が思い出を消したのか。いや、誰の意思で思い出を消したのか。

 あるってことが分かれば、あとはその薬を飲むだけなのだが、薬品庫、か。簡単に取り出せればいいのだけれども……。部屋に戻って使えそうなものがないかと数少ない私物を引っ掻き回す。


「こんなもの持ってたんじゃん。これを使えば……。」


 することが決まれば後はやるだけ。思い立ったらすぐに。真っ直ぐに。





「失礼します……。」


 医務室のドアを音が出ないように気をつけながらそっと開ける。少しだけ開けた隙間から、顔を覗かせる。


 よし、誰もいない。


 私はするりとドアの内側に入った。


「えっと、鍵はどこだ?」


 周りを見ると机の上に無造作に置かれていた鍵があった。これが薬品庫の鍵だろうか。手に取って見るがわからない。薬品庫へ続くドアにその鍵をゆっくりと差し込み、回す。


 ──カチリ


「鍵、開いた……。」


 こんなにもすんなりと行くと自分でも少し不安になるくらいだ。重たい木の扉をゆっくりと開けて中に入る。目当ての薬は多分奥の方にあるはず。足音を立てないように慎重に、でも素早く、私は薬を探した。

 目的の薬を見つける前に私は一つの薬を見つけた。透明な小瓶に入った小さな錠剤。その色はまるで瓶に入った艶やかな赤い薔薇。ラベルには『思い出を消す薬』と書いてあった。そしてその隣に1冊の手のひらサイズのメモ帳があるのに気がついた。


「なにこれ。服用者一覧表……?」


 捲っていくと最後のページにこう書かれてあった。


『蒼星の月十日

 服用者 ミオ・ロゼッタリア・サクラ

 ツカサ・ミリオレンス・トートルジアの命により服用。

 備考。服用者が激しく抵抗した為、睡眠薬を併用。』


 そしてその下に赤いペンで


『目覚めたあと用の手紙を用意しておく』


 と、走り書きされていた。

 これで確信した。私は私の意志で薬を飲んだんじゃないんだ。飲まされたんだ。今までの全ては、きっと嘘という砂糖でコーティングしたピーナッツみたいなものなんだ。私はきっと忘れたくなんてなかったはずだ。

 そう分かると一つの小瓶をポケットに入れてすぐに自分の部屋に戻った。


 その小瓶にはこんなラベルが貼ってあった。


『失くした記憶を戻す薬』




 ベッドに腰掛けて小瓶の中の薬を見た。その薬はラピスラズリのような夜明け前の空の色をしていた。私はこの薬を飲んだらどうなるのかな。この館から追い出されるかな。そうやって考えたら、この薬を飲むのが少し怖くなった。だって、今の私にはここで過ごした思い出しかないから。

 開けたままの窓から西日が差し込む。

 空が幸せそうな赤で染まる。朱墨のような明るい色から始まるその空の赤。丹色、茜色、緋色、紅。西に行くにつれて、赤く、優しく、暖かく。

 声が聞こえたような気がした。


「もう一度笑って話そう。」


 コウの声。大丈夫、私は出来る。登らない太陽は存在しないから。

 名前のない赤のグラデーションが優しく私を照らしていた。




 ビンの蓋を開けて、私は考えた。この薬を飲んだら、私は「シアワセ」のことをどう思うようになるのだろう。ツカサやレイたちと過ごした一年と少しの間、満たされないものは何もなかったし、退屈する事も、悲しくなるようなこともなかった。この満たされた暮らしをシアワセというのならば、私がしようとしていることは自らシアワセを捨てる、つまり、ありえないことなのだ。


「それでもなぁ。」


 口の中でそっと呟く。


「大切なものを失って手に入れたシアワセって本当にシアワセなのかな。」


 大切なもの。私の思い出。思い出のないからっぽの人形を満たしていたものは何だったのだろうか。

 きっと、答えは全てこれを飲めば分かるのだろう。私は薬を飲み込んだ。

 あれ……?天井が見える。体が重いな。ああ、なんでだろう。重くて少し苦しいけど、あったかいんだ。なぜか涙が溢れてくる。

 すうっと意識が遠のいて、暗い水底に沈んでいくように私は眠りについた。




 ゆっくりと私の中に何かが戻ってくる。ああ、これは私の「思い出」だ。私の中に私が帰ってくる。


 おかえり、私の思い出。もう忘れたりしないから。


 次々と蘇る私の思い出。楽しかったこと、悲しかったこと。愛したものも憎んだものも全部。

 涙が頬をつたう。いつも隣にいてくれた人。私の大切な人。全部あなたと一緒だ

 ったから味わえた感情だったのに。


「コウ……。」


 目を開けて、そっと名前を口にする。私の恋人の名前を。

 開けたままにしていた窓から夜風が吹き込む。さみしそうな月の光が部屋の中を青白く照らす。流れる涙を拭うこともせず、私は窓から外を見た。今の私はこのままここに残る必要も無い。だからここから逃げてしまおう。窓の脇に生えている木の枝に移れば、怪我をすることなく下まで行くことが出来るだろう。そう考えた時だった。


「ミオ、ミオ。」


 誰も居ないはずなのに、私を呼ぶ声がした。そして、黒い人影が私の部屋に飛び込んでくる。


「思い出したかい?」


 その顔は私の思い出の通りの笑顔をみせて言った。


「コウ……。ごめんなさい、今まで忘れたりしていて。」


「泣くことないよ。」


 大きくて優しい手のひらがゆっくりと私の頭を撫でる。たまらなくなって、私はコウの胸に顔を押し付けて泣いた。ジグソーパズルのピースがはまるように、あるべきものがあるべき場所に落ち着くような安心感。昔と変わらないそれは、ゆっくりと私の心を落ち着けていった。


「ミオはどうなったってミオだからね。すぐに思い出してくれるって信じてたよ。」


「うん。」


 ああ、返す言葉が見つからない。言わなきゃいけない言葉が沢山胸の中でごちゃまぜになっていて、うまくまとまらない。


 ──バン ッ


 唐突に部屋のドアが開いた。ずっと暗い部屋にいたので掲げられたランプの明るさに目が眩む。


「捕らえろ!不法侵入者だ!」


 月の光のような銀色の髪が掲げられた灯によってキラリと光る。勢いよく部屋に入ってきたのはツカサだ。2人の護衛を連れている。護衛の手によって瞬く間にコウは捕えられた。腕を片方ずつ護衛に捕まれ、両膝を床についている。振りほどこうとしても、相手は訓練された護衛。無駄な抵抗だった。


「おとぎ話の王子様にでもなったつもりかい?ろくにお姫様を助けられない王子なんて必要ないんだ。そもそも王子は一人と決まっている。君には無理だ。」


 表情ひとつ変えずにツカサは淡々と言葉を投げる。言い放つ言葉の一つ一つが、銀の矢のようだ。


「お前なんかにミオの事が分かるわけないだろ。悪人め。お前なんか、生まれ変わっても王子にはなれないね!」


 吐き捨てる様にコウは言った。


「ふっ。」


 感情の消えた赤い瞳が細くなる。


「現実ってのはね、おとぎ話みたいに出来てないんだよ。王子が王子でいられるのは、周りが王子だと認めているからなんだよ。」


 それからツカサは、隣にいた護衛が腰に差していた剣を抜いた。シャラリ。金属の擦れ合う音が、しんと静まりかえった部屋の中で大きく響く。飾りひとつついていない、殺すためだけに造られた剣。ピカピカに磨きあげられたそれは月明かりに冷たく輝き、まるでツカサそのもののようだ。

 冷笑。そんな言葉がぴったりな笑みを浮かべる。


「やめろ!」


 気がつけば、自分でも驚くほどの大声を上げていた。


「偽善者め、何がわかる。私の思い出をどうするかなんて私が決めることなんだ!お前なんかの言いなりにはならない。たとえこの行為のために何度死んでも、私は何度だって生き返りお前を恨み倒してやる!偽善者のやることに正義なんて最初っから無いんだよ!」


 身体中の血が沸騰しそうな勢いでまくしたてた。


「おやおやー?それが今までシアワセにしてあげていた人に対しての言葉なのかい?困ったなぁ。お仕置きが必要かなぁ。」


 口元だけがぐにゃりと曲がる。


「シアワセなんかじゃない!大切な人のことを忘れて、シアワセでなんかいるわけないでしょ。辛かったことも悲しかったことも、嬉しかったことに繋がって行くんだから。そのシアワセがシアワセかどうか決めるのは私なんだから。」


 喉がヒリヒリする。こんなに大声をあげたのはいつぶりだろうか。体が熱い。だけれども、ツカサは私とは真反対なようだ。その瞳は冷たく、感情の色はない。


「そうか。じゃあ、仕方ないね。」


 迷いない動きでツカサはコウの右腕を斬った。間髪を容れずに左腕も。ツカサの瞳よりも紅い液体が噴水のように吹きでる。コウの腕を掴んでいた二人の護衛はその紅でびしょ濡れだ。


「うぐぁぁぁっ。」


 呻き声を上げてコウが倒れる。ごとん。重たい音がした。鮮やかな紅は部屋中に撒き散らされていた。まるで海だ。紅い海。その色が目に焼き付いて離れない。


「君には彼が不要なのだよ。」


 氷のような冷たい視線。ナイフのような鋭い声。私は何も出来ない。声を上げることも、息をすることも。まるで金縛りにあっているかのように体は一ミリも動かない。

 暫くの間、響いていたコウの低い呻き声が、ぷつりと途切れた。


「さあ、ミオ。もう一度、だ。こんどこそ邪魔なものが入ることなく、綺麗なままの君を幸せにすることが出来る。やっと出来るんだ。もう二度と君の瞳を悲しみの色に染めることはしないよ。」


 白く細い指が頬を撫でた。ツカサの一つ一つの動きは無駄がなく、また、体のパーツの一つ一つが丁寧に作られた蝋人形のようで、どこをとっても「美しい」の一言に終わらせられる。だけれども、今はその美しさが恐ろしい。


「大丈夫、怖いことは何も無いよ。」


 そう言ってポケットから小瓶を取り出した。薔薇のように赤い錠剤。思い出を消す薬だ。


「い、やっ。」


 絞り出すように声を上げる。


「ミオ、僕を否定するのかい?この1年間シアワセだっただろ?なにも怖がることは無い。さあ、これを飲んで。」


「嫌だ。もう二度と忘れたくない。大切なものを失ってまで手に入れるものが本当のシアワセだなんて私は思わない!」


 声の限り叫んだ。コウを失って私はまた思い出を失ったら、もう二度と戻れない。今回のように私に気づかせてくれる人がいない。


「こんなシアワセ、いらない。」


 ツカサの手から素早く剣を奪う。そして見せつけるかのように剣先を喉元にあてる。


「さよなら、偽善者さん。あなたの言うシアワセは私のシアワセじゃあないんだよ。偽物のシアワセで満足するくらいなら私はコウのあとを……、大切な人のあとを追う。ここにいる意味なんて一つもないから。」


 大きく一つ深呼吸。


「ま、待つんだ。早まるな。ほら、この1年間を思い出してごらん。不自由なことも退屈することもなかっただろ?」


 取り繕うようにツカサは早口で言った。

 

 私はそれに返事をしない。

 

 怖いことなんてない。

 

 この先でコウがまっているから。

 

 先が紅く染まった剣。そこに映る私のその瞳には迷いなんてない。

 

 黙って剣を深く体に突き刺す。

 

 目の前が真っ白になり真っ黒になった。






 僕は目の前にある二つの死体を見てから空を仰いだ。


「くそっ。またかよ。」


 何度生まれ変わってもあの娘は僕の手の中に入らない。今回はあと少しだったのに。


「どうも上手くいかない。」


 次はどうやってみようか。そう考えながら僕は懐から短剣を出した。宝石の散りばめられた、この真っ赤な空間には似合わない煌びやかな短剣。それを迷いなく喉に突き刺す。




 そうして僕は百二十一回目の転生を果たし、百二十二人目の君に会う。君を僕のものにするまで、僕は何度だって生き返る。

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