004:どこまでも食えない彼
「恋愛と芸術はイコールだ、それらを育む自己表現の過程に美しさがある──果たしてリボン、君がする恋愛に、それらに通ずる健全さはあるのかな?」
カーミラはその澄み渡るほど蒼い双眸をまっすぐに向け、私に問いかける。
背中の方から、今宵もクライマックスが来たと言わんばかりのDJ十八番の選曲が耳かすかに聞こえきた。
先ほどまではうんざりとした喧騒に思えたのに、今この瞬間だけはあの空間に逃げ出したくなる。
「……それは」
言いかけたところで言葉が詰まった──否、詰まったのではない。
出てこないだけだ。
出るものが何もなければ、詰まることなどあり得ないのだから。
「君らのような短命種の人間が一生涯ひとりの異性を愛し続けることは、一本の蝋燭が燃え尽きるのと同じくらい儚く、それでいて美しい」
繁華街と言えどこの時間ともなれば人の往来は少なく、さっきまでの騒がしさはどこ吹く風。
今ばかりはその望んでいない静けさのせいも相まって、ハープの音色のように心地よいカーミラの声は、私の鼓膜を不快に震わせる。
「息をするのも忘れてしまうくらい
けれどもリボンからは、その美しさを微塵たりとも感じらないよ。
彼の瞳は言外にそう語っていた。
「人間である私たちは必ずしもあなた達が望む健全な恋愛をしないといけないって言うの?」
「それは個人の自由だ。僕に強制する権利なんてない」
「じゃあ、なんで私はダメなのよ」
「それは僕の自由だ。もちろん6世紀も生きていれば、とある人間と夜を共にすることもあったさ。けれどもその相手を誰を選ぼうが僕の勝手だろう」
「でも、私を吸血したじゃない。あなた曰く吸血はキスに近しい行為なのだから、私を今晩の相手にふさわしいと思ってしたんじゃないの?」
もはやこの時点で。
人として魅力がない、と──絶対の自信を持つ私の価値が踏みにじられらたことに対する怒りが、カーミラに抱かれたいという欲に完全に勝ってしまい、いささか私は感情的になってしまっていた。
「それこそリボンのような生き方をする人間なら、今日のことは理解しやすいんじゃないかい? だって君は愛していない人だろうと体を重ねるんだろう」
「つまり私は遊びってこと?」
「ひとことで言うならそうなるね」
ちょっと冷静になって考えてみればクラブなんて大人の遊びをするところなのだから、カーミラが女で遊ぼうが別段攻め立てる要件ではない。
だがしかし、その女が私であったということに何よりも憤りを感じる。
なぜ圧倒的な美貌を誇るこの私が遊ばれなくてはいけないのよ──逆じゃないの!?
「ラウンジでも言ったけれど、そもそも吸血鬼がする吸血と人間がするキスには性的な意味合いを含むという点では同じだが、その行為が意味する価値には大きな違いがあるんだよ」
「いったい、どんな違いがあるっていうの?」
「わかりやすく例えるならば、僕らの眷属作りを目的としない吸血は、君らでいう遊びのセックスと同義だ。別にしてもしなくても死にはしないし、種の繁栄にも関係ない──ただの娯楽だよ。人間の血じゃなきゃ空腹を誤魔化せないというわけでもないし、獣を吸血することでも十分に事足りるからね」
あの吸血は遊びのセックス。
つまり、もう既に私は完全にこの吸血鬼に遊ばれたということか。
「君だって今まで数多くの男を手玉にかけ、遊んできたんだろう? じゃあ僕が君や君以外に吸血したって責められる道理はないはずだ」
君がビッチならば僕はヤリチンとでも言っておこうか。
泣きじゃくる赤子をあやすようにカーミラは言った。
「そもそも吸血鬼がするセックスは最上の愛情表現であり、そこに快楽はともわない。だから人間が性欲を満たすためだけの遊びのセックスは存在しない。僕らのは愛がなければ成立しないんだ」
冷たい夜風に当たり、熱くなった頭も程々に冷めてきた私は、自分が遊ばれたことに対する怒りは幼稚な感情論で、ただのわがままでしかないことを悟る。
彼の理路整然とした言い分にぐうの音も出ない。
「あなたが抱いた人は、どんな人だったの?」
落ち着きを取り戻した私は、興味本位でそんなことを尋ねた。
確かにカーミラは私のタイプな顔立ちをしていて、このまま逃してしまうのはあまりにも惜しい。
けれども彼が私に夜のパートナーとして魅力を感じていないのだから、その事実を受け入れるしかないし、ここまで来て文句を言うほど分別がつかない女じゃあない。
ただ純粋に気になる。
この私を差し置いて彼の好意を独り占めしたその人が。
「悪いけれど、この話はあまり僕の口から話したくはないんだ」
「どうして?」
「あの人の話をするには、僕の今までの生涯で最も涙を流した夜のこと語るのと同じだからね。いやでも悲しくなってしまう」
吸血鬼にも悲しいという感情はちゃんとあるのね。
もっと非道で残忍なイメージをしていたから意外だわ。
「失礼な、モノノ怪といえども心はちゃんとあるに決まってるだろう。喜怒哀楽のない日々なんて退屈で、それこそ死んでしまうよ」
生物ではない彼らに死ぬとか生きるという表現が適切なのかは疑問が残るところだったが、カーミラの言い分はもっともだ。
感情の起伏のない人生なんて退屈で息が詰まりそうになる。
私の今日は悲しみと怒りが同時に訪れる日だったらしく、もちろんそれは気分が良くなるものじゃあないけれど、結果的には刺激的だったし、当初の願いは果たしたことだろう。
「でもまあ、これも何かの縁だ。こんなにも人間と濃く関わったのはリボンが数世紀ぶりだし、断片的でよければ話そうかい?」
「ええ、後学のためにもお願いするわ」
そうしてカーミラは話し出した。
その人間と出会ったのは今から300年前のことで、草原が無限に続くような牧歌的な場所だったらしい。
「僕がたまたまそこで昼寝をしていると、どこからともなく泣き声が聞こえたんだ。その声の主がそいつだよ」
どうやら当時の流行りの病により、生涯を共にした最愛の人を失ったのだと言う。
「そいつは僕が吸血鬼だと知ると、自分の命を代償にするから死んだ伴侶を生き返らせてくれと懇願してきた。今より悪魔信仰が根強い時代だったからね。でも生憎、僕にそんな力はない」
それでも尚、その人はカーミラにすがったらしい。
悪魔、もといモノノ怪に助けを乞うほど参っていたのだろう。
「不憫に思った僕はせめて出来ることをしようと思って、そいつの話を聞いてやることにしたんだ。そいつが亡くした伴侶のことをどれだけ愛していたかを説かれ、そこで僕は感銘を受けたよ」
ひとりの人を愛し続けることがどれだけ尊いことか。
そして、その尊さを持ったこの人間がどれだけ美しいかを。
「気づけば僕は恋をしていた。初めは吸血鬼が人間を好きになるなんてと、自分で自分が馬鹿らしくも思えたさ。でも好きになってしまったものは仕方がない」
それからというもの、カーミラはその人間に猛アタックをしたらしい。
はじめこそ最愛の人を亡くした悲しみでその人はふり向きもしなかったが、次第に彼らは惹かれあったという。
「それで僕らは結ばれ、その後も仲睦まじく過ごしたというわけさ」
まさかこの吸血鬼に、そんな過去があったとは。
なかなかロマンティックじゃないの。
「でも、この話のどこか悲しいの? 聞く限りだといい話よ」
「君はもしかするとバカだね、リボン。僕が吸血鬼で、そいつが人間だったことをよく考えてみなよ」
「──!」
言われて気づいた。
これは300年前の話だ。
ともすればカーミラが愛したその人間はとっくに死んでいるし、それは必然的に別れを意味する。
「今でも後悔しているよ。人間のような短命種に恋さえしなければ、僕はあんなに悲しむことだってなかったのだから」
だから僕はもう誰も愛さないし、恋愛の美しさは見るだけで十分だ。
彼は寂しそうにそう締めくくった。
なるほど。
つまりカーミラに抱かれたいという私の策略は、はじめから頓挫していたわけけか。
さすがモノノ怪、吸血鬼──これは一本取られたわね。
「おや、これはまずいな。つい話し込んでしまったせいか、向こうの方が明るくなってきた」
いつの間にか、夜が更けようとしていた。
「そろそろ始発が動き出す時間だし、私も帰ろうかしら」
長い夜にもとうとう終わりがやってくる。
「それにしても、やっぱりあなたほどの男を虜にしたのだから、きっとその人間はさぞ素敵な女性だったんでしょうね」
別れ際。
暗闇に潜ろうとするカーミラの背中を見送りながら言った。
叶うことならば、彼にここまで言わせるその人に会ってみたい。
しかし、まだ私は知らなかった──さらに大きな裏切りが私を待ち受けていることに。
「いや、そいつは男だよ──ゲイなんだ、僕」
吸血鬼に抱かれたい だるぉ @daruO
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