3話 なんでお前、消えてんの?
「だーはっはっはっ! いやー、バカだバカだとは思ってたけど、マジでバカだな、リョーアンは! ひっく。ングングングング、プハーッ。あー、酒がうまい! んん? つまみがないぞ。おい、リョーアン。つまみだ。ねーちゃんにアップルパイをもて! ひっく」
「はいはい、いま準備してますよ!」
ったく、日本酒でスイーツ喰うなっつーの。
キッチンで包丁をあぶりつつ、リビングの時計を盗み見た。
ただ今、午前一時半。二時間以上を経過した宴はまだまだ終わる気配もない。
くそ、明日も学校だっていうのに…………。
溜息と共に、熱した包丁をアップルパイに差し入れた。
「はい、お待ち!」
座卓にアップルパイを満載した皿を叩きつける。
「おおおおおー♪ 頼んでもいないのにアイスを添えるか、リョーアン。わかってるらねーか、愛いヤツら。ひっく。はい、あーん。ねーちゃんにあーん❤」
「やめろよ、恥ずかしい!」
「いつもやってんらろ。ほら、あーん。ねーちゃんにあ―――ん」
「ちょ、あんま前のめりになったら危ないって!」
ねーちゃんが座卓に身を乗り出すと、ヨレヨレになったキャミソールの胸元が大きく開き、それはそれは雄大な、血のつながった弟ですら思わず吸い込まれそうになる偉大な谷間が露わになる。
「なんらぁ、リョーアン。ねーちゃんの谷間が見たいのか? ちょっとだけだぞ」
裾をまくって胸元をチラみせするねーちゃん。
「なんで胸元見せるのに下からめくるんだよ! 見えてるから! 全部見えてるから!」
「むひひ。真っ赤になりやがって。ますます可愛いヤツらのー。ひっく。ちゃんとノーブラなんだからしっかりと目に焼き付けとけ。ねーちゃん以外で抜くんじゃねーぞ」
さ、最悪だ! この姉貴最悪だ!
「リョーアン、ちゅー。ねーちゃんのおっぱいにちゅー❤」
「やーめーろー!」
「は~~~~~~~~。相変わらず仲い~~~ね~~~~~。二人とも~~~~」
絶賛悪酔い中のねーちゃんの向かいの席、コーラのグラスが宙に浮きあがった。
グラスは空中に制止してひとりでに傾いていく。パシパシと細かい炭酸を弾く黒の液体は、淵からこぼれるそばから、宙に唇の形を描いて消滅した。
「ま~~ね~~~。いちこちゃん美人だもんね~~~。髪の毛サラサラで、目ぇくりくりで、唇もぽってりしてて。おまけにおっぱいもおっきかったらリョーアンもメロメロだよね~~~~。はあ~~~~~あ」
「誰がメロメロだ、誰が! 思いっきり迷惑してんだろうが!」
「ふんっ、べ~~~だ!」
出た、彩々の『ベー』だ。
瞬時に幼い記憶が蘇る。芸術的なまでにムカつく彩々の舌出し顔が、爆竹のように脳裏で爆ぜた。
「お、なんら。彩々妬いてんのか? ひっく。まあなー。しょーがないわなー。一週間も気付いてもらえなかったんだもんなー。バカすぎる。我が弟ながらバカすぎる」
「ほんとだよ。リョーアン鈍すぎ。さっさと気付けよ、バーカ」
尖った口調と、おそらくそれに見合った視線が飛んできているのだろう。なんとなく右の頬がぴりぴりと痛い。
「なんだよ、しょーがないだろ。見えない人間なんて気付くかよ、普通」
唇までぴりぴりしてきた。ボディークリーム塗ってやがったのか、この酔っ払い。
「ふーんだ。いちこちゃんはすぐに気付いてくれたもんねー」
「マジで!?」
「おう、瞬殺ら」
「すげーな、ねーちゃん!」
なんで見抜けるんだよ、とーめー人間の存在が。
「って、違う違う! すごいじゃねーわ。気付いてたんならなんで教えてくんなかったんだよ!」
「なんれって……そりゃあ、オメー……ひっく」
ねーちゃんはそこで一旦言葉を切ると、薩摩切子に半分以上残った清酒をグビリとあおった。喉を潤すというよりも、会話に隙間を差し込むような、そんな飲み方に見えた。
自然、座卓にぽっかりとした沈黙が落ちてくる。
「プハ――――ッ! いやあ、リョーアンがあんまりにも気が付かないもんだから、おもしろくなってきてなあ。いつになったら気付くか彩々と賭けてたんだよ」
うっわ、損した! 今の時間丸々損した!
ったく、どんだけ弟をおもちゃにしたら気が済むんだよ。
「もういい! ねーちゃんはもういい、諦めた! そんなことより彩々だ!」
皿と空き瓶で八割がた埋まった座卓のわずかなスペースめがけて、オレはだんっと拳を落とした。
「え? あたし?」
アップルパイをツツいていたフォークの先がくるりと翻って空中を指す。そのあたりを顔と決めつけ、オレはずずいと額を寄せた。
「お前…………なんで透明になったの?」
そう、ここだ。ここが一番の勘所だ。
透明人間なんてモンの存在は今の今まで一パーセントも信じていなかったし、実は今でも信じ切れていないけど、現実、目の前に彩々がいるんだからしょーがない。
僕が現在進行形で精神病を発症している可能性もあるにはあるが、そこもいったん置いておこう。
今はすべてを飲み込もう。
飲み込んだ上で、問題は根本だ。なぜそうなったのかだ。
何か新種の病気なのか? 新開発の科学技術なのか?
そして…………元に戻る方法があるのかどうかだ。
「そうか。リョーアンにはまだ話してなかったね。わかった。よーく聞いてね」
宙に浮いていたフォークが静かに座卓に添えられた。
「長きにわたった光と闇の戦いに終止符を打つべく中国に渡ったパパとママ率いる光のシャーマン軍団は数々の苦難と犠牲を乗り越え、大魔王の手下たちをすべて滅ぼすことに成功したわ。けれどやはり大魔王の闇の力は強大で―――」
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!」
大慌てで突っ込んだ。
「ええ、なによ?」
「なによじゃねーよ! いきなり何の話してんだよ!」
「だから、アタシが透明人間になった経緯を分かり易いように順を追って話してるんじゃん」
「わかんねーから! 一歩目からもうわかんねーから! 大魔王ってなんだ! シャーマンってなんだ!」
「ええー、そこから引っかかんのー。メンドくさー」
彩々の座椅子が後ろにぐらりと傾いた。
「メンドくさーじゃねーわ。そこ素通りできると思うな! え? パパとママ率いるシャーマン軍団って、お前の親父さん裁判官じゃなかったか?」
「それは世を忍ぶ仮の姿だよー」
「仮で司法に携わんな!」
「もー、いちいちうるさあ。よくある話じゃんこんなん」
「あってたまるか!」
「ええ、じゃあ、リョーアン、どこにでもいるフツーの小学生だと思っていた女の子が実は選ばれた光の戦士で、世界を滅ぼそうと企む大魔王を倒すために旅をするって話、聞いたことない?」
「…………死ぬほどある」
「ね? アタシもその一人なのよ。それでね、アタシ達は大魔王と闘うために伝説の武器を手に入れよーと――」
「ちょっと、待てって! 進めるな話を。いやそりゃ聞いたことあるけどさ。そんな設定腐るほど見てきたけどさ! あくまでフィクションの話だろ! 漫画とか小説とかゲームとか!」
「ちっちっちっ」
フォークが空中に浮き上がりチクタクとメトロノームのように左右に振れた。
「認識が甘いわね、リョーアン。いい? 人間の脳ってのはね、未知なる物を想像することができないような構造になってるの。今までにない空前絶後のアイディア思いついちゃったーなんていう人がいるけど、それは結局過去の記憶の再構築か、もともと知っていたことを忘れちゃってたかのどっちかよ。つーまーり」
言葉に合わせてフォークがずいずいと突き出される。
「どんな荒唐無稽に思えるファンタジーでも元をたどればどこかの誰かの体験談、すなわち実話ってことなんだよ」
大嘘つくな。
「とにかくアタシはアタシの身に起こったことをそのまま話すしかないわけで。それがうそだって言われたら、もーアタシ喋ることないよ」
「ああ、わかったわかった。もう、いいや。とにかく最後まで話せ」
もう、いちいち突っ込むのも飽きてきた。てゆーか、やけに静かだと思ったらねーちゃん寝てるし。座卓に突っ伏して、アップルパイに顔を埋めながら寝息を立てている。
「話せだって。なによ、偉そうに。さっきからずっと話してたのに。えっとぉ………ああ、もう、またわかんなくなっちゃった! もっぺん最初からね。ええ、まずマオーがいましたと。んでマオーぶっ殺すためにアタシ達シャーマン軍団が中国に行きましたと。マオーの家中国だから。んで、めでたくマオーの手下達は皆殺しにしたんだけど、なんかマオーがしぶといのよ、やっぱマオーだし」
なんか急に話しがざっくばらんな感じになってきたな。
「マオー超粘るし、超生き返んの。おまけにHP表示もブランクだから後どんだけ命あるかわかんないし。ズルくない、あれ? もうラチがあかないからパパがマオーを封じ込めることにしたのね。炊飯ジャーに」
突っ込まない。僕はもう突っ込まないぞ。
「そしたらさあ、なんかマオーが最後の力振り絞っちゃってー。パパに呪いをかけてきたのよ」
「呪い?」
「うん、消滅の呪いってゆう超ヤバイやつなんだけど。で、アタシが身代わりになったのよ。パパあぶなーいっつって、飛び出して」
「マジで? めっちゃえれーじゃん、お前」
「でしょ? んで、アタシが消滅の呪い受けてぇ、えーっと、うん。お終い」
「え、終わり?」
「うん、終わり」
「……お前消えてないじゃん」
「消えてんじゃん!」
「あ、いや、消えてるんだけさ。え、なに? 消滅の呪いってそういう感じなの? 姿が見えなくなるだけ?」
「あ、ううん。本当は存在そのものを消しちゃう呪いなんだけど、なんか失敗したんじゃない? マオーも弱ってたし」
なんなんだよ、マオー。ヘバッてんじゃねーよ。
「でも、まあ、さすがにずっと透明ってわけにもいかないからさ。パパとママは中国に残って呪いを解く方法をさがすことになったの。んでまあ、その間透明なヤツがいても邪魔なだけだからってひとりで日本に返されたのよ」
適当だなあ、両親。
「そんでも、家に帰ってももちろんパパもママもいないしぃ、透けてる奴一人じゃなにかと不安だしぃ、だから、とりあえず杉田さんチにごやっかいになろうって事に決まったの。満場一致で」
「当事者の票が丸々抜けてんだろ! 勝手に決めんな、そんなもん! うちだって両親いねーんだぞ」
ウチの両親は一年前から仕事でラスベガスに赴任しているのだ。なので、我が家の家事はすべてねーちゃんが担っている。おかげで僕は、腕力、経済力、生活力、あらゆる面からねーちゃんに頭が上がらない。
「いいじゃん、別に。どーせいつかはアタシもこの家に住むことになるんだし。 い・い・な・ず・け・なんだから❤」
「げぶふっ!」
ハートマークにのせて彩々が重量級ボディブローのようなウィンクをぶちかましてきた。
見えないけど今のはわかった。確かな質量を伴って魂に響いた。
「あ、あのさあ、彩々その、許嫁の件なんだけど……」
「おい、彩々」
「どうわ! びっくりした!」
爆睡していたねーちゃんが、突然むっくりと起き上がった。真っ赤な顔をパイ生地まみれにして、彩々の座椅子を睨みつける。
「アンタが昔からリョーアンと仲が良いのは知っている。だから、彩々があたしになんの断りもなくリョーアンと許嫁の関係を結んだことは、まあ不問にしておこう。でもな、一つだけ。杉田家の家長としてひとつだけ言わせてもらう」
人差し指がズズイと突き出される。
おお、いいぞねーちゃん。言ってやれ。アンタ家長じゃないけど言ってやれ、この暴慢な透明人間に!
「リョーアンの童貞はあたしのものだ!」
もう寝てろよ!
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