第16話 「Blank space」

私は欠陥品だ。


人と話す必要性を感じず、食べることも寝ることもしたいとは思わない。


人間としても欲求が欠けているのだ。


だから、私は生みの親に捨てられたのかもしれない。

鳶色の髪も、変な色の目も他に誰一人として同じものを持った人間を見たことがない。


喋りかけてきた子に応答しなかったら、その子は怒って去って行って、次の日には足を引っかけてきたこともある。

バケツいっぱいの水をかけられたことも、机の中に虫を入れられたことも、後ろから小突かれたことも。


その度に、私は彼女たちがどのような思考回路で行動したのか、どのような手順を踏んだのか、事象を一瞬にして理解できるというのに、感情は一切読み取ることができなかった。


分からないことは、分からないまま。


表に出したいと思う言葉も見つからなかった。


使わないものは衰えていくだけ。


いつしか、声は出なくなり、顔はピクリとも動かなくなった。


そんな頃、おじいさんが私を施設から引き取った。


里親制度において里親は、どんな子供を養子にするかまでは選べない。

そのせいで、おじいさんは私のようなハズレくじを引いてしまったのだろうと思った。


施設長が縫ってくれた布地のかばんを背負い、おじいさんが手を引いてくれるがままにされていたら、綺麗な海が見える場所に着いた。


丘の上にポツンと立っている家。


ここがおじいさんの家らしい。


車から降りて、大きなおうちを見上げる。


犬が一匹、吠えながら勢いよく走ってきた。


潮臭い風と、遠くから聞こえる小波。


おじいさんはここに着くまで無理に何かを聞いてこようとはしなかった。

ただ手を握っていてくれた。


大きくて、しわしわな手。

温かい、と思った。


初めて、きちんとおじいさんの目を見たとき、やっと私は伝えたい言葉を見つけた。


「永良です」、と。


自分の名前を名乗りたいと思った。




ベースのストラップを外し、スタンドにベースを立てかける。


不思議と、おじいさんと初めて会った日のことを思い出しながら弾いていた。


何の曲を弾こうか、それとも即興で弾こうか。

何でも良かった。


私が私であるということが伝わる曲であれば。


名乗るよりも、弾くほうが合理的だ。


音は言語化するよりも容易に伝達することができる。

なのに、人間は未だ言語に頼り切っている。

言語化は最低限でいい。

そう、例えば自分の名前とか。


「翡翠川永良、」


一応頭も下げておく。


習った通り、三秒姿勢を保ってから、面をあげると、部屋にいた全員が私を見ていた。


誰も何も喋らない。


私から伝えたいこともない。


音がしない時間が過ぎていく。


暇だしもう一曲弾いておくか、とネックに手をかけたその時、やっとキリカちゃんが反応を見せた。


「えーっと、随分と実力行使ってかんじね」


言っていることがよく分からないので、首を傾げておく。


「で、どうかしら?三人とも」


何となく、キリカちゃんの意図は分かった。

三人に合意を取ろうとしているのだろう。

私がバンドに入ることへの。


そう簡単に決断するものでもないが。


私としては、彼らの実力を見たいところだ。

作曲しようにも、スペックが出そろわないことにはできない。


しかし、それを言い出せる間ではないということは、キリカちゃんの視線から十分伝わってきたのでとりあえず、椅子に座って、三人の様子を見る。



岩崎一蕗は、以前とは違い、表に感情を出すことなく考え込んでおり、

三枝桃は、何か考えている素振りを見せながら、意識は周囲に向いているようで、

丹羽飛鳥は、手を挙げたり下げたりしながら、キョロキョロと視線を彷徨わせている。



かなり時間がかかりそうだと判断した私は、今持ちうる彼らへの印象を音に変えて、頭に思い浮かべた。


近くにベースも、キーボードもあるのに、作業することが叶わないとは。

何とも惜しい。


書留ようにも、荷物は事務所内にもらった自室に置いてきた。

持っているのは、スマホとヘッドフォンだけ。

せめて、スマホを触ることくらいは許されるだろうかと、キリカちゃんに視線で訴えると即却下された。


無念。


そして再び、音を頭の中で興していく。


試しては捨て、試しては捨て。

いくつかのパターンができあがった。



「悪いのだけど、今、この場で結論を出してちょうだい。

これ以上、スケジュールを後倒しにはできないわ」


一曲簡単なものが仕上がった頃。


キリカちゃんが賽を投げた。


これだけの時間があれば、ある程度考えはまとまっていると踏んだのだろう。


そして、一番最初に口を開いたのは飛鳥だった。


「僕は、賛成。ベースほしいもん」


次は桃。


「僕は、どっちでもいいよ」


最後に一蕗だった。


「Heathが加入すればボーイズグループとして売れなくなるが、ファン層は広がる。んで、ベースは曲に幅を持たせるには必須だ。実力も申し分ない。

…合理的に判断すれば、賛成せざるを得ないだろうよ」


「…で?」


「ただな、気に食わねえのよ。喋りもしねえ、最低限のあいさつもできねえ。この先一緒に仕事していきたいかって聞かれたら確実にNOだな」


「」


「そこんとこどうなんだ?Heath……お前の意思はどこにある??」


睨み上げるようにして、こちらを見る岩崎一蕗。


そこに怒りは感じられない。


冷たく、鋭い感情が載せられている気がした。




――ああ、何故こうも人間は言葉を求めるのか。


内心煩わしくて仕方がない。




「覚悟は見せた」


――私とて、生半可な気持ちで仕事を引き受けたことは今までで一度も無い。これからも無い。



「それと、私はHeathとしてに参加する気は無い。

ベースの翡翠川永良として、Blank spaceの一員になる」



岩崎一蕗の視線を真っ向から受けとめる。

意思が伝わるように。



喋らない私なりに考えた言葉を彼に返したつもりだ。














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Blank 鈴鹿黎 @reisuzusiro0

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