あと九十八本... 「手」

 私が初めて万引きをしたのは、高校二年生の頃だった。

 両親はもともと教育には厳しい方だったが、高校に入ると厳しさは度を増し、目指すべき具体的な進学先についても明確に指図してくるようになった。

 一応は進学校の括りに入るとはいってもせいぜい中の上レベルの公立高――田舎に多い、“自称進学校”というやつだ――に通い、かろうじて百位以内の位置に付けているにすぎない私に向かって、

 

「国立なら旧帝大か一橋お茶の水、私立に行くとしても早慶上智ICUまでしか認めないからな。それ以下のところに行くなら学費も生活費も出さないから勝手にしろ」

 こんなことを高圧的に言ってくる。

 

 このセリフを吐いたのは父だが、当の父は仕事仕事でほとんど家におらず、代わって私の生活態度と学業成績に目を光らせ、事あるごとにくどくどねちねちと小言を言うのは母の役目だ。あんたみたいなバカはテレビなんか観る資格ないんだから、さっさと部屋に戻って勉強しなさいとかなんとか、言うこと言うこと辛辣で、言われるたびに心にダメージを負った。

 母からの罵詈雑言を甘んじて受ける私を冷ややかに、時に嘲笑を浮かべながら眺めていた二つ違いの兄は、私が高二になると同時に、私大では日本の双璧とされる名門校に進学を決め、東京で一人暮らしを始めた。

 兄が進学して家を出たことで私に冷たい目を向けてくる人がひとり減り、気楽になった面もあったが、それ以上に、母が『お兄ちゃんは頑張って良い大学に受かったんだからあんたも』というメッセージをはっきりと、時には匂わせる程度に向けてくるようになり、そのプレッシャーは全く、堪ったものではなかった。


 兄の“成功”を機に母の言動は過激さを増し、私の生活を隅々まで縛り付けるまでになった。

 テストの成績が悪いとテレビ禁止を言い渡されるばかりか、携帯も取り上げられる。こんなものがあるから悪いと、部屋に勝手に入られて小遣いで買った本を全部捨てられたこともある。

 私を罰して娯楽を奪う母は、詰まるところ『そんなくだらないものにうつつを抜かしている暇があるなら勉強して良い成績を取れ』と言いたいのだろうが、それだけではなく、期待外れで“不出来”な私に怒りをぶつけ、めちゃくちゃに傷付けてやらなければとても気が収まらない――といった、どろどろとした感情に任せて動いているように思われた。

 暴言を吐いて罰を与えれば成績が良くなるとでも思っていたのだとしたら全くの見当違いだったろうに、と今振り返ると思うし、実際、子供の成績を上げるために何をすれば良いのか、母はわかっていなかったのだろう。だからあんな無意味な、ただ私の心を傷付けるだけの言動を繰り返したのだ。全くもって、愚かとしか言いようがない。


 こうして逆に母を内心でこき下ろして溜飲を下げるのは、大人になって初めてできるようになったことだ。今はそれで満足できてしまうが、高校生だった当時の私にそんな余裕があるわけもなく、母からの仕打ちを全部真正面から受け止め、母の思惑通りに傷付いていた。 

 

 「あんたが馬鹿だから悪いんでしょ」 

 

 母の決まり文句もそのままの意味として受け止めた。


 ――私が、馬鹿だから悪い。

 そんなふうに。 


 それでも、周りを見回してみると――友達と遊びに行くことだって許してもらえなかったから、クラスメイトとの交流は少なかったが――私ほどがんじがらめに勉強勉強の生活を強いられ、テストのたびに馬鹿だ馬鹿だと貶されているような子は少ないように感じられた。みんな結構、放課後にはカラオケに行ったりファストフード店で過ごしたり、自由に過ごしているみたいだし、テストの後で「ヤバい、順位めっちゃ下がったから親に怒られる」などとぼやいている子はいても、その口調や表情からはそこまでの悲壮感は読み取れなかった。おそらく、『怒られる』といっても、そのレベル感は私が受けるのとは全然違うのだろう――そう推測した。


 よくよく探してみれば私と同じような境遇の子の一人や二人はいたのかもしれないが、私の狭く浅い視点ではそういう子を見付けることはできず、ただひたすら孤独感と悲しみが募って行った。

 

 ――どうして私だけ、お母さんに勉強のことばかり言われて怒られてばかりいるんだろう。私が馬鹿なのって、そんなに悪いことなのかなぁ。


 そんな思いが、私を駆り立てたのだと思う。とにかく、イライラしていたし鬱屈していたのだ。

 万引きという行為を初めて試みた場所は、高校の近くのコンビニだった。放課後の時間帯だからレジには二人店員がいたし、監視カメラだって回っていただろうに、私のささやかな盗み――ガムを一個くすねて制服のポケットに隠し、何食わぬ顔を意識して作りながら店を出る――は、あっさりと成功してしまった。それはもう、拍子抜けするほどに。

 その時の、大それたことをしたのに逃げおおせてしまった喜び、なんだかすごいことを成し遂げたかのような満足感、そして――何、あるいは誰に対してかはわからないが「出し抜いてやった」という高揚感は、忘れられそうにない。


 それがれっきとした犯罪であることはよくわかっていたが、初めての時に味わった爽快感が病みつきになった私は、方々のコンビニやスーパーで万引きをするようになった。たくさん平積みされていた大きめの箱入りのクッキーを、手元を隠すことすらせずに堂々とバッグにしまい込んでそのまま誰に咎められることもなく外に出られた時などは、高揚感でどうにかなりそうだった。こんな大胆なやり方をしても捕まらない私はすごいんだ、と本気で、心から思った。


 私が万引きする品目は何かしらのお菓子と決まっていたが、別に食べたくて盗んでいるわけではなかったから、“戦利品”の多くは店の裏などにそのまま捨てた。捨てたものが店員の目に留まったらどう思われるか、なんて考えもしなかった。欲しくて盗んでいるわけではない、要らないものだから、捨てる。ただ、それだけ。

 私が欲していたのは、あくまで、万引きという行為を通して得られる快感。それ以外には何も要らなかったのだ。そしてどこかで、私は毎日苦しい思いをしているんだから、このくらいのことをしても構わないんだ――なんてことも、きっと考えていた。


 万引きは大抵成功したが、それでも、見咎められて警察を呼ばれそうになったことはあったし、まさにお菓子をバッグに落とし込んだ瞬間を押さえられたにもかかわらず、『あなたは本当はそんなことをするような子じゃないでしょ。もう、二度としないでね』とかなんとか、なにやら優しく諭されて見逃してもらったこともあった。

 そういうことが起こった店には行かないようにしつつ、新規開拓も怠らずに続けていた私のストレス解消は、高校三年生の夏――初めてその行為に手を染めてから、およそ一年後――止むこととなった。


 東京で順風満帆の学生生活を謳歌していたはずの兄が、インカレサークルによる組織的な性犯罪に関与していたとして逮捕されたのが、そのきっかけだった。

 上京したてで右も左もわからない新入生の女の子に狙いを付け、酔い潰した挙げ句に寄ってたかってレイプする――そんな悪質な犯罪だったが、兄は中心的なメンバーではなく、せいぜい女の子を酔い潰す手伝いくらいしかしていなかったそうで――妹としても、兄がレイプなんかに手を染めていなくて本当に良かったと胸を撫で下ろした――実名報道をされることは免れた。逮捕された時、あと一ヶ月で二十歳というぎりぎりのところではあったが、一応は未成年だったことも兄、両親、そして――私にとってはプラスに働いた。性犯罪なんかで兄の名前が知れ渡ってしまったならば、きっとただでは済まなかっただろうから。

 しかし、世間を大きく騒がせたこの事件に対する大学側の姿勢は厳しく、関与した学生は全て退学処分となった。兄も、例外ではなかった。

 

 女性を食い物にするような恥ずべき犯罪の片棒を担いでいた上に、二十歳にして大学生という身分を失った兄に対して、両親はいっそ呆れるほど鮮やかに、掌を返した。不起訴処分となった後、肩を落として帰省してきた兄に父は勘当を言い渡したのだった。


 「今後一切の援助をしないし、二度とウチの敷居を跨がせない。

 お前の顔など二度と見たくない。早く出て行け」


 おめでたくも、なんらかの援助を期待しての帰省だったのかもしれないが、有無を言わせぬ父の命令に兄はサッと顔色を変え、かすかに震えながら踵を返した。

 しでかした事の大きさを思うと当然ともいえる処遇ではあったが、頭が良い完璧な息子として両親からちやほやされてきた兄がこうまで厳しい言葉を受け、拒絶されたのは後にも先にもこの一度きりで、そのことは兄にとってさぞやこたえただろう。こうもにべもなく切り捨てられたこと自体、もしかしたら兄にしてみると予想外だったかもしれない。

 しかし、うちしおれて家を出て行った兄に対して、同情する気には全くならなかった。ただ、私はきっとあの人と顔を合わせることはもう二度とないんだろうな、と他人事のように思っただけ。

 一方で、学校の成績さえ良ければそれで良しとして褒めそやして育てた末路がこれなのだと思うと、兄に対し、そして父と母に対して『ざまぁみろ』『それ見たことか』と吐き捨ててやりたい気持ちだった。


 ともあれ――兄の一件のおかげでどうやら風向きが変わった。

 具体的に何があったかというと、一定水準以上の大学への進学しか認めないとしていた父の姿勢が軟化したのである。それに呼応してか、母も変わった。きつい言葉をぶつけてくることも、私の生活を締め付けるようなこともしなくなった。

 両親が何を思ったかは知らない。大方、兄が駄目になったことですっかり気落ちしてしまったのだろう。優れた成績、良い大学に行くことだけを求めるような教育方針が間違っていたと反省した、などというわけではなく。

 要は、父も母も兄に対する落胆のあまり私のことなどどうでも良くなったのだと思った。思ったが、私はそれで良かった。私の学力では到底手が届かないような大学に行けと命令されることがなくなり、馬鹿だと罵られることもなくなった。うっかりちょっと長めにテレビを見てしまったりしても、もう小言は飛んでこなかった。

 

 兄の件が片付いた頃には秋になっていた。本来なら、いよいよ進学準備に向けてぴりぴりするはずの時期だったが、父も母も何も言わなくなったので、受験までの数ヶ月を、これまでになく平穏に過ごすことができた。

 受験勉強が佳境に入り、忙しくなったことに加え、父と母がおとなしくなってしまったからストレス解消としての万引きをする必要がなくなった――これが、万引きが止んだ理由だった。




 私は、第一志望としていた、東京都内の小規模な中堅私大の文学部に現役合格した。やりたいことができそうな大学、という条件で、学力に見合う範囲で選べた中では一番素敵に思えた大学だった。進学先を自由に選べるって本当に素晴らしいことだ。父の方針がうやむやに立ち消えていなかったなら、こうは行かなかっただろう。

 家を離れて一人暮らしをすることとなったが、学費だけお世話になるけど仕送りは要らない、と断ったのは私のささやかな意地だった。父が方針を曲げていなかったならば、私は学費すら出してもらえないところだったのだから。

 金ほしさでいかがわしいバイトに手を出されては困るとでも思ったのか、学費以外の金銭的な援助は一切要らないとタンカを切ることまでしたにもかかわらず家賃分だけは毎月振り込まれたので、それは有難く受け取っておくことにして、生活費の残りの部分――食費、光熱費や服代、その他こまごまとした出費――については、学業の傍らアルバイトをして賄った。


 大学在学中は、たとえばお酒を飲みすぎてトイレに籠もる羽目になるといった、学生らしいささやかな失敗はしたが、専攻の英文学に打ち込むと同時に英語サークルに所属し、概ね真面目で堅実な生活を送った――あの兄とは違って。

 友達やバイト仲間との間できょうだいのことが話題になった時は、『仲が良くなくて、今どこで何をしているのか知らない』で通した。嘘は言っていない。ただ、本当のこと――サークルぐるみの悪事に関与し、逮捕までされたという事実――を言わなかっただけだ。兄の実名が報道されなかったから可能となった取り繕い方といえる。


 大学卒業後は地元に戻らず、東京都内の翻訳会社に就職した。職種は、翻訳コーディネーターといって、請けた案件を適切な翻訳者に割り振り、作業終了までのサポートを行う仕事である。私自身、いずれは英語力を活かして翻訳者になりたいという夢はあったが、新卒で何の実績もない、全くの未経験の状態からでは仕事を取るのは不可能に近い。そこで、少しでも生きた英語に関わることのできる職場として選んだのが翻訳会社という場所だった。

 大学三年生の頃から付き合い始めた一学年上の恋人――元橋尚也といって、もとは英語サークルの先輩後輩という間柄だった――との仲を順調に深めながら仕事と勉強に打ち込んでいたが、社会人になって三年目、二十五歳の頃に転機は訪れた。尚也の、北海道への転勤が決まったのである。


 「付き合って長いし、俺と結婚して北海道に付いてきてほしい」


 尚弥は私にそう言った。

 東京で仕事を続けたいのはやまやまだったし、縁もゆかりもない土地で新生活を始めることに対する不安もあった。それに――どうして私が仕事を辞めなきゃならないの? というかすかな不満も。

 悩んだ末に私は尚弥の申し出を受け入れることに決めた。


 女である私が仕事を辞めてついて来るものと決めてかかっているかのような彼の言葉に、思うところがないではなかったが、それ以上に、この人と別れたくない、ついて行きたいという気持ちが強かった。


 ひとつには、付き合いが長くなるのだとしたら隠し通すのは難しいだろうから、と覚悟して、『兄は何年か前に大変な騒ぎになった大学サークル集団暴行事件に関わっていたことで逮捕されたし、親からは勘当された』という事実を打ち明けた時、確かにその話、びっくりはしたけど、と前置きをして「でも、お兄さんのしたことと君は関係ないよ。俺はそう思う」と答えてくれたのが、尚弥だったから。

 話さないわけにはいかないけれど、話したら彼が嫌がって私から離れて行くかもしれない。拒絶されるかも、しれない。そう思うと怖くて、声を震わせながらした、一世一代の告白を受け入れてもらえた時、私は本当に嬉しかったのだ。

 だから私は、この人について行ける。全然知らない土地でも、きっとやって行ける。新天地で、ふたりで手を取り合って、新生活を始める。素敵ではないか。


 そう。新天地で――

 今いる場所を離れれば、環境を変えれば、私も変われるかもしれない。

  

 


 環境を、変えたい。

 それが、尚弥の申し出を受け入れたもうひとつの理由だった。


 ここ最近の私は、どうすれば翻訳者としての第一歩を踏み出せるのかわからなくて、途方に暮れていた。

 勉強の甲斐あって英検一級とTOEIC満点は取ったが、翻訳会社のトライアルを受けても――恥ずかしくて翻訳者になりたいことは職場の人には黙っていたから、自分の会社のは受けなかった――一向に合格しない。

 それならば、と単発の案件に片っ端からエントリーしても、他の、実績のある人に決まるばかりで、私のところには仕事が回ってこない。ただの一件も。

 英語が得意だから英語を武器にしようと思っても、そのスタートラインにすら立てない。私程度に英語ができる人は当たり前にいる世界だ。それ以上の何かがなければ、とても太刀打ちすることはできない。でも、“何か”とは何なのか――それがわからない。

 もうあきらめて、翻訳以外で何か、英語を使う仕事をする方が良いのではないかと考えつつ踏ん切りが付かない、そんな状態に陥ったところに降ってきたのが、尚弥からの申し出だった。

 



 翌年の六月、私たちは結婚した。

 お互いが良くても、両家の親戚や友人を大々的に招待するとなると、どうしても兄の問題が障壁となって、式はごくこじんまりとしたものにせざるを得なかった。まぁ――式やら披露宴やらにお金を掛けなくて済んだと思えば、と割り切って、新婚旅行はその分ゴージャスに、ヨーロッパに二週間行った。尚弥が夏季休暇と慶弔休暇、それに有給休暇も何日か使えるタイミングが少し後だったので、新婚旅行の予定は八月に組んだ。夏のバカンスを兼ねての旅行、という格好である。

 この旅行では磨きがかかった私の英語力を披露することで尚弥から手放しの称賛を受け、誇らしい気持ちになった。英語のことで褒められたのは本当に久しぶりだった。


 夢のような二週間を終えて帰国すると、北海道の短い夏はもう終わろうとしていた。東京ならばこの時期、まだまだうだる暑さが続いているだろうに、こちらではもう風の温度が夏のものではなくて、季節の移り変わりひとつを取ってもこんなにも違うのだ――そう、実感した。

 日常に戻ったのだから、と努めて気持ちを切り替えて、翻訳の仕事を得るための努力を再開した。受けられる限りのトライアルを受け、応募できそうな案件が見付かればエントリーする。東京でしていたことの続きを、ここでも繰り返す。しかし、やはり私は、どこからも良い返事を得られなかった。

 そこで方針転換をして、英語力を活かすことができそうな仕事を翻訳関連に絞らずに探してみることにしたが、書類選考に通った会社はあっても、面接の場で『夫の転勤で退職し、こちらに住むことになった』と伝えると良い顔をされず、内定は得られなかった。夫の都合次第でいつまたどこかへ引っ越すことになるかわからないから、二の足を踏んでしまうのだろう。雇う側としては当然の判断だ。

 仕方がないので派遣会社に登録し、高いTOEICスコアを要件とする案件にいくつかエントリーすると、ほどなく派遣先が決まったが、蓋を開けてみるとそこは、外資系企業の日本法人だから一応は英語力を求めていたというだけだったらしく、実務で英語を使う機会は皆無だった。実情を知った時は心底がっかりしたが、かといって翻訳者としての仕事探しは不毛すぎるからもう嫌だったし、専業主婦として家におさまっているのも気乗りしなくて、私は、その職場で働き続けることにした。


 日々つまらない仕事をこなしながらじりじりとしたフラストレーションを溜め、尚弥の申し出を受けたことを後悔した。こんなことなら、尚弥と別れてでも東京に残って、翻訳コーディネーターを続けるんだった。環境を変えれば私も変われるかもしれないなどと考えた私が馬鹿だった。こんなはずじゃ、なかった。




 降った雪が融けずに積もり続ける厳冬の二月――新婚旅行からおよそ半年後、私は、かつてどっぷり嵌まり込んでいたストレス解消法を再び試した。 

 仕事帰りに夕食の買い出しをしに立ち寄ったスーパーで、小さな箱入りのチョコレートをひとつ、万引きしたのである。

 見付からないかな、大丈夫かな、というドキドキ感が、まんまと逃げおおせることに成功すると、狂おしいほどの高揚感と達成感に変わる。十代のあの頃と同じ感覚を、私は味わった。

 その後の流れも、万引きが癖になってしまったのもあの頃と同じだった。毎日のようにスーパーで、コンビニでお菓子を盗んで、“戦利品”はほとんど口を付けることもなく、捨てる。そうすることで閉塞感がいくらかでも軽くなったのも、あの頃と同じ。どこかで、だって私はこんなにイライラしているんだから――なんて、言い訳めいたことを考えていたことも。


 唯一違ったのは、万引きを見咎められた後の店員の態度だった。きっと高校生だったあの頃、私は子供だったからお目こぼしを受けていたのだと、今になってようやく気付いた。今は――いい大人なのだから、見逃してはもらえない。そういうことだったのだと思う。


 万引きを再開してから数ヶ月後、いつものスーパーでいつものように小さなお菓子を三つ四つくすねて、食料品の会計だけを済ませて店を出た直後、私は右腕を掴まれた。

 ハッとして振り向こうとする私に向かって、淡々とした声が降ってきた。


 「あなた、会計を済まされていない商品をお持ちですよね。ちょっと、事務室に来ていただけますか」


 恐怖でかたかた震えながらやっとのことで相手の姿を確認した。いかにも私と同じように夕食の買い出しに来た主婦といった風貌の、四十絡みのその人は、私服警備員か何かなのだろう。「あ、あの、忘れただけ、で……」と言い訳をしようとしたが、言いかけたところで


 「あなたが盗るところを見て、外に出るのを待ってお声掛けしたんです。『レジに出すのを忘れた』なんて嘘でしょう」


 そう、あくまでも淡々と言い返され、私は観念した。


 バックヤードに私を先導した彼女は、奥の事務室のドアをノックした。

 出てきたスーパーの責任者風の男に「万引きです。お菓子をいくつか。あとはよろしくお願いします。」と告げるとそのまま去り、私は促されるままパイプ椅子に座った。向かい側に腰を降ろした男はワイシャツとスラックスの上にスーパーの制服らしいジャンパーを着ている。胸に付けたネームプレートには“三浦”とある。


 「そ、そんな、勘弁、してください。お金なら、払います。払いますから。だから、だからっ……」


 私は恥も外聞もなく泣きじゃくった。もちろん泣き真似ではない。そんなことをする余裕など、あるわけがない。だって三浦というこの男は、家族に連絡するというのだ。そんなことをされたら、尚弥に連絡などされてしまったら、私がこんなことをしたと知られてしまったら――どうなるかわからない。


 「今回だけは警察には連絡しないって言ってるでしょ。

 ――とにかく、旦那さんには連絡させてもらいますからね」


 私は泣いて抵抗したが、結局は抗いきれず尚弥の連絡先を嗚咽混じりに伝えた。

 二十分か、三十分か、ふたりきりの気まずい時間を過ごした後、私は、駆け付けた尚弥に引き渡された。


 「ごめんなさい。ちょっとした出来心だったの。ごめんなさい。もう二度と、しないから」


 怒りと心配がないまぜになったような顔で、苦しげに「どうしてこんなことを……」と問う彼に私は必死で謝り、三浦にも二度としないと誓った。最後には尚弥とふたりで頭を下げることまでして、それでようやく放免された。家に帰った後も「二度としないから、ね、ごめんなさい、だから許して」と繰り返し、なんとかその場は収まった。


 しかし――“二度としない”という誓いを守ることは、できなかった。二ヶ月ほどは私なりに一生懸命我慢したのだが、どうしてもあの爽快感を味わいたくて、手が出てしまった。ひとたび思い出してしまった、うってつけのストレス解決法を、手放すことなどできるはずなどなかった。

 今度は警察も呼ばれた。私は呆然としてほとんどにもできなかった。またも駆け付けた尚弥が平謝りに謝って被害額を弁償することで逮捕はなんとか免れたが、「今度同じことをしたら……わかりますよね?」と仄めかされた。つまり――次はない、ということだ。

 事態を収めるために骨を折ってくれた尚弥は、実のところかんかんに怒っており、家に帰り、他人の目がなくなると「二度としないってあんなに言ってたのは何だったんだ!」と声を震わせてなじった。「君がしていることは窃盗だ。わかっているのか?」


 「わ、私、多分、病気、なんだと思う」


 私は、声を絞り出した。「病気?」と怪訝な声で訊いてくる尚弥に、頷いてみせる。

 翻訳者になるには英語力だけでなくいろいろな知識も必要だからと思って読み漁った本の中に書いてあったことを思い出す。あれは確か、そう――


 「窃盗症クレプトマニアって、いって、ものを盗むのを、やめられない、病気。依存症の一種、なんだって」

 「ものを盗むのをやめられない? そんな病気があるのかよ」

 「うん。ある、みたい。だから私、メンタルクリニックとか、自助グループとか……そういうところに、行ってみる」


 尚弥は少し釈然としない様子だったが、二度と万引きしないために治療を受けるという私の判断には異を唱えなかった。


 メンタルクリニックでカウンセリングを受ける一方、週に一回は盗みの問題で悩んでいる人たちが集まる自助グループに参加した。

 暇な時間が増えるのは良くないと思い、派遣の仕事は当面続けた上で、次の契約更新の時期を目処に、よりストレスの少ない働き方を考えてみることにした。

 カウンセリングでは、両親に愛されなかったこと、兄が逮捕されたという人に言えない秘密を抱えていること、といった生まれた家の家族との問題や、思い描いた通りの仕事に就くことができずにいるという、今現在抱えるフラストレーションについて話し、掘り下げた。

 自助グループでは、私と同じように爽快感を得るために万引きを始めてしまった人や、なんとか衝動と折り合いを付けて万引きをやめることができている人の話を聞き、私も、自分自身の盗みについて話した。

 どちらも楽な作業ではなかったが、二度と万引きをしないため、二度と尚弥を失望させないためと思って全力で取り組んだ。

 万引きをしにくくなるような方法もいろいろと実行した。たとえば、スーパーに足を踏み入れる機会を減らすために買い物はネットスーパーで済ませるか、尚弥とふたりでするようにするとか、どうしても買い物をしなければならない時は、盗んだものを隠す余地があるような大きめのバッグを持たないようにするとか。何か心が安らぐ存在があればと、小鳥を飼い始めたりもした。


 しばらくは平穏が続いた。尚弥とふたりで結婚記念日をちょっと良いレストランで過ごしたり、派遣会社と慎重に話し合って、秋からは英文事務の仕事ができる派遣先に移った。

 そうこうするうちに、北海道に越してきて二度目の冬を迎えようとしていた。




 その日、帰宅した私はハンバーグを作るつもりで野菜室から玉ねぎを出したが、皮を剥いて二つに切ってみると中が腐っていた。確かめると、三つあった玉ねぎはどれも、とても料理に使えるような状態ではなかった。この玉ねぎはネットスーパーで注文したのだが、どうやらあまり質の良くないものを掴まされてしまったようだ。

 メニューを変更しようにも、もう挽き肉は解凍してしまったし、つなぎ用のパン粉も牛乳で湿らせてあった。仕方ない、と溜息をひとつつき、手を洗ってコートを羽織り、鍵と財布だけを持って家を出た。ひとっ走り、スーパーで玉ねぎを調達する。それだけ。他のことは何もしない。そう、自分に言い聞かせながら。


 野菜売り場で四個入りの玉ねぎを一袋掴み取り、手に持ってそのまま会計を済ませようとしたが、レジ近くの小さなお菓子が集められたエリアで、ふと足が止まった。

 微かに心がざわつくのを、左手の薬指に嵌った結婚指輪に目を遣って抑えた。今までの努力が無になるようなことをするつもりか。尚弥との生活を守りたいのではないのか――そんなふうに自問する。

 芽生えかけた衝動が鎮まり、安心しかけたところで、喉元、次いで口中に違和感を覚えた。嘔吐感とともに、何かが口を内側から抉じ開けようとしている。

 こらえきれずに口を開けると、するすると白く細く、驚くほど長い腕が伸びてきて、小さな手が素早くお菓子を二つ、三つ掴み取り、私のコートのポケットに落とし込んだ。

 あまりのことに呆然としている間に、腕はまたするすると体内に戻って行った。

 

 とても信じ難いことだが、私の身体の中から腕が出てきた。そして――盗みを働いた。わけがわからない状況だが、とにかく、盗みは駄目だ。私は右手――今度は紛れもない、自分の手――をコートのポケットに突っ込み、お菓子を売り場に戻そうとした。

 しかし、先ほどよりも強い嘔吐感が襲ってきて、私はその場にしゃがみこんだ。これはおそらく――身体の中の手が抵抗している。この手は盗みをしたいのだ。仮に私が嘔吐感に耐えてお菓子を元の場所に戻すことができたとして、その時はもう一度同じことを繰り返すつもりだ。

 そうとわかりつつも右手を動かそうとすると、猛烈な嘔吐感が突き上げてきた。

 私は玉ねぎの袋をその場に落とし、喉元を両手で押さえながらよろよろと店を出た。咎め立てされたら、喉から手が出てきて盗んだのだと説明して、わかってもらうしかない。これは私の意思でしたことでは、ないのだから――


 


 今回も私服警備員に身柄を押さえられて、事務室に連れて行かれた。この部屋に通されるのも、三度目になるわけだ。

 スーパーの責任者――前々回と前回も向かい合わせで顔を突き合わせた、三浦という男――は、今回は任意同行からの逮捕になると思うので、お話と手続きは旦那さんに来てもらった後で、というようなことを言った。

 逮捕だなんて、そんなことになるはずはない。だってこれは『私』のしたことではないんだから。私の身体の中の手が、勝手にしたことなんだから――


 「喉から手が出てきて勝手に盗んだ? 自分の意思で盗んだんじゃない? 

 ――見え透いた嘘つくのやめろよ」


 促されて入ってきた尚弥は、軽蔑の表情を隠そうともせずに言い捨てた。声音は、聞いてたじろいでしまうほどに冷たい。


 「病気だっていうから、そんな話あるかと思いながら病院に通わせてやったのに。それでも君は万引きがやめられないんだな。

 それで今度はどんな言い訳するかと思えば『喉から手が出た』だ? いい加減にしろよ。 

 俺はもう――いつまた君の万引きで呼び出されるかわからないこんな暮らしは嫌だ。これからのこと、考えさせてくれ」


 「ち、違う、嘘じゃない、本当に、喉から、手が。本当なの」


 必死で訴えたが、尚弥の表情は変わらない。


 「だから見え透いた嘘はやめろと言ってるだろう。

 君のお兄さんが犯罪者でも構わないとは言った。だけど君自身が犯罪者なら話は別だ。

 俺は君みたいな窃盗の常習者とは暮らせない――暮らしたくない」


 その、彼からのとどめの言葉を受けた私は、頭が真っ白になった。

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