桜、咲かないで

天野蒼空

桜、咲かないで

桜、咲かないで

天野蒼空


桜前線異常なし。今年も順調に登ってきている。私の住む街はまだ吐く息も白いけど、それが無くなるのも時間の問題だろう。朝晩はまだ冷え込むといっても、昼間は太陽が優しく笑ってるから。

天気図は西高東低の冬型の気圧配置。ゆっくりとそれが崩れて、春が来る。春が来たらお終いなんだ。

だから、お願い。

桜、咲かないで。



「えー、卒業式についてなのだが。」

担任が気だるそうにホームルームを始める。窓の外の桜は固い冬芽が少しずつ解けていく。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日、冬芽は緩くなる。そして春色の蕾が出てくるのだ。

「お前らー、受かったからって気を抜くなよー。まだ進路決まってないやつだっているんから、その辺ちゃんと気を使え。」

三年生のクラスはどこもざわざわとして、落ち着かない。担任の話は喋り声にかき消されていく。

「それから、卒業までにやり残したこと、やっておけよー。それじゃ今日は終わり。」

「きりーつ、れー。」

「さよならー。」

怠そうな形だけの挨拶。

やり残したこと、か。高校はやり残したことだらけだ。

高校生活は薔薇色って言うけど、やっぱりそれは人それぞれなんじゃないかなって思った。部活も入らなかったし。成績は、まあ、大学受かったから良しとしよう。バイト、楽しかったし、そこそこお金作ったな。

友達は多いほうじゃない。クラスにとても仲良がいいグループとか、あるわけじゃない。

人が減った教室に、春の匂いが少しする。楽しそうな笑い声。未来への、期待、希望。ああ、春だ。

「冬根、まだ残るのか?」

「いえ、もう帰ります。」

担任から面倒な仕事を押し付けられそうになったから、教室を飛び出した。行く宛はない。ただ、もう少し外にいたい。

校門を出れば生徒がずらずらと並んでいる。駅に向かう列だ。

ここで駅に向かうのはなぁ。

回れ右をして、逆の道へ。しばらく歩けば川沿いの道に繋がる。桜の木が川の両岸に植えられているこの道は、満開の頃に多くの人が訪れる花見スポットだ。でも私は人の少ない冬の道が好きだ。鏡のような水面に、逆さまの街が映る。何も無い木は少し悲しそうに枝先を下に向ける。

「あ、藤宮君。」

少し離れたベンチでスケッチブックを広げているのは、同じクラスの藤宮君だ。数少ない私の友達。そして沢山あるやり残したことの中のひとつ。

「藤宮君、何してるの?」

後ろに回って声をかける。

「わああっ。」

藤宮君は慌ててスケッチブックを閉じてこっちを見た。

「冬根さん……。驚かさないでよ。」

「ごめんなさい。そんなつもりは無かったのよ。隣、いい?」

「いいけど、どうしたの?」

向こうに行ってください、と言わんばかりの雰囲気。まあ、そうだろうな。絵を書いていたところを邪魔しちゃってるんだから。

「藤宮君の絵、見たいなって。」

「僕のは、たいしたものじゃないですよ。そういう専門学校に行く連中の方が、よっぽど……。」

「そんなこと、ないよ。」

「そう、なのかな。」

そう言って藤宮君はスケッチブックを広げた。

「すごい。」

鉛筆で描かれているのは枯れ木のばかりの、この川沿いの道。水面に映る逆さの街まで丁寧に描かれている。

「でも、絵はもう終わりにしようと思っててさ。」

「そんな、勿体ないよ。」

「大学はそっちの方面じゃないから。」

「でも趣味で続ければ?」

「いや、もう辞めるって決めたんだ。」

そう言う藤宮君は悲しそうだった。何かあるのかもしれないけど、私にそれは分からなくて、踏み込んでいいのかもわからない。曖昧な沈黙が降りてくる。

「でも、高校生活終わるまで、あと少しだけ時間、あるよ。」

「あと一週間だよ。それに、描くものもないし……。あ、いや。」

「どうしたの?」

藤宮君は何か言いたげに口ごもる。

「絵のモデル、冬根さんにやって貰えたらな、って。いや、でも、無理とかなら別に……。」

「無理じゃない。引受させて。藤宮君の絵のモデル。」

食いつくように私は言う。ここしかチャンスはない。藤宮君と過ごせるのはあと一週間。少しでも長い時間、一緒に居たい。こんなの私のわがままだけど、こんな形でそれが叶うなら。

「じゃあ、冬根さんを描くよ。」



それから一週間、放課後はこのベンチに私は座った。隣で藤宮君が鉛筆を走らせる。桜の蕾は少しずつ膨らんで、今にも花が咲きそうだ。

お願い、咲かないで。

桜が咲いたら、卒業式。もう、会えなくなってしまう。まだ言えてないことだらけなのに。

だから、桜、咲かないで。

やり残したことばかりなの。

紙の上を鉛筆が走る軽い音が耳に残る。風が長く伸ばした髪をふわりと拡げる。

「春一番、かな。」

と、藤宮君。少しずつ春が近づいて桜の蕾を大きくする。

中身のない会話が続き、また静寂がそこに溜まる。ああ、言いたいこと、言えないな。桜が咲いてしまうのに。



「明日が卒業式だね。」

「あっという間の三年間だったよね。」

「でも長かった。」

「わかる気がする。」

長くて短い高校生活が明日で終わる。何も言えないまま、桜が咲いてしまう。

「出来たよ。冬根さんの絵。」

スケッチブックの上には長い髪の少女の横顔。目は伏せていて、まつ毛は長い。

「やっぱり、藤宮君は凄いです。」

「そんなことないって。でも冬根さんを描けてよかった。一週間もモデルしてくれてありがとう。」

「いえ、私も……。」

「冬根さんも?」

「楽しかったよ。藤宮君と話せて。」

ああ、言えない。どう言えばいいのかわからない。なんて言おうかわからないまま、終わってしまう。待って、待って。言いたいことあるの。上手く言葉が出ない。喉の奥で詰まって、出てこないんだ。

「じゃあ、僕、こっちだから。」

「あ、うん。じゃあね。」

言えなかった。言いたかったのに、言えなかった。



空は灰色で、寂しそう。風は暖かくて、嬉しそう。

言えなかった後悔と、言えなかった想いが混ざって、心の中にマーブル模様を描く。思い出す藤宮君は甘くって、今の気持ちは苦くって。まるでチョコレートのよう。

木を見上げる。

桜が一輪、咲いていた。

春色の花が笑っていた。

私の青春は、今日終わった。

明日は卒業式だ。


fin

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