零時色の小瓶

安良巻祐介

 深夜、一人の部屋でぼんやりと、時計の針の音だけを聴いている時、たまに、「それ」が出来るのを目にすることがある。

「それ」とは何かというと、一口で説明はしにくいが、時間の隙間に生じる、滓のようなものである。

 時計の針が、零を指すその瞬間――「0」の数字のところへ、針先が止まった瞬間。

 薄紫色の、透き通った破片が、「0」の円の中から、きらきらと落ちるのだ。

「零時のかけら」と、おれはちょっと気取って呼んでいる。

 滓と言っても、見た目にはなかなか綺麗なものだから、それを目にした時には、机の上の壜に入れておくことにしている。

 いつも生じているわけではなく、目でそれが出来る瞬間を見た時でないと、見つからない。零時を過ぎた後に思い出して、時計の下を探しても駄目だ。

 おまけに、見ると言っても、狙って見られるものでもない。意識していては、駄目。本当に、忘我の境地になって、たまたま時計をぼんやり眺めていた時にだけ、それが幾らか生ずるところが目撃され、時計の下から採れるのだ。

 それでも、常から夢想癖と胡乱症を患っているおれは、それなりに条件を満たすことが多く、机の上の小壜の中には、半分くらいまで、透き通った薄紫の層が溜まっている。

 どういう理屈か、玻璃片のようなそれは、壜に収めると幾らか柔らかく溶けるようで、紫の色硝子を溶かしたジャムのような、奇妙な状態になっている。

 たまに蓋を開けて、鼻を近づけてみると、涼やかな、しかしどこかとろりと眠くもなるような、どこかで嗅いだ花のような薫りがするのだが、それが何かという事は、上手く言えない。

 こんなものを集めて、何をしようというわけでもなく、ただまあ、見たり嗅いだりして、綺麗だから、という甚だいい加減な理由で、もう一年くらい、この慣習を続けているのだが、とりあえず、壜にいっぱいになった辺りで、一度、この「零時のかけら」を何かに使ってみるつもりだ。

 いつかT.V.でやっていた風蜜やら網切鍋のような、上品な筋からの保証はないが、それでも蜜菓子のたぐいを作るか、或いは趣味の絵に使う画材の中に混ぜるか、何かしら、試みようと思っている。

 ぼんやりとした午前零時の、曖昧模糊なその色は、自分だけの菓子や絵画に用いるぶんには、ちょっとばかり夢のような、心地のよい気持にさせてくれるような、そんな気がするからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

零時色の小瓶 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ