あと九十七本... 「かいだん」

 「なぁ知ってるか? 夕方四時四十四分に、西階段にいる女の子を見たら、死ぬんだってさ」

 「なんだよそれ。そんな話、聞いたことないよ。ウチ男子校だし、ていうか全寮制だろ。女の子なんかいるわけないじゃん」

 

 話し掛けてきた隣の席の島崎を軽くあしらう。もうチャイムが鳴っている。そんな話に付き合っている暇はない。


 「だから、いるはずがないものがいるから怖いって話だろ。お前は怖くないわけ?」


 そうやって更に追いすがって来るのを無視して前を向く。ガラガラと引き戸を開け閉めして、数学教師の前澤が入って来た。何だよノリが悪いな、と不服そうにしていた島崎もサッと前を向いた。


 休み時間と授業時間の切り替えはしっかり。授業は真摯な態度で受ける。そうでなければ、この学校ではやって行けない。とにかくそういう校風なのだ。私立の学校っていうのは独自色が強くて、そこに合わせて行かなければならない。合わせるのが無理ならば、やめてよそに行くしかない。


 「私共の方針がご不満でしたら、どこへなりと転校なさっては如何ですか。私共は本校への通学を強制はしておりません」

 学校側の本音はまぁ、そんなところだろう。


 しかし僕は、強制されてここにいるようなものだ。家庭の事情というやつで。話せば実に陳腐な話だが、父親が若い女と再婚して十五も下の妹を拵えて、僕は邪魔扱いされて、家から遠い山の中の全寮制の男子高に押し込まれたというわけだ。

 僕の義母にあたる人は、再婚してすぐの頃はご機嫌取りに必死で、僕に愛想を振りまいてきて、まぁ気持ち悪言ったらなかったが、自分の子が生まれたらあっさりと掌を返して、僕のことを、仲睦まじい自分たち三人家族に混ざり込んだ遺物のような目で見るようになった。父親よりも彼女の方が、僕を家から出すことを強く望んだことを、僕は言われずとも悟っていた。


 僕はかくして三年間は出ることの叶わない檻に閉じ込められた。今は高二の秋だから、刑期はちょうど折り返し点を過ぎた辺り。

 こんな人里離れた山奥の学園でで従順さと国公立大に合格できるだけの学力を身に着けさせられる暮らしが楽しいはずもない。僕の場合は義母が嫌がるから、長期の休みに帰省することも許されていない。本当に最悪だ。


 それで考え付いた娯楽が、『●●高校の怪談教えます』というSNSの匿名アカウントで怪談――所謂『学校の怪談』的なもの――を広めることだった。

 『十三日の金曜日に三階東側のトイレの一番奥の個室に入ると、二度と出られなくなる』とか『足を引っ張られることがあるから、プールの第五レーンに九人で入ってはいけない』とか、そういういかにもバカバカしい類のものばかりだ。 

 別に信じてほしいわけではない。暇潰しと憂さ晴らしを兼ねた、単なる遊びだ。言ってしまえば、リアリティなんかどうでも良い。


 『夕方四時四十四分に西階段の三階と四階の間の踊り場に佇む女の子を目撃したら、死ぬ』

 ――というのも、そうやって粗製乱造した怪談の一つだった。他のものは一顧だにされなかったが、この話だけはそこそこに信じられ、ほどほどに流布している。

 初めて『死ぬ』と強い言葉を使ったのが良かったのかもしれない。島崎の言う通り、『いるはずがないものがいる』というのも、怪談としてポイントが高い要素だったのだろうか。


 それにしても。

 遂にここまで届いたか――というのが、島崎の口から、僕がつくったあの怪談を聞いた時の偽らざる感想ではあったのだ。僕が始めたしょうもない娯楽が、初めて評価を得て日の目を得たような、そんな気持ちだった。

 何がウケたのか後でじっくり考察して、『次』に繋げることにしよう。僕はそう心に誓った。 



 僕がでっち上げた怪談の話を島崎から振られた三日ほど後、僕は苦手な英語の小テストで二χ連続で〇点を取ったせいで補習を食らった。補修が終わったのは、夕方四時半過ぎのことだった。

 とにかく合格点を取れるまで小テストを解き直しさせられるだけの、不毛な補修でしかなかった。この学校は国公立大合格を目標として僕たちに課す割には、教え方が壊滅的に下手なのだ。


 そんなわけで帰るのがすっかり遅くなってしまったけれど、補修のために集められた四階の教室から寮に戻るためには、あ西階段を一階まで降りる必要があった。


 「倉本、お前もこのまま寮に戻るんだよな。一緒に帰らないか?だってあそこ――出るんだろ? やんか、女の子が。この時間、ヤバいよ」

 「なんだよ。あの話信じてるのか。

 ――別に良いよ。僕も帰るだけだから一緒に出よう」


 教室に架かった時計の文字盤をチラチラ見ながらビビり散らかしている、隣のクラスの奴――確か、高田とかそんな名前だったはずだ――の慌てぶりに笑い出しそうになりながら、一緒に帰ることを承諾してやると、奴は目に見えて安心した表情をした。


 補修仲間は他にも数人いるけれど、残りの連中はもう少し、安全な時間までここに留まるつもりらしい。教科書とノートを広げて、本格的に自習を始めている奴もいる。生徒が教室に残っていても良いのは夕方五時までなのだが、大丈夫なのだろうか。

 まぁ――こいつらにしてみたら、逢えば死ぬ怪異に比べれば、校則違反を咎められることなんかは全く怖くないのだろう。そんな怪異は存在しないのにバカな奴らだなぁ、と口の端が上がりかけるのを堪える。高田が見たら不審に思われるだろう。


 僕たちが教室を出ようとした時に居残り組の誰かから声を掛けられた。

 「えっお前ら今出るの? マジ? 今、危ない時間だけど?」

 声音は真剣そのもので、『やめておいた方が良いんじゃないか?』と顔に書いてあるのが見えるようだ。


 「べ、別に俺、あの話本気で信じてるわけじゃねぇし。いるわけないだろ階段の踊り場に女の子とか。

 ――まぁ二人でいれば怖くないし大丈夫じゃね?」

 と、高田は答えた。

  

 僕はあの怪談に、人数にまつわる限定条件を付けた覚えはない。複数人であれば対峙しても無事で済むとも、マシテ逢わずに済むとも、言っていない。

 早い話が、怪談話が流布しているとはいっても詳細まで、一字一句違わず覚えている奴はおらず、皆、自分にとって都合の良いように解釈する。そういうことだろう。


 怖いからとダッシュで階段を一階まで駆け下りようとする勢いの高田をまぁまぁ、といなす。平常心ではない状態でそんなことをして足を踏み外して怪我をしたらどうするつもりだ。しかし落ち着き払っているのもなんだか怪しいのではないかと思って、早歩きをしてみせる。


 下り階段に差し掛かった時、靴紐がほどけた。間の悪いことだ。しっかりと固めに靴紐を結び直して顔を上げると、僕は一人取り残されていた。なるほど、アイツは《時間》が近付いているので慌てて先に階段を降り始めてしまったのだろう。薄情な奴だな。僕はあんな怪談は嘘だと知っているから、別に構わないけど。


 早歩きで階段を降り始めると、高田はまだそれほど遠くまでは行っていないことがわかった。問題の踊り場を過ぎて折り返して、何段か過ぎたところにいる。僕を裏切って先に行ってしまったけれど、完全に見捨てるつもりはないというところか。

 いずれにせよ、このままでは僕一人で問題の踊り場に向かうことになるのだが。


 しかし、奴は親切ではあった。

 「もうすぐ四時四十四分になるぞ。お前、今からでも引き返せよ!」

 と、こちらに向かって上ずった声で勧めてくるくらいには。


 「大丈夫だって」

 答えて、あの怪談は、嘘なんだからさ――という言葉は心の中でだけ呟く。一応は早歩きを崩さずに足を進める。平常心で。


 あと二段で踊り場に着くという時。

 生まれた時から鋏を入れていないのであろう、幼児特有の細くて柔い髪を肩くらいまで垂らした女の子がそこにいた。

 女の子とわかったのは、ピンクのワンピースを着て、赤い靴を履いていたから。お尻の当たりがもったり膨れているのは、おむつを着けているからだろう。

 歳の頃はちょうど――腹違いの、僕の妹くらいか。


 僕は凍りついたように身体が動かせず、視線をその子から外すこともできなかった。

 女の子と先ほどから目が合っているけれど、その目は何も見ていないということがわかる。わかってしまう。これは――人間ではない。この世のものではない、何かだ。


 あの怪談話は嘘なのに。でっち上げなのに。

 どうして。どうしてどうして。

 どうして、こんなものが。


 おーい大丈夫か、という声が、遠くに聞こえた。

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怪談好きさんに捧げる百のお題 金糸雀 @canary16_sing

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