後編(白椿の咲く頃 完)
「……もう来ないかと思ってた」
「はぁ、はぁ……悪い。遅くなった」
あれからずいぶん時間が経って、もう空がすっかり黄昏色に染まった頃、その時間になって、俺はようやくかなえの待つ白椿通りへとたどり着いた。
駐輪場脇にある白椿の木の下に立っていたかなえは、遅れてきた俺に、むすっとした顔でジト目を向けてくる。怒っている。まあ、当然か。思い当たる理由はふたつある。
ひとつはこの場所に俺がやってきた時間について。スマホを見ると、もうすぐ18時になろうかとしていた。7限目が終わる時間は16時30分。だから、移動時間を加味しても、かなえを1時間ほど待たせてしまったことになる。その間、俺は遅れるという連絡をするのも忘れていたのだから、かなえが怒るのも当然のことだった。
もうひとつは……。
「きょうはどうして学校を休んだの? メール送っても返事がないし、休んだのになぜか制服だし……」
そう。かなえの言葉通り、きょう俺は学校へ行かなかった。
あることをするために学校をサボったのだ。
言い訳をさせてくれるのなら、もちろん俺は別に最初からサボるつもりではなかった。本当なら、その用事を終わらせてからすぐに学校に向かうはずだったのだが、結局はそれがこの時間までかかってしまって行けなかったという話なのだ。
俺はジトっとした目で見つめ続けてくるかなえに、その理由を説明するために口を開いた。
「ごめん、かなえ。……実はさ、きのう学校から帰るとき、かなえから貰った手紙、風に飛ばされてどっかやっちまったんだ」
「えっ、そうなの?」
俺のそのカミングアウトに、かなえは怒りの表情を崩すと、目を丸くして驚いた。でもすぐにまた表情をふくれっ面に戻して、俺に尋ね返してくる。
「けどそれじゃあこの場所に来られないんじゃない? あの謎が解けないんだしさ?」
「それはアレだ。手紙は陽子に頼んで複製してもらったんだ。だから、ちゃんとあの謎を解いてこの場所だってのは分かったんだ」
「あー、なるほど。陽子ちゃんにね」
「そういうことだ」
かなえも陽子の力については何度か目にしたことがあるはずなので、俺の複製したという言葉もすんなりと理解したようだった。
「でも、それと学校を休んだのにはどういう関係があるのかな? わたしが作った謎がなかなか解けなくて、この時間までかかったとか?」
と、疑問の声をあげるかなえに向かって、俺は首を横に振る。
「あぁいや、それは今朝にはもう解けていた。俺が学校をサボることになったのは…………解けたと同時に思ったからなんだ。——万が一あの手紙をだれかに拾われたらまずいかもしれないってさ」
そう言ってから、俺はスラックスのポケットからそれを取り出すと、かなえに見えるように目の前に掲げた。
「——だから、探してきた。……悪い、こんなくしゃくしゃにしちまって」
そのA4用紙は踏まれたあとなどでヨレヨレになっていたが、間違いなくきのう風に飛ばされていったかなえの手紙だ。
俺はきょう、これを見つけるために街中を探し回ってきたのだった。
見つけたのはついさっき。朝から探し続けていたが全然見つからず、もう諦めてかなえのところに向かおうと、白椿通りを目指していた時だ。途中公園のそばを通ったとき、遊んでいた小学生ぐらいの子どもたちのこんな会話が聞こえてきたのだ。「ねえ見てみて、なんか変な紙拾った〜。ほら、数字がいっぱい書いてある」「へーほんとだ。あ、字も書いてあるじゃん……えーと、なんとかくさ、たける? なんだろ? 誰かの名前かな?」
本当に奇跡だって思った。俺はすぐに小学生たちに頼みこんでその紙を譲ってもらったのだった。
だからいま俺の手にあるこの手紙は間違いなくかなえの書いたあの手紙だ。
かなえはしばらくその手紙を見ていたようだったが、やがて視線を俺の顔に戻すと、
「ふ〜ん、拾われたらまずい、ね。……そう思ってくれたってことは、わかったんだ? わたしの用件がなんなのかは」
「……ああ」
無意識なのかどうかは分からないが、リュックの紐をきゅっと握ってそう言ったかなえを見て、俺は神妙に頷く。
「……それで?」
かなえは一度ゆっくりと目を伏せてから、またゆっくりと顔をあげると、俺をまっすぐに見つめてくる。力強い目。覚悟は決まっているというような表情だった。
「どうなのかな? たける君の返事はさ」
「…………」
その視線に射抜かれて、俺はまぶたを閉じて考える。
俺が手紙から導いた言葉は、——『I LOVE YOU』の文字。
その意味はどうしたって一つしかなく、俺はそれが何かの間違いじゃないかと、解読したその文字を穴が空くほど見つめた。
だけど、それは間違いようもなく正真正銘の——告白で。
かなえが勇気を持って書いてくれた手紙のはずで。
断るにせよ、受け入れるにせよ、
俺は覚悟を決めてはっきりと何かを答えなければいけないのだって思う。
だけど——。
「……なんで、俺なんだ?」
喉から出ていたのは、そんなバカみたいな言葉だった。
情けないことに、朝からあれだけの時間があったのにも関わらず、俺はまだなにも覚悟を決めることができていなかった。
告白を断る覚悟も、受け入れる覚悟も、何も。
どうしたらいいのか分からないまま、気持ちをなんら固めることができないまま、俺はいまかなえの前に立っていた。
「……それ、今きくの?」
「すまん……」
案の定、かなえは呆れた視線を向けてくる。その瞳には失望さえ宿っているように俺には感じられた。
だが情けなくも俺はただ黙ってかなえからの返答を待っているしかできない。
そんな俺を見て、
「はぁまったく……しょうがないなーたける君は……」
とかなえは大きくため息をつくと、リュックの紐を掴んだままくるりと背を向けた。
そして——。
「——じゃあ、教えてあげる」
俺に背中を向けたまま、かなえは話し始めた。
「覚えてる? わたしたちが初めて会った時のこと?」
「……あたりまえだろ。忘れるわけないさ」
それは去年の五月、陽子に提供するための謎を集めるために、俺が新しくミステリークラブを旗揚げしたすぐのこと。依頼人第一号としてやってきたのがかなえだったのだ。
そしてなんやかんやあったが陽子の尽力の結果、無事かなえの依頼は解決して、
「それで結局、わたしはたける君のつくった部活に入ることになったんだよね。あれから一年かぁ〜、なんだかあっという間だったような気がするよ」
懐かしむようなかなえの声。
「でもさ、私たちの部活って、依頼が来なければやることがないじゃない? けれど依頼なんてそうそう来るもんじゃないから、大抵はただ部室で暇をつぶすだけの日々で。ほんと、ただ一緒の空間にいただけ。たまに雑談もするけど、正直何を話したかなんて全然覚えてないし、毎日がただ無意味に過ぎていっただけのような気もする。
……でも。でもね。そのどうでもいい毎日を過ごすうちにさ——」
かなえはそこで言葉を切ると、くるりと振り返って弾けるような笑顔を浮かべ、言った。
「——いつのまにか君を好きになってた」
沈みゆく夕陽に照らされたその笑顔は、今まで見たことがないぐらい、純粋で、可愛くて、綺麗だって思った。
「いつの間にか、君と話しているとドキドキしてる自分がいた。部活中にいつも君はいまなにしてるのかなってちらちらと何度も見ていることに気づいた。時計の針を見ては部活の時間が永遠におわらないで欲しいと願ってる自分に気がついた。
ふふ、気がついたらもうダメだね。
あの手紙を書くときも、本当の意味に気づいてくれたらいいなって思いながら、でもやっぱり気づいて欲しくないかもってドキドキしてた。
ほんとはさ、告白するのは卒業まで待とうって思ってた。でもやっぱり無理だったよ。
だから、さ。もう一度、言うよ?
——わたしは君のことが大好きです。どうかわたしと付き合ってください」
……真っ赤な顔で俺に笑いかけてくるかなえの口から紡ぎ出された言葉は、誤解のしようもないほどの俺に対する真っ直ぐな想いだった。
その眩しい笑顔と気持ちを向けられるのが気恥ずかしくて、俺はかなえの視線から逃げるように頭上を見上げる。そこには夕暮れ模様の空と、それに覆いかぶさるように艶々とした椿の葉が風に揺らめいていた。
——俺は、どうしたらいいんだろうか。こんなにも真っ直ぐな気持ちを向けてくる女の子に向かってなんと言えばいいのだろう。
俺はかなえのことをどう思っているのだろう? 嫌いなのか?
そんなわけがない。かなえと過ごす部活の日々は、とても居心地のいいものだった。
ただ……。
そう、ただ、わからないんだ。
この想いが恋愛感情なのかどうか。
俺にはわからないんだ。
とりあえず付き合ってみてから考えたらいい。そんな戯言をだれかは言うかもしれない。恋人として過ごしてみることで、わかることがきっとある。と。
だがそれは本当に正しいことなのか? こんなにも真っ直ぐな想いに対して、そんないい加減な気持ちで答えを出していいことなのか?
——そんなの、いいわけがない。
真剣に、真摯に向き合うべきことのはずだ。
少なくとも、俺はそう思った。
だから——。
「……待ってて、くれないか?」
「え?」
だから俺は告げる。正直に、今の自分の気持ちを。
「……俺さ、女の子から告白されるなんて初めてでさ、ほんと嬉しい。……だけど、分からないんだ。俺自身の気持ちがどうなのか、ほんとうに分からない。だからさ、考える時間が欲しいんだ」
それは最低な答えなのかもしれない。自分本位の答えだって軽蔑されるものなのかもしれない。だけど、それがいまの俺にできる精一杯の、偽らざる答えなのだ。
だから俺は出来る限りの誠意を言葉に込めて言った。
「——俺に時間をくれないか、かなえ。半年でいい。この椿の白い花が咲く頃までにはきっと答えを出す。だから、それまで返事は待っていてくれないか?」
たとえ、その答えがかなえの期待したようなものではなかったとしても、たとえこの答えが彼女を深く失望させるようなものであったとしても、これが今の俺ができる精一杯なのだ。
「…………」
俺の答えを聞いて、かなえはじっと地面を見つめたまま動かない。ただ無言の時間が過ぎていく。
長い、まるで悠久の時間が流れたような長い空白の後、
「…………そっか」
とかなえはぽつりとそう呟いた。「そっかぁ……」と。
「……悪い、こんな答えしか言えなくて」
「ううん。……大丈夫。わたしこそ、いきなりでごめんね」
大丈夫なわけがないのに、気丈に振る舞い続けるかなえのその姿を見て、俺は心を震わされる。いますぐ前言を撤回して、俺の気持ちなどかなぐり捨てて告白を受け入れてしまいたくなる。
でも、それはやっぱり違うと俺は思うのだ。
そして、かなえは気丈にも椿の花のような笑顔を浮かべて、俺に宣言した。
「——そのかわり覚悟しておいてよね、たける君。わたし、もう遠慮はしないから! 知らないよ? わたしが本気を出したら、君なんかすぐにわたしにメロメロになっちゃうんだから!」
そんな魅力的な少女に向かって、俺は精一杯の想いを込めて、「ああ、望むところだぜ!」と決意をあらたにするのだった。
「……それじゃ、帰ろっか」
「……ああ、そうだな」
そして俺たちは帰路に着く。俺は徒歩で、かなえは自転車。先帰ってくれていいぞと何度も言ったのに、かなえは自転車を押しながら俺の歩みに合わせてくれる。その意味はもう十二分にわかっている。
だから、なにか気の利いたことを喋ろうとして必死で思考を働かせていたおかげで、俺は陽子との約束を思いだした。
「あっと、ちょっと待ってくれかなえ。帰る前にケーキ屋寄っていいか? 陽子にプリン買って帰る約束なんだ」
「うん、もちろんいいよー」
お店で陽子のためにデラックスプリンを五個、それからかなえのためにシュークリームを注文した。そしてレジでお金を払おうとしたところで、俺は大変なことに気づいたのだった。
「あ……やべ、俺サイフ持ってくんの忘れた……」
そんな俺をかなえは呆れ顔で見て、
「あはは……貸し1、だからね? たけるくん」
「……すまん。助かる」
なんだか、今日はかなえに俺の情けないところばかり見せてしまった気がする。おそらくきょうでかなえの中で俺の評価はだいぶ下がってしまったことだろう。
でも、きっとそうした一面を見せることも必要なことなのだって俺は思う。
相手のいい一面だけじゃなく、悪い一面も知っていくことで俺たちはもっと相手のことを理解できるようになるのだ。
だから、俺はもっとかなえのことを知っていこうと思う。良いところも悪いところも、もっと。
そうすれば、きっといつか——。
そうして帰路に着いた俺たちの歩く先を、瞬き始めた電灯の光が反射し、まるで祝福するかのように椿の葉がきらきらと輝いていた。
《了》
狐の窓からみる景色(仮) 読み切り版 pocket12 / ポケット12 @Pocket1213
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます