葉桜の邂逅②

 うららかな晩春の、芝生広場を駆け抜ける風が気持ちよく、俺は大きく息を吸いこむ。

 先週予定していた、秋田絵画教室の写生大会は雨のため今日に延期となった。先週ならば、桜は満開だったが、今日はもう葉桜。

 絵画教室の生徒たちは、思い思いのスケッチ場所にちってそれぞれの葉桜を書き始めている。


「せんせーい、こここれでいい?」


 小学四年生のなおちゃんが、画板ごと、緑の葉っぱに覆われた葉桜の絵を俺に見せてくる。


「そうだねえ、よーく見てごらん、葉っぱはこんな風に同じ方向をむいてるかな」


 俺の言葉になおちゃんは、素直に目の前に立っている葉桜をしげしげと観察しはじめた。


「違った、バラバラの方向だ」


 そういって、自分の絵に濁りのない色で葉っぱを書き足していく。その方向はバラバラで、いろんな大きさをしていた。


「今日は絶好の写生日和ですなあ。この公園で写生するのも今年で七回目ですか」


 絵画教室を始めたころから通っている原田さんが、そう俺に声をかけた。


 春川が高校を去った翌年、俺は教師を辞め、自宅近くにアトリエをかまえ絵画教室を始めたのだった。


 明日をまたずに今日する。春川が残した言葉を一年たってから実現させた。

 春川とわかれた公園を教室の写生大会の場にしているのは、偶然じゃない。

 俺の出発点だからだ。


 原田さんの絵を見ると、葉桜をながめる人物が書き込まれていた。


「人物を書き込んだんですね。桜と対比になっていて、いいですね」

 そう俺が感想を言うと、原田さんはニンマリ笑っていった。


「あっちにね、すごく絵になる外国人の二人連れがいたんですよ。一人は黒人の男性なんだけど、まースタイルが良くて九頭身かっていうくらい。女の人は緑の髪して個性的で美人。これはいいって思わずいれこんでしまいましたよ」


 ハリウッド映画好きな原田さんらしい着眼点だ。


 しかし、こんな地方の公園にまで外国人観光客が来るようになったのか。時は確実に流れている。


 緑風高校に、女子のスラックスの制服が導入されたのは、去年の春。スカートとスラックスを自由に選択できるようになった。

 春川の願いは八年遅れて、ようやく届いたのだ。でも、その事を春川に伝える術を俺はもっていない。


「先生、あの二人連れですよ。モデルさんみたいだなあ」


 原田さんに促され、桜並木の下をこちらに歩いてくる人影に目を向けた。

 個性的な緑の髪の女性と目があった。とたん、彼女はこちらに向かって走り出したのだ。


「せんせーい! なんでこんなとこにいるの」


 そういい俺に抱きついてくる彼女の全体重を受けとめ、後ろに倒れこみそうになったが、なんとか意地で踏ん張った。腰を痛めてないといいけど。

 周りでこの光景を見ていた生徒たちが、息をのむ。先生にも遅い春がやっと来たとか何とか言いながら。


 抱きついて離れない、美女をむりやりひっぺがし、その真っ赤な口紅がぬられた顔をしげしげと見る。たしかに、美女だが化粧が濃すぎる。その仮面をはがし素顔を想像すると、あの人物の顔と重なった。


「春川なのか?」


「ひどーい。わかんなかったの」


「おまえ、かわりすぎだろ」

 九年たっても、感動の再会とはいいがたい葉桜の邂逅。年の離れた、お互いの師匠である俺たちらしいじゃないか。


「先生はあんまかわんないね。髪が白くなっただけで。ロマンスグレーで素敵」


「アメリカから帰ってきたのか」


「帰ってきたって言うか、ビリーが私の育ったところが見たいって言うから連れてきたの」


 そういって、黒人モデルをふりかえる。

 英語で挨拶され、見上げるような長身の彼にもハグをされた。


「ビリーは、ブランドをいっしょに立ち上げたパートナーなの。私ファッションデザイナーになったんだよ」


 そう言って、春川は英語で俺の説明を始めた。で、終わるとそのパートナーとマウスツーマウスのキスをした。 ここは日本だぞ、春川。

 周りにいた生徒たちが今度は、深いため息をついた。先生の彼女じゃなかったのかと、言わんばかりの残念な顔をして。


 人前で堂々とキスをし、彼女の故郷をみたいという男。すなわち春川の婚約者であると、俺はこの黒人モデルの存在を理解した。


「彼と結婚するのか?」


「結婚? プライべートでもパートナーだけど籍はいれないよ、めんどくさい」


 どこまでも、しばられない。相変わらず自由だ。その自由を武器に、自分の道は自分で切り開いたんだな。やっぱりおまえは俺の先生だ。


 そんな笑いをかみ殺している俺に、春川はピンクのブラウスをたくしあげ、腕を俺に見せる。


「アメリカにいったばかりのころ、強盗にここ刺されたんだ」


 腕には一文字に走る傷があった。


「その時ばかりは、先生のいう事聞いて日本にいればよかったって心底思ったよ。あの時、わからなかったけど、先生は私を守ろうとしてくれた。自由には代償がいるんだなって。やっとわかった」


 そんな昔の事をいわれても、あの時守りたかったのは、春川だったのか自分の中の何かだったのか、もう忘れてしまった。


 春川の名を呼ぶ声がする。またいつものパターンで母親だろう。そう思いその声の主を目だけで探す。


 葉桜をバックにこちらに歩いてくる人影は、おもむろに口を開いた。


「葉太なの?」


 三十年ぶりに会う、響子だった。相変わらず真っ赤な口紅をつけている。

 春川の実の母は響子だったのか? しかし、響子はアメリカでアーティストになったと聞いた。春川はアメリカで生まれたのか?

 頭の中をめぐる三十年ぶんの疑問。


「ママと先生知り合い?」


「元カレよ」


「ママ、男の人もOKだったんだ。ていうか先生の名前ようた?」

 担任の名前もしらなかったのか……


「葉っぱに太いって書くの」

 その言い方、なんだかちょっと……

 

「自分の名前に葉がついてるから、葉桜もおつとかいったんだ。私あの時感動したのに。えーなんかショック」

 

 俺を無視して進む会話。ちょっと待ってくれ、俺をおいていくな!


「響子が春川を産んだのか?」

 ようやく、混乱する頭を整理し、言葉をひねり出した。


「そうよ、精子提供を受けて、私が日本で産んだの。で、薬剤師の彼女の籍にいれたわけ」


「ママとお母さんは、パートナーなんだよ先生。でも知らなかった。ママ男の人ともつきあえるんだ」


「男の人なら、葉太が今でも一番好きよ。すごく常識的で私にないものを持っていたから」

 そんな、娘の前で堂々と言われても、こっちはどんな顔をすればいいんだ。


「アメリカでアーティストをしていたんじゃなかったのか?」


「二年で挫折したの。そんなに甘くない。日本に逃げかえってきて彼女と出会って、桜子を産んだ。でも、夢をあきらめきれなかった。それで、再度アメリカに渡ったの。今は、なんとか活動は続けてる。あなたは、どうしてる?」


 これから、つもる話をしようじゃないか。それと、娘のことを少々愚痴らせてくれ。元担任として。いや、教え子として。



                 了

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葉桜の君に 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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