4話 ずっと見てたよ、ジイっと見てたよ

                  

 その夜(まあ、ずっと夜だったけど)――。



 今すぐ童貞をよこせと大暴れするねーちゃんをなんとか部屋に放りこみ、居間に布団を敷いて彩々を寝かせてから、ようやく僕は床に就いた。

 時刻は午前二時半。

 ……眠れない。

 体は疲れているはずなのに、いろんなことが起こりすぎて神経が昂ぶって眠れない。


『い・い・な・ず・け・なんだから❤』

 

 寝返りを打つと彩々の言葉が脳裏をよぎった。

 ずしりと脳が重くなる。

僕がとっくに忘れていた約束を、アイツはずっと覚えていたのか。

 僕が覚えている最後の彩々は、泣いていた。

卒業式の次の日、僕達家族は突然中国に渡るといいだした彩々一家を空港まで見送りに行った。

 彩々は目に涙をいっぱい溜めて、それでもこぼれなければ泣いていないとでも言うように必死に天井を見上げていた。


『リョーアン、あだじ、あだじ、ゼッダイ帰っでぐるがらねぇ』


 小学校六年生の彩々。

 髪が短かった。小柄で痩せていた。いつも走り回っていて、スカートをはいたところなんて見たことがない。ボーイッシュと言っていい風貌だったけれど、猫みたいな大きな釣り目が印象的で、笑顔が妙に人懐っこくて、本人は知りもしないだろうけど男子からの人気は相当なものだった。

「彩々って可愛いよな」

よく同級生に耳打ちされたけれど、あまりにも彩々と距離が近すぎた僕は、いつもそれが理解できなかった。小学生の俺が彩々と言われて思い浮かべるのは、『べー』だ。芸術的なまでに人を苛立たせる、あの舌出し顔だけだ。

斎部の『ベー』で『インベーダー』、せめてもの腹いせにつけたあだ名だったけれど、十年たって彩々は本物の『侵略者』になって帰ってきた。俺の平和な日常を木端微塵に打ち砕く、ステルスインベーダー。

 ……ダメだ、寝れない。

 枕元を探りケータイのサイドキーを押し込んだ。イルミネーションが真っ暗な部屋を仄かに照らす。午前三時。時刻を確認し、そのままの流れで半ば条件反射と化している操作を入力した。

 画像フォルダが呼び出され、健全な男子高校生の健全なコレクションが画面いっぱいに表示される。

 ―――ごくり。

 思わず唾を飲みこんだ。さて、今夜のお相手は誰にしようかなっと…………。

 慣れた手つきで画像を次々とスライドさせる。僕の健全フォルダに住まわっている健全な画像たちは幾多の取捨選択を潜り抜けた精鋭ばかりで、いつ呼び出しても僕に安定した刺激を与えてくれる。しかし、それが逆にアダとなって新鮮なトキメキが失われていることも否めない。そろそろ新しい子を入荷するかな。

………………って、ちょっと待て。

じゃあ、さっき生唾を飲み込んだのは誰なんだ。

僕じゃない。数えきれないほどの夜を共にした僕と彼女たちの関係は、もうそんな青臭いものじゃない。

ベッドの上に半身を起こし、ケータイの灯りを哨戒灯代わりに部屋を巡らせた。

正面に本棚、その横に物置と化している勉強机、テレビ、洋服ラックと続いて、壁にはアン・ハサウェイの限りなく裸に近い水着ポスター、さらには扉……がかつてあった場所。

ねーちゃんに蹴り破られた扉は、世界中に向けて開放されていた。

「……いんのか、彩々」

「うぇっ、なんでわかったの!」

 暗闇が返事をした。

「何やってんだ、お前! 下で寝ろっつっただろ!」

 声のした方向にむかってケータイの明かりを突きつける。

「うおっ、まぶしい! ち、違うの、リョーアン。あたし、あたし…………」

「なんだよ」

「一緒に寝てもい―」

「だめだ。帰れ」

「早い――――! リョーアンが喰い気味にひどい事言う―――!」

「うるせーよ! 頼む、もう寝かせてくれ! ホント頼む」

 もうなりふり構っていられない。マットに頭をガシガシと叩きつける僕。

「あ、あたしだって寝たいんだよ! でも、でも……一人じゃ怖くて眠れないから……」

透明人間のシャーマンが怖いものって何だ。

「お願い、リョーアン。大人しくしてるから。空気と化すから。ここで寝かせて! ね、お願い。このとーり!」

 どのとーりだよ。見えねーんだって。

 それでも、そうとう頭は下がっているんだろう。彩々の声はベッドの上で土下座する僕よりさらに下から聞こえていた。

「いや、でもそんな事言われてもこの部屋に寝る場所なんか…………」

「いいからいいから、床でいいから。この一週間ですっかり慣れちゃったから。よいしょっと。あー、これこれ。ここの床のくぼみが何とも頭にフィットするわ~」

「おい、ちょっと待て、彩々! なんだ、一週間ってなんだ!」

ただでさえ数少ない貴重な眠気が完全にふっとんだ。

「お、お、お、お前まさか………この一週間ずっとこの部屋で寝てたんじゃねーだろーな」

 アン・ハザウェイのナイスバディに向かって伸ばした手がブルブルと震える。

「え? そりゃあ、寝てたけど?」

「なんで!」

「……許嫁だから?」

「バカか! バカなのかお前は!」

 信じらんねー! ありえねえ、コイツ! 

 部屋主に黙って一週間も潜り込んでたって言うのか? え、てゆーことは、なに?つまり僕は同じ部屋に幼馴染がいるのも知らずに夜な夜な健全な画像を?

 いや、いい。この際、もうそれはいい。

 問題は…………その先だ。

 健全な男子高校生が夜中に健全な画像を呼び出して、眺めて終わるだけのはずがない。

 少なくとも、僕は終れない。この一週間は……終っていない。

「あ、あ、あ、あ、彩々…………まさか、お前、まさか…………見たのか?」

「見た? ぶぅえっ! だ、大丈夫! それは大丈夫だよ! いくら許嫁でもそこは……ね? 大丈夫大丈夫。そーゆー気配を感じたらすぐに部屋から出て行ったから! 安心して。観てないよ、一回も。あっ、一回?………えっと、うん、観てないから………一回も」

「一回見ただろお前!

「ごめんなさいごめんなさい! 違うの、だってリョーアン、毎晩毎晩するんだもん。無理だよ、全回避なんて。むしろワンミスで済んだ事を誉めて!」

「誉めるかあああああああ!」

 最悪だ。ここ十年で最悪のニュースだ! 死にたい。もー死にたい!

誰か、幻覚だといってくれ! 精神病でもなんでもいいから、これが嘘だといってくれ! 

「あ、あの……リョーアン?」

「なんだよ! まだなんかあんのかよ!」

「いや、違うの。その、リョーアンも………」

「僕も……なんだよ?」

 そして、彩々は口を閉ざす。

 黙りこんだ彩々は完全に暗闇と一体化する。

 まるで、そこにいないように。

「リョーアンも…………男の子になったんだね……ポッ」

「じゃかましいわああああ!」


「うるせえぞ! リョ―アン! 深夜に大声出すんじゃねえええ!」


 かくして、再び目覚めた金色夜叉の手によって、めでたく僕は朝までバッタリ眠ることができたのだった。

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見えないけど、アタシめっちゃ可愛いからね! 桐山 なると @naldini03

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