「きも」と言われて

脳幹 まこと

「きも」から始まる五分間

1.

 日の終わり際、私はレジ袋を片手に電車に乗り込んだ。

 周りを見渡しても空いている席はなかったので、立ったままぼんやりとしていた。やるべきことが幾つもあったため、疲労もそこそこにあった。

 今日のこと、明日のこと、明後日のこと……これからのことを考えるのは気が重くなる。だからといって、これまでのことを考えて気が楽になるかというと、そうでもない。ここ最近、過去と未来を何往復も繰り返して、そのたびにげんなりするのが癖になっている気がする。

 これじゃいかんよなあ、と俯いた顔を前に向けた。窓には自分の間抜け面が映っていて、あとは席に座る人達が本を読んでいたり、スマホを触っていたり、談笑していたり、微睡んでいたり、好きに動いていた。こんな観察をしていて、自分が如何に暇であるのかを自覚した時、ある男性と目が合った。

 自分と同年代と思われる男性――その人は確かに「きも」と言ったのだ。冷ややかな目をしながら。


2.

 さて、「きも」と言われた。

 ここでの「きも」というのは明らかに「気持ち悪い」の略語である。そして自分の体調が優れない時に「きも」と言うことはない。他人の風貌や仕草が不快(気持ち悪い)だと言うことを意図して「きも」と言ったのだ。誰の風貌や仕草であるのか、正解は言った本人にしか分からないが、目が合った人物が私である以上、私と考えるべきなのだろうか。

 いや、自分を標的にしたものじゃないかもしれない。その男性は別の乗客に向けて「きも」と言ったのかもしれないじゃないか。そう思って車内を見渡すものの、別に特段おかしな挙動をしている人物はいない。つまり少なくとも、私がその男性の立場だったとして、ある人物以外に気持ち悪いという感情を抱くことはないだろうということだ。ある人物とは、無論私のことである。私は私が客観的にどれだけ気持ち悪いのかを知らない。ぼーっとしていたから、目の焦点が合わなくもなるだろうし、そのせいで人よりも気持ち悪さが大きくなった可能性はある。

 初対面の人物に「死ね」という輩は逆に精神状態を心配してしまうが、「きも」はあり得るのだ。なぜなら、「死ね」と比べると「きも」は宣言に至るための心理的障壁が低いし、それに、脊髄反射的な――生理的嫌悪としての性質を帯びている言葉に聞こえるのだ。つまり「生理的に無理」ということだ。例えばゴキブリやミミズが床いっぱいに広がっている画像を見せつけられたらどう思うだろう。「死ね」とは出てこないだろうが、「うわ」とか、「きも」と思うはずだ。この言葉が出てくる経緯は、骨身にも染みた深い憎悪ではない。沸騰したヤカンにうっかりと触れてしまった時の拒絶のようなものである。くしゃみや放屁のような、突発的な衝動の結果として「きも」という言葉が紡がれた――


 はたまた、自分で自分のことを「気持ち悪い」と思っているから、人の口を通して言ったように聞き取ったのかもしれない。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつで、嫌いなものというのは、どんな方法を取ってでも価値を貶めてやりたくなるものだ。自己嫌悪を抱く者は、あらゆる方法で自分が如何に無能で、唾棄されるべき、恥の多い存在であるかということを、見出そうとするものだ。場合によっては、その為に犯罪行為をした上で「やはり、自分は存在する価値がない、幸せにはなれない」と結論づけようとする。そこまで重症ではないにせよ、「きも」という言葉は自分に対するネガティブ・キャンペーンの一環ではないのか。

 色んな可能性を踏まえた上で、男性の方を恐る恐るもう一度見てみるが、彼は既によくある乗客の一人に戻っていた。


3.

 そもそも。それが他人が言ったことであっても、自分が言わせたことであっても、「きも」という言葉によって、傷つくことに変わりはないのだ。銃弾が腕を打ち抜いた時に、果たしてその銃弾を撃ち出したものが自分の持っていた拳銃であるか、他人が持っていた拳銃であるかなんて関係ないのだ。身体そのものは貫かれた痛みに悶えるしかない。それと同じだ。

 しかし、だからといって「きも」と言い返すのはどうかと思う。仮に幻聴だったとすると、くだらない被害妄想の末に不毛な傷害事件を引き起こしたに過ぎないし、仮に他人の害意によるものだったとしても、それでも、別に普通の風貌をしたその人物に向けて「きも」なんて言う気持ちにはならない。当たり前なのであるが、気持ち悪いというに値する不快さを伴わなければ、「きも」なんて言葉が出てくることはないし、発したいとも思えないわけだ。だが、私は「きも」という言葉を聞いてしまった。これはどうしたらいいのだろう。現に心の中に黒いカスが沈殿していて、非常に目障りである。平和的解決を望むのであれば、私はきもくないのだと思うしかない。さっきの言葉は空耳、聞き間違いだったし、仮に聞き間違いでなかったとしても、それはその人の認識で、私は私のことを気持ち悪いとは思っていないのだ。そうやって考えることが出来ればどれほどいいだろう。しかし悲しいことに、そんな風に考えられる人というのは、こんなに深く悩むことはない。私は私の中に気持ち悪さがあることを知っている。人から気持ち悪いと言われて然るべきだろうという性質を持っている。ならば、受け入れてしまうか。ありがとう、気持ち悪いということを自覚させてくれてありがとう。そうなんだよ、私は気持ち悪いんだ。そう思っていたけど、今まで踏ん切りが付かなかった、なんだかんだ皆と一緒なんだと思っていたからね。けれども、あなたのおかげで目が覚めた。私はやはり気持ち悪いのか。いやあ、ありがたい、ありがたい。いや、駄目である。大体それで解決するなら、こんなに深く悩むことはない。自分がこんなに深く悩むのは、気持ち悪さを自覚していながら、それでもそれを面と向かって宣言されると不愉快さがにじみ出てくるからに他ならない。精神が未熟だからか、そうかもしれない。人が矛盾を抱くのはごく自然のことだからか、そうかもしれない。そうやって説を沢山引っ張り出せば出すほど、自分が惨めったらしい存在になっていくのを自覚していく。

 どうしたものだろうか。感傷的になったせいか、過去に言われたあらゆる罵詈雑言が次々と頭にフラッシュバックする。まあ、子供の頃なんて言うのは、悪口というものを大した考えも無しにくっちゃべってしまうものなのだが、力加減というモノを知らずに人の心や身体を力任せに引っ張り回してしまうものなのだが、それでも自分の身体にこんなにも多くの傷があることに驚きを隠せない。よく耐え凌いだものだ。まあ、それは同時に自分の傷と同じだけの数を他人に負わせている可能性があるということにもなるので、手放しに賞賛出来るものでもない。


 目的駅が近づいてくる。


4.

 忘れてしまえばいいじゃないか。「きも」の一言くらいで、深刻に悩む必要はないのだ。

 最悪のケースを考えてみるとしよう、私自身は自分のことをそこまで気持ち悪いとは思っていない、むしろ、平均よりは上だと思っている。けれども件の男性をはじめとして、世界中の人間が私のことを「気持ち悪い」と判定しているし、実際に気持ち悪い存在(無意識のうちに全裸で電車の床を舐めているとか)であったとする。男性は虫の居所が悪かったのか、正直者だったのか、勇敢な人物だったのかは知らないが、私の評価を率直に口に出したと言うことだ。「きも」から想定される最悪のケースである。

 けれどもだ。そんなケースだったとしても、現状は「きも」の二文字を呼びかけられただけ。これで乗客がよってたかって私をリンチするだとか、電車が停まって、カメラマンが押しかけてきて、焚かれるフラッシュの中で警察に逮捕され、全国紙に「国の恥」と書かれ、家族、親戚、職場の皆に多大な風評被害を与えたのなら、自分の存在価値について、深刻に悩んでもいいのかもしれない。しかし、実際のところはそうじゃない。まだ何も起こっていない。こうやって考えを巡らせることが出来ているし、乗客は自分達のことに夢中になっている。何よりも今の自分は全裸でもなければ、床にへばりついてもいないじゃないか。


 むしろ、ここまで来たら、男性へのあてつけのために一肌脱いでやりたくなってきた。自己嫌悪ではない、何か別の暗い闘志が湧き上がってくるのを感じる。ここでズボンのファスナーを下ろして、立ち小便のひとつでもしてやったらどうなるだろう。きっと気付いた乗客が訝しげな視線をこちらに向ける。そして誰かが上げた叫び声を引き金にして、パニックが巻き起こるのだ。電車は停まるだろう、カメラマンやフラッシュは知らないが、おそらく警察に逮捕され、自分の周囲の人物に風評被害がばらまかれることは間違いない。そして、連行される際に乗客の一人である件の男性にこう言ってやるのだ――


「お前のせいだ、お前のせいだ。お前が「きも」なんて言葉を吐いたせいだ。お前が悪いんだ。この世界には傷つきやすい精神を持つ人がいることを、無知なお前は知らなかったんだ。軽率な言葉で、私をはじめとした多くの人生を台無しにしたんだ。自分のしたことに怯えたまま、これからの人生を生きていくが良い!!」


 暗い闘志が湧き上がる。その小生意気な、いかにも他人を「きも」と言ってそうなその顔を、恐怖に歪ませてやる。これは天が私に与えた使命なのかもしれない。人の顔を「きも」と言い、多くの人を傷つけてきた悪人を裁くために産まれてきた正義の使者なのかもしれない。

 私は深呼吸をひとつした。慌てた挙げ句にファスナーが衣服や肌を巻き込んだらえらいことになるために、その予防のつもりであった。しかし、この深呼吸によって、私は落ち着きを取り戻し、ひどく冷静になった

 ふたつ、みっつと深呼吸を重ねていくうちに、なんて馬鹿馬鹿しい話なんだろうと思った。よく見てみると、小生意気で、いかにも他人を「きも」と言ってそうな顔というのは、窓に映った自分の顔であったことに気付き、深呼吸はため息になった。


 駅に到着した。

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