未完成な三角

真花

未完成な三角

 真夏の夜の湿度と熱、隣にしゃがんだショウコは水色の浴衣で、短い髪が揺れた。

「どうして線香花火?」

 俺は正面の真っ暗なやしろを向いて問う。ショウコはライターを弄びながら答える。

「だって、夏の最後は、線香花火って決まってるんだよ」

「まだ十五日だよ?」

 俺は分かっていて訊いた。期待した答えが返ってくると確信して訊いた。でも彼女の口が開くまでの短い間に鼓動は強くなる。

「明日になったらケイタは帰っちゃうでしょ」

 言われてみて、その答えを予定していたのに、予期していない感触が胸の内に広がった。

 ショウコは明日になったら俺との関係は時間は終わりだと宣言している。でもそれは運命付けられたものだ。俺も彼女も、その区切りを越えて繋がってしまったら、二人の共通の大事な人、キリコを失うことになる。それは眩しすぎる程に自明なことなのに、この三日間で何度も考えたことなのに、俺の意識から外れていた。でも、今ショウコとキリコを天秤にかけるなら、ショウコだ。だけどもしそう進んだとしても、親友と自分を選択肢にした俺のことをショウコはきっと愛せないし、ショウコはキリコを捨てることは出来ないだろう。

「そっか」

「さみしいね」

 ライターから火花が何度も飛ぶ。

 それともショウコは親友を失ってでも、俺と付き合うことを選ぶのだろうか。ショウコは最低限以上の好意を持ってくれている。義理の範疇では収まらないくらい、ずっと俺と居て、一緒に笑った。

「俺もさみしい」

 ショウコはそれに応えずに、ライターの火を点けたままじっと、それを見ている。俺もつられて、火柱を見ていたら、火以外の全ての色がどんどん暗くなって、辛うじて照らし出されているショウコの右手だけが世界の全てのように見えて、握りたいな、けど、左手を握り締めることしか出来ない。彼女の手が尊いからではない。その接触が今あるものを全てガラスを割るように粉々にしてしまうと、怯える気持ちが生まれたからだ。

 ふ、と火が消える。ショウコがコーラのペットボトルをプシュッと開ける。俺もそれを見て自分のコーラを開ける。それぞれに喉を鳴らすと、ショウコがボトルを耳のそばに立てていた。

「コーラの泡の弾ける音って、好き」

 俺も真似をして自分のコーラに耳を澄ませる。確かに、小さな泡の弾ける音がする。

「ケイタ、始めよう、線香花火」

 俺は頷くと袋から花火を出す。ひとつずつ持って、ライターで直接火を点ける。

 パチパチと微かな音を立てながら光は徐々に上り、ツンとした香りがする。

「キリコからケイタのこと頼まれたときさ、最初はどうしようか迷ったんだ」

「うん」

「でも他ならぬキリコの頼みだし、お父さんが死んじゃってキリコは大変だし、でもそれ以上にさ」

 元々この旅行はキリコに東京を案内して貰うと言うプランだった。しかし彼女の父が急逝し、白紙に戻そうと思ったのだが、葬式に出て欲しい、と言うキリコの願いもあり一人で東京をブラブラしようと決行した。ところが東京に来てみたら、キリコの紹介だとショウコが案内をしてくれることになった。

「キリコはケイタのこと、好きだよね。だから、彼女の大事な人をもてなしたいなと思ったんだ」

 キリコの気持ちは薄々感づいていたが確証はなかった。だから、ほんの少し驚いた。反射的に顔に出さないように線香花火に視線を集中する。

「会ってみたら中々素敵な先輩じゃない。キリコって、大学入ってからずっとケイタのことばっか話してたんだよ」

 ショウコが語っているのはキリコの想いを優先する話なのか、それを裏切る話なのか判別出来ない。だから、どう答えていいのか分からなくて、火球になった花火の最期ばかりを見て、何も言えない。もしショウコにそのつもりがあるのなら、俺はキリコに泣いて貰いたい。

「だから初対面だったのに他人の気がしなかったんだ。東京は十分に見れた?」

「うん。お腹いっぱい東京を見たよ」

「まあ、今回回ったのの百倍は東京は見るところあるから、また来てよ」

 ショウコは二つ目の線香花火に火を点ける。俺もそれにならう。

 ショウコがじっとしている。言葉を探してるのかな、俺も見付けられない。

「この線香花火の音も好き」

 俺も音に集中する。ミクロだけど爆発、そんなイメージが浮かんだ。

「やっぱさ」

 無に音が初めて通ったように、くっきりと届く声。

「親友の気持ちって、大事にしたいなって思うんだ」

 キリコを取る、か。自然と歯軋りする。

「そっか」

「でも、自分の気持ちもやっぱり大事なんだ」

 どっちなんだ。俺はショウコの葛藤を破壊して自分の情動に突き進んでいいのか? その誘い水を彼女は撒いているんじゃないのか? 

「ケイタはどう思う? そんな天秤はゲスかな?」

 二つ目の火球がポトリと落ちるまで俺は二択、行くか止まるか、で迷った。

「大事なものが二つあるなら、両方取る方法を最初に考えて、それが駄目ならより欲しい方を取る方法を考える、ってのがいいと思う」

 客観的に正しいことを求められている場面ではない。私か彼女かどっちを取るのかと、問われているのに。彼女の気持ちがどこに向いているかは明言されてないけど、ショウコはそう問うているのに。

「両方は取れないよ。でも分かった。ありがとう」

「うん」

 ショウコは脇に置いていた鞄から煙草を出して、火を点ける。俺も同じように着火して、煙を胸いっぱい吸い込んで吐き出す。

 ショウコは煙草を耳のそばに持って行き、何かを待つようにじっとする。

「ときどき、煙草の紙が燃える音がするよね。この音も、好き」

 俺もやってみたら、普段は知らない音が、ジジジと聞こえた。

「コーラの泡の弾ける音と、線香花火のはぜる音と、煙草の紙が小さく燃える音って、似てて、どれも好き」

 まるで俺達三人のことのように感じた。好きだけど別々。上手な三角関係にもなれない。ショウコの意志はそっちなんだと、理解して、胸がグッと圧迫された。

「明日は見送りに行くよ」

「ありがとう」

 煙草を吸い終えたら後片付けをして、別れた。俺と会うためだけに浴衣を着て来たショウコ。夏の大事な時間を割いたショウコ。一緒に笑ったショウコ。本当に明日で終わりでいいのか。

 ホテルに帰っても答えは出ないまま、寝た。


 空港に見送りに来たのはショウコだけで、キリコの姿はなかった。

「家に着くまでが遠足だよ」

「子供じゃないんだから」

 軽口を叩きながら食事を一緒に摂り、付いて来れる限界までショウコは付いて来た。

 俺はゲートをそろそろ潜らないといけない。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

「ケイタ」

「うん」

「あのさ、私達ってまるで本当の……」

 ショウコは言い淀む。

 唇が「こ」の形になって、止めたのが読み取れた。

「友達みたいだったね」

 さよならよりも、さよならと言われた。

「そうだね」

「じゃあね」

「うん。じゃあ」

 俺はゲートを抜けて、たくさんある椅子の端に腰掛ける。飛行機の離陸まではまだ時間がある。ショウコの電話番号は連絡用に持っている。掛けるなら、今だ。今しかない。

 俺は電話帳からショウコの番号を呼び出す。

 それをじっと見て、掛けられない。彼女は親友を取ると表明した。俺はそれを乗り越えてまで彼女と付き合えるのだろうか。本当にキリコを捨てることが出来るのだろうか。好意があったとしても大事な友人でもある。話せば分かる話ではない。ショウコは代理だった。本物の代理だけど、本物そのもので、俺にとっても彼女にとってももう既に代理ではない。だけど、キリコをじゃあないがしろにしていいと言うことには決してならない。

 この四日間延々と繰り返した自己問答をまた、反復する。

 搭乗のアナウンス。

 ショウコは答えを出した。

 俺は荷物を持って搭乗口に向かう。

 俺も、答えを出さなくてはならない。それも、今だ。

 搭乗口前の列が速やかに飛行機に吸収されてゆく。

 俺はその手前で止まる。

 大きく息を吸い込んで吐き出して、ショウコの連絡先を消す。

 大事なものが失われた感覚が手から胸に駆け上がってくる。

 俺はやり直しの効かない場所を通過した。

 ショウコはもう、居ない。

 だけどきっといつになっても、コーラと線香花火と煙草の音を聞けば、俺はショウコのことを思い出すだろう。



(了)

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