フリオはジュール?

「レナルト、いつまで寝てんだ! ガスパル、お前も起きろ。ビール買って来たぞ!」


 アマンドの叫び声とともに、二段ベッドがガタガタ揺れるからたまらず目が覚めた。


「ほら起きろ。いつまでも朝は待ってくれないぞ。日が昇るまでに酒飲まねえとな、悪魔に食われるって逸話がこの街にあるんだよ」

「へえ、それは面白そうな昔話だね」


 ベッドの梯子から降りて僕は言った。

 下の段で眠っていたガスパルは体が大きすぎてベッドに収まらなかった。ベッドの縁に足を乗せたまま眠っていたガスパルは、捲し立てるアマンドの陽気な声に対して唸り声を漏らしながら手の平で顔を擦っていた。


「んな話あるわけねーだろ。良いから飲むぞ」


 急かされた僕らが腰を下ろせば、そこにはアマンドが持ってきてくれたビールの瓶に小さなバケツ、オードブルや果物が並んでいて


「おいおい、アマンド? 羽振りが良いな」

 ガスパルはバックパックからステンレスのカップを引っ張り出した。


「今ウェイターやっててさ、そこの主人に頼んで貰ってきたんだ。他にもゴミ箱から適当に拾ってきた。腐ってるのもあるから気を付けろ」

「それじゃ、遠慮なく」


 ガスパルは栓を開けてカップにビールを注ぐと右隣りに座るアマンドにビール瓶を渡してからカップを煽った。それからカップに残ったビールの泡をバケツに捨ててアマンドにカップを手渡した。


「そういえば今朝のアレは何をしてたの?」

 僕はカウサを頬張りながら二人に聞くとビールを注いでいるアマンドが答えた。


「ガスパルの考えたクレイジーな遊びだ。本当に会えるとは思ってなかったけどな」


 そう言ってからアマンドは僕にビール瓶を手渡すと、彼は酒を飲むのに忙しいから、代わりにガスパルが質問に答えた。

「俺の旅先の決め方だよ」

「旅先?」


 ビールを飲んだらバケツに泡を捨てる。このルーチンでアマンドから僕にカップが来たのでビールを注いで、瓶をガスパルに渡した。


「俺は約束をしながら旅してるんだ。内容は下らない物ばっかりでさ。何年の何月何日、何処どこのカフェで、誰々とテキーラを飲む、とか。砂漠で連れションする、とかな」

「そう言う事。俺とガスパルは一年前この街で会って、約束して、今日約束を守るために再会したってわけだ」


 僕は泡をバケツに捨ててからガスパルにカップを差し出した。


「一年も前?」

「ああ」

「そんな約束、すっぽかされるでしょ?」

「まあね」


 答えながらガスパルはビールを注いで瓶をアマンドに渡した。


「すっぽかされる事もあるし、どうにかして”行けない”って連絡をしてくる奴もいる。我が良き友アマンドみたいに律儀に約束を守って一緒に顔を洗う男もいる」

「褒めなくて良いから、さっさと飲めよ。早くカップを回せ」


 照れくさそうなアマンドを尻目にガスパルは喉を鳴らしてビールを飲んだ。


「俺にとって約束なんか守られなくても大した意味は無いんだ。旅を続ける理由になればそれで良いんだから。でもまあ、こうやって再会するのは、どんな下らない約束でも嬉しいもんだけどね」

「……あんたは大した男だよ」

 思わず、ため息とともに笑みがこぼれた。


「Puta madre!!」

 ビールを飲み干したアマンドがカップと栓を開けた新しいビール瓶を僕に手渡して


「じゃあ、次は俺から質問だ。お前らは、どういう経緯で一緒に行動してんだ?」

「ああ、それなんだけど……」

「レナルト、その説明は長くなりそうだから話す前にカップを回せ」


 ガスパルの言うとおりビールを飲み干すと瓶とカップを手渡し、僕とガスパルが一緒に行動している事情をアマンドに説明するんだけど、その間にカップとビールは僕らの間を三周した。

 最初のうちアマンドはカップを回せと騒いだけれど徐々に静かになり、話が進むにつれ眉間に皺を寄せ始めた。


「レナルト、そいつの外見なんだが……どんな感じの奴だった?」

 空のカップと瓶を手にしたままアマンドが言った。


「黒髪で長髪。目はグレーで、革のジャケットを着てる。そうだ肩にタトゥーがあった」

「蛇と髑髏だろ?」

「なんで知ってんの?」


 アマンドは手にしたカップに瓶ビールを注ぎ、一気に煽ってから僕に手渡した。

「レナルトもガスパルもバックパッカー始めて長いだろ? 旅の間に不思議っていうか、妙な巡り会わせっていうか、経験ないか?」

「不思議な事?」


 僕とガスパルは視線を合わせた。アマンドが言わんとしている事をお互い感じ取っていたと思う。


「マラリアで死にかけた事もあったし、強盗にピストル向けられた事もあったけど、そう言う時って運命みたいな力を感じるんだよ。どん底だったのに、とんとん拍子にタイミングとツキが回ってきて最終的には上手くいく……運命っていうか、なんていうか……俺たちはみんな神の掌の上で在るべき姿に収まってるんだと思うんだよ」

「何ていうかな、アマンド。はっきり言ってくれるとありがたい」

 ガスパルが急かすように言った。


「ああ、悪い。そのな、多分、レナルトの言ってた男、ウチのカフェに来たよ。昨日の夜な」

「本当に? どこに行ったか分かる?」

「地図を見せてくれ」


 ガスパルが広げた地図をアマンドはしばらく眺め、それから現在地からそう遠くはない街を指さした。


「この街の奴らしいけど、うちの雇い主が言うには有名な厄介者って話だ。昨日だって喧嘩騒ぎ起こしてたところ俺も見てるからな」

「レナルト、カップ回してくれないか?」


 ガスパルが静かに言った。僕はすこし飲む気になれなかったから、今回はビールは注がずに、カップと酒をガスパルに回した。ガスパルは地図を眺めながら酒を注いでいた。


「この街なら鉄道が通ってる。ここから電車で一時間くらいだったな。目立つ土地じゃないけど、小さな教会があってさ……」

 地図を眺めながらガスパルが呟き、カップに入ったビールを煽った。


「なんでそんな詳しいの?」

「蛇と髑髏のタトゥーが入った男だろ。まさかとは思ったんだけどな、そいつとも約束してんだ。次の目的地、この街なんだよ」


 アマンドは受け取った酒とカップを忘れたみたいにガスパルを見つめていた。それから「Puta madre……」って呟いて、ようやくビールを注いだ。

 ガスパルは早朝の海のような色した大きな瞳を僕に向けて呟く。

「金を盗んだ男、フリオって奴だろ?」


 ここで、頭の中では悪いとは思ったんだけど、思わず吹き出しちゃったのはガスパルが何とも神妙な顔して全然違う名前を呟いたから。おまけにアマンドは首にかけたセント・クリストファーのメダルまで握りしめちゃって。

 どうやら、僕らの思考はいつの間にか随分ミステリアスな方向へ偏っていたらしい。


「なんで笑う?」

「ああ、ゴメン、ガスパル。いやね、僕の金を持って行った男はジュールって名乗ってたよ。多分、別人じゃないかな」


 そう言うとガスパルも「なんだよ」って呟いて真剣な顔を崩したんだけどアマンドは「まてまてまて」ってメダルを握ったまま、

「フランス語でジュールって名前をスペイン語読みにするとフリオだ」


 首筋に、すっと走る鳥肌を感じるとともに、アマンドがさっき呟いたばかりの言葉が頭をよぎる。

 俺たちはみんな神の掌の上で……


「いつこの街に行く予定?」

「明後日だ」


 みんな神の掌の上で在るべき姿に収まっている。

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