剽窃とホルモン
真花
剽窃とホルモン
副腎からアドレナリンがチュッチュと出ているのを感じる。血の中を巡る、すぐに胸がじわっと熱くなる。瞳孔が開くから明るい感じ、動悸にもうすぐ届きそうな心臓の感じ、微かに震える指先の感じ。
人の少ない帰りの電車。運んでいるのは人よりも疲労感、端の席の私。だから内的な急変を誰かに気取られる心配もない。
「マジかよ」
言葉にして、もう一度確認する。そうだよ、見間違いだってこともある。いや、絶対にそれはないと確信している。その上での再確認は不毛なのだろうか。それとも受け入れ難い事実を取り込むには必要な儀式なのだろうか。
「間違いない。パクられた」
ノドカは天を仰ぐ。網棚の上にスポーツ新聞。仕事中は外しているピアス達を上から順に触ってゆく。左。一、二、三、四、五つ目が耳たぶ。右。一、二、三、四つ目が耳たぶ。一つも狂いがないのなら、これは現実だ。そうだ。口紅を塗ろう。赤黒いお気に入りの奴。
ポーチを探す手も、口紅を握る指も、わなわなと震えるから、キャップだけ取ったら、諦めて、仕舞う。
少しずつ息が上がって来ている。せわしない胸の内に何がある? 黒いことしか分からない。分からないけど、いつか差別をされたときに沸き起こった、初めての殺意と、よく似ている。そのときは力がなかったから堪えたけど、今は相手を叩いたらそれが公になってしまうことが既に抑止力になっているようだ。しかも偶然と言い張られたらノドカの敗北が、そのコミュニティーからの排斥が決定的になる。理知が教えるのは少なくとも、今すぐに報復に出てはいけないと言うことだ。
じゃあどうする? 一人じゃ分からないよ。
ラインでソウジを呼ぶ。
『今どこ? 話を聞いて欲しいんだ。電話でもいいけど、出来れば会って』
ノドカが画面を睨み付ければすぐに返信が返って来る。
『家。ノドカはどこ?』
『もうすぐ上野』
『じゃあ、上野で会おう』
文章を打ったり待ったりしている間だけは気持ちが平になって、目的地が通過する上野ではなくてソウジと待ち合わせた上野になって体の臨戦態勢はそれ以上に悪化しなくなった。恋人は存在すること自体に効能がある。
「ちょっとソウジ、聞いて欲しいんだけど!」
「うん。道々聞くよ。でもまずは目的地を決めないと」
「任せる」
「分かった。任された」
ソウジに従ってノドカが歩き出す。繁華街の道は雑多な音が干渉しあった結果、秘密の話だって問題なく出来る環境になっている。
「あのね、ソウジ、私、小説をサイトにアップしてるじゃない」
「P Vが伸びたとかでいつも大騒ぎしている奴でしょ? 流石に覚えたよ」
「そこで私がアップした長編のタイトルがね、私が命削って生み出した子がね!」
大仰な身振り手振りのノドカ。うん、とソウジは頷く。
「パクられたの!」
「マジで」
「他の人がタイトルに使ってたんだよ。信じられない! プライドとかないの!?」
「いや、ただの偶然ってあるでしょ?」
「時系列的には私が先。でもこっちは長編で向こうは短編だから話が終わるのは向こうが先」
ソウジはしかめっ面で腕を組む。すぐそこの道端で酔っ払いが吐いている。
「そもそもパクられるって、そんなに問題なの?」
何を言ってるんだこの男は。それが問題なければ著作権は要らない。
「だって、いいと思うものをお互いに取り入れ合って、その集積が文化になるんでしょ? Tシャツだって最初はアバンギャルドだったのが多くの人がデザインの素に使うようになってるし、車だってT型フォードに誰も乗ってないでしょ?」
「著作物は別だよ。たぶん。……少なくとも私はパクられるのは嫌」
ソウジは首を捻る。街の明かりがいつもより強いように感じる。
「だって、いいと思わなかったら、パクらないんじゃないの?」
「私が感じるのはリスペクトじゃなくて、逆の、舐められてる感じなの!」
ソウジは肩を竦める。
「もう少し、気持ちを詳しく教えて」
「だから、私は私の作品をパクった奴を抹殺したいの。でも、そんなことしたら小説のコミュニティーから私が抹殺されるから、攻撃をすることも躊躇われるの」
「攻撃なんてしない方がいいよ。相手が何考えてるか全く分からない訳だし。でも、抹殺したいくらいに怒っているんだ」
「そうだよ。怒ってるんだよ。怒りまくって体が変になっちゃってるくらいだよ!」
「じゃあ、運営に通報してみたら?」
ノドカは、う、と言葉に詰まる。それは考えたが、正しい裁きが来るかに信頼が足りない。それは信頼が出来ないのではなくて、信頼をする根拠になる程のやり取りを運営としたことがないからだ。
「それをしたら確かに何かしらの結果は出るけど」
「つまり、ノドカは波風を立てたくない、そう言うことだね。この店ね」
樽がたくさん置いてあるバーに入る。店に入ると繁華街の気配が緩やかに遠ざかる。
「だって。書いたものを出せなくなるのが一番嫌なんだもん」
「だけど殺意はあるんでしょ?」
「本当に殺さなくてもいい。でも、うん、やっぱり、どうしてそんなことしたのかは知りたい」
「でも、偶然かも知れないのは変わらないよ?」
「うん。だから、もし偶然だったら、ものすごい自意識過剰で、波風立てまくりで、最悪」
注文を取りに来たのでビールを二杯頼む。
「ノドカが書いたタイトルって、どんなのなの?」
「『さみしいと言える、それは大切なこと』」
「相手さんが書いたタイトルは?」
「まんま。だけど『こと』が漢字になってた」
「ちなみにその人の短編の内容は?」
「このタイトルからの小説だよ!? 被ってるよ! 私がエンディングで出す予定の内容と、被ってるんだよ!」
「分かった。ノドカは自分の方がパクったと思われたくない、そうでしょ?」
気圧されるノドカはだけど奥歯を噛み締めて距離を詰める。
「私は絶対にパクらない。だから、そうだと思われるのは絶対に嫌」
「でもそれなら、長編の最初をアップした日付けが先なら、問題はないんじゃないの?」
「でも」
「もしそれでパクったとか言われたらそのときには運営に登場してもらうしかないんじゃない?」
「ううう。……そうする」
ふう、と一息つくソウジ。ビールを飲む。
「あとさ、やっぱり一回で断罪するのは難しいんじゃないのかな。複数回あったら、叩き潰すのに道理が出るでしょ? でもね、それ以上にノドカ、パクられて目くじら立ててる間があったら次の作品を生み出した方がいいんじゃないのかな?」
「おっしゃる通りでございます。でも、でも、私はもう怒り心頭になっちゃってたから、それをどうにか治めないと次に進めないんじゃないかって思ったんだ。だから、ソウジを呼んだ」
ソウジはニコリと笑う。店中の注目は僕のものとでも言いたげな程の自信が溢れている。
「その選択は大正解のようだね。自分と世界はいつものように戻って来た?」
視界を意識して普通の感じ、指先は震えてなくて丁寧に出来そうな感じ、胸も静かな感じ。アドレナリンは今は出ていない。
「戻った。でも許してはいない。でも許さないままで取って置けそう。そのままで、意識しないでおけそう」
「うん。いいじゃん」
ソウジはもっと素敵な顔で笑う。きっと私も遜色ない顔をしている。
「なんか書きたくなっちゃった」
「え、もう帰るの?」
「これ飲んだら帰るね」
苦笑いのソウジ。私は流れるハービー・ハンコックに初めて気付く。そう言えば音楽をしっかり聴いてなかったな、ずっと。だから静かに、ピアノを肴に残りのビールを飲み干す。
しょうがない子だ、と言うソウジの頬にキスをして、家路に就く。
「パクられるのも勲章、って、中坊ヤンキーじゃないんだから」
呟きながら電車に乗ろうとしたところで、しゃがみ込んでる女の子を見付けた。おせっかいとは思ったが、面倒臭さよりも心配が上を行った。
「どうしましたか? 大丈夫?」
「う……。何とか」
「ここじゃ危ないからベンチまで行きましょう、ね?」
女の子は弱々しく頷くと、ノドカに体を支えられながらベンチに収まった。
「救急車呼ぶ?」
「いや、大丈夫です。暫く休めば何とかなる奴です」
「じゃあ、私次の電車が来たら乗るね」
「はい。ありがとうございます。でも、次の電車まで一緒に居てやってくれませんか?」
リズムのズレたような違和感があったが、どの道暇な待ち時間だ、居るくらいなら。
「いいよ。そうだね、喋れたらでいいんだけど、どうしてそうなったか教えて貰っていい?」
女の子は極めてゆっくり頷く。
「私は罪を犯したんです。その罪の意識が重く重くなって、私は動けなくなってしまったんです」
どんな罪? とは訊けない。
「私は、やってはいけないことをしたんです。聞いて貰ってもいいですか?」
湧いた好奇心に沿う言葉。ノドカは頷く。
「私、剽窃をしてしまったんです」
「パクったってこと?」
ざわ、と髪が立つ感覚。
「はい。小説の投稿サイトで素晴らしいタイトルを見付けて、それをパクりました。既に、P Vを含め評価はパクった方の私の方が上なんです」
「もしかして、『さみしいと言える、』の奴?」
「そうです」
こいつか。
「消せばいいんじゃない?」
「そんなこと出来ません。もうずいぶん読まれてます」
「元の人に謝ったらどう?」
「表立って行動すればそれで私の評価は地に落ちます」
赤黒い、私の口紅で塗ったような沈黙。でも私も副腎も静かで、平静で、不思議に髪も元に戻っている。
ノドカは自分の呼吸も平時のそれだと認識したら、口を開く。
「じゃあせめて二度としないことだよ」
「はい。それを確実にするために、死のうと思ってたんです」
「確かに盗作は万死に値するけど、死ななくて正解だよ。その罪の意識をずっと抱えながら、二度とパクったりしないようにすればいいんじゃないかな?」
女の子は最初はゆっくり、次第に早く、何回も頷く。電車が来たが見送るしかないだろう。
「パクられた方の気持ちも考えて、死のうと思ったんだよね?」
「はい。自分がされたら限界濃度の殺意が湧くと思います。なのにそれをしてしまった」
ソウジとのやりとりがなければ、私はこの子を線路に突き落としていただろう。彼女の言うように罪は重いのだ。
それからは私達は何も言わないで横並びに座って電車を待った。空間には事が済んだ響きだけが横たわっていた。
程なくして来た電車に私は乗り込む。
「じゃあね。ちゃんと決めたこと守れよ」
「はい。ありがとうございます」
彼女に対して何も報復をしなかった。むしろ彼女の浄化を媒介した。
ノドカは小さなため息をつく。でもたったそれだけで、さっきソウジに会う前に抱えていたものが全て体から抜け出したように感じた。
それは、パクった相手も書き手としてもがいているのだということ。そのただ中にあったなら、後悔とセットである剽窃も、うっかりやってしまうことなのかも知れない。いや、それはないか、だとしても、一方的に私をバカにしてパクった訳でもなさそうだと、思えた。
足取りは軽い、副腎は平常運転、深呼吸。
さあ今夜はどんな小説を書こう。
(了)
剽窃とホルモン 真花 @kawapsyc
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