後編
駅構内のカフェに入り、二人がけの席に向かい合って座る。注文を済ませてふと冷静になってみると、千佐都の私服姿を見るのは初めてだということに気が付いた。夏らしいマリンボーダーのワンピースに身を包む千佐都の姿はやはり新鮮で、思わず視線は宙へ浮いてしまう。
少しの間沈黙が続くと、二人分のアイスコーヒーが運ばれてきた。「時間ありますか?」と言ったのは宗也の方だ。そろそろ話を切り出さなければと思っていたが、どうやら千佐都に先を越されてしまったようだ。
「どうして私がこっちに戻ってきてるのか、不思議に思ってるんでしょ?」
挙動不審な宗也を見て、千佐都はドヤ顔に近い微笑みを浮かべてくる。私服姿なのだと意識したら緊張した、などと馬鹿正直に言えるはずもなく、宗也は無言で頷く。
「幼馴染が結婚するんだ。だから、結婚式に参加するために帰ってきてるって訳」
「け、結婚……」
「そう、ビックリだよね。私なんか結婚なんて考えたこともないのに。二十歳になっても大人って気すら全然しないよー」
あはは、と乾いた笑みを零しながら、千佐都は視線を沈ませる。
きっと、こういう時は「そんなことない」とか、「大人っぽくなった」とかを言うべきなのだろう。実際にそう思ってもいるのだから言えば良いのに、声が出ない。
結婚なんて考えたこともない。二十歳になっても大人という気がしない。
千佐都から零れ落ちる言葉に、宗也は同感してしまう。むしろ高校生の時の方が前を向いて歩いていたし、心も大人だったような気がする。
「ありがとうございます。恵庭先輩」
「? それって、どういう……」
「俺…………ずっと、恵庭先輩に会いたかったのかも知れません」
思わず本音を零すと、千佐都は小首を傾げた状態のまま固まってしまった。ほんのりと頬を朱色に染める千佐都を見て、宗也もまた身動きが取れなくなる。しかし宗也は、心の中で即座に言い訳をした。
でも、だって、仕方がないではないか、と。
千佐都と再会して、立ち止まって、過去を見つめ返して。宗也は思い出した。
高校一年の春、野球部の見学に行ったあの日。宗也を力強く誘ってくれたのはマネージャーの千佐都だった。どんなに運動神経がなくても、イージーミスを繰り返しても、他の部員達に煙たがられても。千佐都だけは笑顔で背中を押してくれた。
確かに宗也は野球の才能かなかったし、大変な日々だったけれど。決して辛くなんてなかった。むしろ、今の自分と比べると何倍も楽しい時間だったと思う。
「恵庭先輩、俺……。また、野球と向き合ってみたいと思うんです。…………って言ったら、笑いますか?」
自然と溢れ出た自分の言葉に驚く――なんて現実逃避は、もうしない。
あの頃の自分は眩しかった。それに比べて今の自分はどうだ。目的も何もなく、不特定多数の「誰か」に認められたいがために突っ走る日々。
そんなのは嫌だと、千佐都を見て初めて思った。
「……恵庭先輩?」
千佐都はただ、俯いていた。
じっとコーヒーに視線を落としながら、苦しそうに顔を歪めている。
「笑うよ」
少しの沈黙のあと、千佐都は表情と真逆の言葉を呟いた。顔を上げ、赤らんだ瞳を向ける。今にも感情が爆発しそうな程、潤んだ目をしていた。
「だって宗也くん、いっつも愛想笑い浮かべてたんだもん。私、ずっと後悔してた。宗也くんを無理矢理野球部に勧誘したの、間違ってたんじゃないかって。宗也くんのことが気がかりでたまらなかった……から」
千佐都は小さく「ごめんね」と呟き、ハンカチで目元を拭う。瞳は相変わらず赤いままだが、そこにはあの頃と同じような無邪気な笑顔があった。
「ふふん、嬉しくて笑っちゃうって意味だよ。ビックリした?」
「いや、泣いてましたけど」
「…………ふぃー」
カッスカスの口笛を吹きながら、千佐都はわかりやすく視線を逸らす。本当に見た目以外は何も変わっていなくて、宗也は何故か逆に泣きそうになってしまった。しかし、今は泣いている場合ではないと気が付く。懐かしい時間に触れられるのは、今だけなのだ。
「俺も嬉しいです。恵庭先輩と再会して、気付かなきゃいけないことに気付けました」
「……うん。私も宗也くんに会えて良かったよ。宗也くんもお急ぎ
「何ですかそれ」
「変に急いでる人達の総称。宗也くん、さっき凄い顔してたから」
さも当然のように謎の名称を付けるのも、やっぱり昔と変わっていない。「お急ぎ症候群」。確かに、言われてみればさっきまで宗也もその一部だったのだろう。
でも、今はもう違う。
「……草野球サークル。今日、見学に行ってみようと思います」
「そっか。……宗也くん、楽しそうだね?」
千佐都に訊ねられ、宗也は隠しもせずに笑い返す。
色々迷った挙句、再び野球に触れられる。そう思うだけで、宗也の心は踊っていた。
了
お急ぎ症候群 傘木咲華 @kasakki_
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