チャプスイは『ごちゃ混ぜ』になった食べ物

 翌日はアマンドに連れられて仕事を紹介してもらい、あまった時間で軽く観光をした。前日の夜から心に引っかかっているミステリアスな緊張感は簡単にはほぐれてくれなかったけれど。


 そして街について二日後の朝、僕とガスパルは件の街に向かうために宿の外に出た。


「いいかレナルト。コソ泥見つけたからって熱くなるなよ。ちゃんと帰ってきて、事の顛末を俺にも説明しろ。いいな」

 ウェイターの恰好をしたアマンドが僕の肩を叩いた。


「わかってるって。今日の夜八時までに宿に戻って、事の顛末をアマンドに話す。約束だ」

「お前もだ、ガスパル。約束しろ」

「ああ、未来の嫁さんに誓うよ」

「その誓い当てにして良いのか?」


 そう言って送り出すアマンドと別れて僕らは駅へ向かった。


「なんか悪いね。電車代まで出してもらって」

「無事に金を取り戻したら返してもらうさ」

 電車のボックス席に腰を下ろしたガスパルの青い目に草原が映っていた。


「ジュール……いや、フリオとはどうやって知り合ったの?」

「バーで偶然知り合ったんだ……話してるうち、お互い神を信じてない事に気付いてな……」

「どんな話してたんだよ」


 思わず苦笑いがこぼれた。

 世界中の大半の国で、神を信じないと公言する人間は珍しい。大抵の場合は奇異の目で見られる。僕を見ずに話すガスパルの視線の先、草原の中でコヨーテの群れがこちらを眺めていた。


「意外か? 日本じゃ神を信仰しない人がメジャーだって聞いたことがあるけど」

「……信仰してない、ってのとは少し違うと思う。個人的な解釈だけど」


 と、僕は少し迷いながら、言葉を探しながら

「日本人に信仰心があるか、って聞けば、多くの人が、無いって答えるかもしれない。けど僕はそうじゃないと思う。教義には疎いし、祈りを捧げる習慣も少ないけど、普通の生活に信仰の様式が混ざっているというか……」

「……混ざってる?」

「ご飯を食べる前は、何に対してってわけじゃないけど、自然に手を合わせて『Itadakimasu』って言葉が出てきたり、お守りを持ち歩いたり、神社やお寺で祈りの姿勢を取ったりはするよ。みんな普通に。けど信仰を意識するような事はなくてね……でも複雑なわけじゃない、なんていうか、ごちゃ混ぜになってるんだけど、とにかくナチュラルなんだ」

「……ナチュラル」

「それで、フリオとはどんな約束をしたの?」

「今日の午前十時に教会で祈り捧げる素振りをしたら、最後に中指立てて立ち去ろうって」


 ※ ※ ※


 駅から二十分ほど歩くと、とても古いけど綺麗で整った教会に着いた。中に誰も居ないようで、僕は礼拝堂に並ぶ椅子に腰かけるとステンドグラスや十字架に目を向けた。

 僕だって決して信心深いわけじゃない。けれど宗教や宗派に関係なく、こういった場に来ると奇妙な神聖さは感じる。


「どちら様?」


 奥から老人が一人出て来た。黒い服……確かキャソックって言うんだっけ? を着ているから教会の神父だろう。ガスパルは神父の元へ大股で歩いて行くから、僕も椅子から立ち上がって彼に続いた。


「ここの神父さんですか?」


 ガスパルの問いに老人は頷いた。


「ここで待ち合わせをしているんだけれど、邪魔にならないかな?」

「それは構いませんが……どのような方をお待ちでしょう?」

「革のジャケットを着た男で、腕に蛇と髑髏のタトゥーが入っている……」

「ああ、でしたら。どうぞ、こちらへ」

 神父は招くように目配せして礼拝堂の奥へ行ってしまうので、僕らは互いに眉をひそめつつ老人に着いていった。


 礼拝堂の奥には地下に通じる階段があって、老人は火をつけた蝋燭を手に階段を降りていった。色々な国を旅したけど教会の地下霊廟に入ったのは初めてだ。雰囲気に飲まれたのか肺の辺りが苦しい気分になる。蝋燭の明かりがレンガの壁を撫で、そこに掘られた文字や掛けられた幾つもの十字架が浮かび上がる。

 霊廟の最奥には古びた木製のベッドが数台並んでいた。ベッドにはシーツが被せられ、いくつかは人の形をした膨らみを帯びていた。神父は一台のベッドの枕元まで進むと燭台を掲げ、シーツを捲った。


 シーツの下から男の上半身が出てきた。裸で、伸ばした黒髪が胸の上を覆っていた。肩には蛇と髑髏のタトゥー。殴られたのかもしれない、顔には内出血の跡が残っている。


「……フリオ」


 ガスパルの口から洩れた。それから彼は僕に視線を向けたから


「違う、ジュールじゃない」

 と僕は首を振った。


「なんで彼は死んだんだ?」


 ガスパルが尋ねると神父が答えた。その声は石やレンガに囲まれた地下室に響き、どこかへ通り抜けていくようだった。


「昨日の深夜、血まみれの彼が突然教会にやって来たのですが、すぐに亡くなってしまったので詳しくは存じません」


 蝋燭の炎が小さく揺れるたびに壁に映った僕らの影も揺れて、この地下霊廟には本当に僕らだけしかいないのか? と不思議な気持ちになる。


「フリオ氏の遺言がありました。明日、友人とここで会うから、一日だけここに居させて欲しいと。もし誰も来なければ好きにしてくれと言っておりました」

「……そうか、神父さん、世話になったね」

「フリオ氏は元々、評判の良い人物ではなかったので少し不思議に思ってたのです。あなたは彼とはどういう御関係で?」

「ちょっと約束事をしてたんだ」


 ガスパルはそう言うと跪いて両手を組み、静かに祈りをささげた。その瞬間、蝋燭の芯が燃える微かな音が聞こえるほどの静寂が訪れた。

 けれど彼はすぐに立ち上がり、壁に掛けられた十字架に向かって中指を立てた。神父は益々、怪訝な表情をした。


「神父さん、この辺にジュールって名前の男は居ないかい? そいつにも蛇と髑髏のタトゥーが入ってるんだけど」

「いいえ、そのような人は存じません」

 神父は眉間に皺を寄せながら首を振った。

「だとさ」

 そう言ってガスパルは僕に顔を向けたから、肩をすくめてアマンドの真似して言ってみた。

「Puta madre」


※ ※ ※


 教会の外に出ると太陽の光に目を焼かれた。これから飯を食べに行く気にも観光に行く気にもなれなかったから、アマンドとの約束は思った以上に早く果たせそうだ。


「これからどうするつもりだ?」


 ガスパルが尋ねてきた。僕はぼんやりと空を見上げた。青い空をまっすぐな飛行機雲が二つに割っている。


「しばらく金を稼いで、またどこかに行くつもり。ガスパル、君はどうする?」

「次の約束があるから、二週間後には国境を越えたいんだ。それまでは俺も金を稼ぐつもりだよ」

「君に借りたお金だけど、それまでに頑張って稼ぐよ」

「ああ……」


 それから肩を並べて駅まで歩く間、ガスパルはしばらく口ごもっていたんだけど、切符を買った後、思いついたように呟いた。

「やっぱ、金はいいや」

「は?」

「こうしないか? 一年後、この駅で、お前は俺に、金を返す。どうだ?」


 改札を抜けて駅のホームを歩きながら僕はアマンドくらい大きな声で笑った。周囲の人間がこちらを振り向くような大声だ。

 僕は右の拳をガスパルの前に突き出した。

 ガスパルの巨大な拳がぶつかる。

 それから僕らは電車が来るまでウイスキーを回し飲みした。


「あの時、君は神様に祈ったのかい?」

 スキットルを渡しながら尋ねるとウイスキーを一口飲んでガスパルは鼻で笑った。

「俺はあの馬鹿に祈ったんだ。ちゃんと約束、守ってくれたから」

                                    完

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