導入部分

 今日も今日とて、何千人もの人々が駅にあふれかえっていた。川を流れる落ち葉のように、ある一定の方向を目指しながら時にぶつかり集まったり、散っていく。

 『雑踏ざっとう』という言葉がやはり一番的を得ている。

 俺はいつもより少しだけ―――いや、かなり軽い手提てさかばんを肩に掛け、学校の目の前の駅へと向かうプラットフォームを目指していた。

 辞書並みに分厚い背表紙をほこる『化学、物理、生物の参考書統合版』が無いので、普段よりも軽いのは当たり前だ。だが、実はそれだけが理由ではない。

 話をちょっと変えるが、俺は高校生としてだけではなく、動画投稿サイト『CreSent』で活躍する作曲家としても生活していた。

 だった、という事は、現在は違う。

 妹が好きだった花であるアルメリアから、そのまま『アルメリア』と名乗って曲を投稿していた。活動の中で、とある一曲が爆発的に流行し、今では広告収入をかなり貰えるほどの人気を博していた。とても有難ありがたいことだ。

 鞄の中に入っているのは、俺が『アルメリア』として作成したCD三枚……それだけだ。

 イヤホンを両耳に、自身の曲を聴きながら歩く。

 このプラットフォームは先程さきほども述べた通り、学校の目の前を経由する。だから学校に登校するこの時間は学生たちがわんさかいる。

 「今日の授業さ、過去一でひどくね? だって数学三連発だぜ?」

 「うげー……まぁ生物トリプルパンチよりかはイイべ」

 「ヤバくなったら寝ればいい。佐藤ザルだし」

 「お前先生が誰であろうと寝るじゃねぇか」

 男子の時間割に対する愚痴ぐちや、

 「前髪ミスってさー。髪ボッサボサなんだよねー」

 「くしいる?」

 「いるいる! もー、ありがとホント好き」

 女子の理解不能な掛け合いにはさまれながら奥へ。

 横から差し込む太陽の光がみょうに暑く感じる。そういえば、そろそろ夏が来る。俺の人生や価値観をくるわせた、あのにくき夏が。

 もう何十人もの横を通り過ぎたが、誰一人として挨拶あいさつを交わしてくれない。

 毎朝同じ駅を共にしている我が黎理れいり高等学校の生徒たちは、男女学年関係なく仲良くなることで有名なのに。

 それもそのはず―――俺は高校二年生の丸々一年と、三年生としての三か月、学校に行ってないからだ。クラスでもあまり目立たないように立ち回ってきたせいか、一年の時に同じクラスだった人も、俺のことを覚えていないのだろう。

 今から行うことに関しては好都合だ。

 変に情けや制止を掛けられるよりはマシだ。

 休んでいた間の授業や宿題は全て、オンラインを媒介ばいかいに行っていたので、問題なく留学せずに三年生へと進級できた。

 では何故、こうしてまた通学路を踏んでいるのかと言うと、人生の目標も意義も何もかも失ったからだ。

 急にどうした、って思うだろうが、これが理由であり真実だ。

 学校ではなく、天国が地獄じごく――人生に幕を下ろしに来た。

 簡単に言えば飛び降り自殺だ。

 レーンの上に飛び降りて、走ってくる電車にいてもらうのだ。まさかこんな『轢いてもらう』だなんて言葉を生涯しょうがいで使うとは思っていなかったが。

 他にもいろいろな自殺方法を考えていた。

 高所からの飛び降り自殺では、落下している最中にショック死してしまうらしい。痛いのは勘弁かんべんなのでこの方法が最も有力だったが、いざ目の前にしてみると足がすくんで動かなくなった。

 結局、自分がビビりだというのが分かっただけだった。

 リストカットは……論外だった。痛いし。怖いし。

 人身事故を公共交通機関で起こせば、多大なる迷惑と賠償金ばいしょうきんが発生するのは知っている。

 だが、死んだ後の世界に申し訳なさを感じる意味など無いし、賠償金を請求せいきゅうされるであろう親族ももういない。

 Q.E.D.―――俺が死んでも、俺の亡骸なきがらを『ネタ』として喜んで記者たちが駆け付け、親族のいないぼう高校生が自殺というニュースが流れ、コメンテーターが「かわいそうに」と慈悲じひあおる。

 これほどまでに、だれも悲しまない事などあるだろうか。いや、ない。反語の文法おさらい終わり。

 『危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください。まもなく、電車が到着いたします。繰り返し、お客様にお願い―――』

 そのアナウンスが求める行動の逆を行く。

 一歩、前へ。

 本来、誰もいないはず―――なのに、ふと横を見れば同じく黄色い線の内側に立つ少女が一人。

 彼女の顔は人生に絶望し切った表情で、何とも言えない風格をまとっていた。何というか――堂々としているのに、まるで抜け殻のような虚無感きょむかんも同時に持ち合わせている。対比する二つの感情が混沌こんとんを成していた。

 「……………。っ!」

 「―――――………?」

 刹那、彼女と俺の目線が繋がった。

 二人とも、互いから不思議な何かを感じ取ったが、ピクリとも動かない。

 「―――ぁ」

 ようやく絞り出した声をき消すように、すぐ横を猛スピードで電車が駆けて――止まった。

 一斉いっせいに人の波が電車内におし寄せていく。

 幸い、二人とも列から外れているがために進路の邪魔にはならなかった。ずっと、二人は見つめ合っていた。まるで二人以外が世界から失せたように、時間が止まっているかのように――。

 結局俺は、また今日という日を生きてしまうことになった。

 


 ▲▽



 駅を出てすぐの横断歩道を渡れば学校だ。

 だが少し迂回して裏に回れば、使われなくなって動かない自動販売機と、所々ペンキのがれた青色の木製ベンチがある。この薄汚くて鬱蒼うっそうとした空間に好んで入るのは、カラスとネズミ、そして俺たちくらいだろう。

 「何で………」

 「ん?」

 ベンチに腰かけている、先程の少女が口を開いた。まったく力のこもっていない、か細い声だ。

 「あなた、何で私の邪魔じゃまをしたんですか」

 問いかけるというよりは糾弾きゅうだんに近かった。

 「それはこっちのセリフだよ。何で邪魔をしたんだ」

 「え? もしかしてあなたも……?」

 「あぁ、多分俺たちがしようとしてたのは、一緒のことかもしれないね」

 「そう、ですか………」

 この境遇きょうぐうに立っている人間が最も嫌うのは同情だ。

 『そっか、可哀かわいそうに』とか、『俺も分かるぜこの気持ち!』とかはまるで欲していない。

 その仮面の裏にある『無関心の顔パック』と『人助けしてる僕カッコイイ理論』が透けて見える。

 今、俺と彼女を繋いでいるのは紛れもなく『共鳴きょうめい』だろう。

 痛いほどその苦しみや理由が分かる。一方で全く知らないことを分かっている。何をして欲しくないかなんて、多分自分に投影とうえいしたらすぐに分かる事だろうから。

 他人への興味などとっくに捨てたはずなのに、確かにそこにある『共通点』に魅かれてしまう。

 「奇妙きみょうなことですね。まさか一緒のタイミングだなんて」

 「偶然だろうね。まぁ、周りは運命とか言ってはやし立てたいのだろうけど」

 「少々ひねくれているんですね。あの人にそっくりなのに全然似てないや」

 「あの人?」

 「いいえ、ごめんなさい。こっちの話です」

 詮索せんさくしてほしいことを敢えて言うときは、語尾を上げてアピールをするものだが、彼女の声音から察するに、思わず口走ったことなのだろう。

 何気なくした発言に突っ込むのは止めておいた方がいいだろう。

 「そっか」と短く返す。

 すると、少女の方から話を再開した。

 「人と話しているのにイヤホンを片耳につけているなんて、失礼な人ですね。まぁ、私も人のこと言えませんが」

 「たぶんこの会話に興味きょうみがないんだろうね。それはお互い様―――そうでしょ?」

 「はい。一応耳には入ってるんですけどね。特に興味は――」

 しばしの沈黙ちんもく――時間にしてたったの三秒間だった。

 突然カラスが翼をはためかせて飛んだり、地面に落ちていた空き缶が音を立てながら転がったり、生えている雑草がやわ風に吹かせて揺れたり。

 こんな一瞬でも、世界は目まぐるしく変化する。

 時の流れを如実に感じられた瞬間だった。

 「どこまで私たち似ているんですかね」

 その『どこまで』には色んな意味が含まれているのだろう。

 どうやって自殺に至ったのかの経緯いきさつや、物の捉え方、それ以外にもいっぱいあるだろう。

 「知らないし、知らなくてもいい。ただこの世界から逃げ出したい。それだけだと思う」

 「あなたのソレは、贖罪しょくざいですか?」

 「……………。」

 「図星ですね。顔に出てますよ」

 彼女の指摘に対して何も言い返すことが出来なかった。確かに、自分の命と引き換えに犯した罪を許してもらおうと――ただのエゴじゃないか。

 この曖昧あいまいな駆け引きには何の意味があるのだろう。ここに意味が無いからこそ、この不可解な関係でいられるのか。

 「チャイムが鳴っていますよ。もう行きましょう――遅刻です」

 「死のうとしていた俺たちに、登校する理由はあるのかな?」

 「分かりません。でも、ひとつ決めたことがあります」

 「決めたこと………?」

 俺が言い終わるよりも前に彼女は腰を上げ、学校に向かってつま先を向けた。彼女は人差し指をかかげる。

 「競争きょうそうです。あなたより先に死にません。今決めました」

 「は、はぁ?」

 思わず頓狂とんきょうな声を上げてしまった。

 もたれ掛かっていた自販機が少し揺れる。

 「何ででしょうね。同類であるあなたに何かを感じたのかもしれません。まぁ、理由はそれだけではないんですけど――」

 「それで? 俺が賛成すると?」

 「思っていませんよ。これは一方的な競争――あぁいや、宣言ですので。どうぞ逝くなら勝手にどうぞ。私勝ちますから」

 無茶苦茶だ。暴論ぼうろんだ。理不尽だ。不条理だ。

 まさか死ぬ時期の早さで競うなんて、頭のネジが飛んでいる。

 ただ――――

 (そうだな……俺も少し、気になっていることがあるし。それに――このままでは確かに贖罪止まりだ)

 この出会いを運命と呼ぶのかどうかは分からないが、今目の前に立つ不思議な少女は数分前とは打って変わり、光に満ち溢れた表情をしていた。

 「分かったよ。乗るよ乗る。君よりも少しだけ、長く生きてやる」

 絶望だらけの人生に降りてきた突然のゲーム。

 もう少しだけ、この不思議な関係の行く末を見守っていたいから―――この勝負に乗ってみる。

 気づけば二人とも、耳からイヤホンを双方外していた。

 外界の音がややノイズ混じりに鼓膜こまくを揺らす。

 「今、人生で一番楽しいかもしれません」

 「狂気の沙汰だな」

 「私たちは本来死んでいるはずの魂です。今更情人に戻ろうなんて無理は話です」

 「――――……妙に説得力のある言葉だな」

 彼女はきびすを返して腰を折った。

 「私、久藤くどう 杏樹あんじゅって言います。あなたは――?」

 ―――杏樹。

 その名前は、ダメだ。

 「―――……ッッ!」

 突然、胸の中に電撃でんげきが走っていくのを感じた。

 (本当に運命かも、しれないね)

 杏樹は、俺が惜しくもくした妹の名前と一緒だった。

 「俺は―――」


【分岐】

A 素直に本名を名乗る

B 生徒Yと名乗る

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