あと九十九本... 「最期」

 ミユは僕の、大学に入ってから初めてできた彼女だった。


 僕が大学入学と同時にバイトを始めたコンビニに、新しくバイトとして入ってきたのが、彼女との出会いだった。僕はミユが入ってきた時には既に丸一年ここでバイトを続けていたところだったから、まぁ一通りのことはできた。だから自然と、ミユと同じシフトに入る時は僕がいろいろ教える立場になった。

 休憩時間にお互いの大学について話したら、学部は違うけれど同じ大学に通っているということがわかった。僕は経済学部、ミユは文学部。キャンパスは同じだけど僕らの大学はいわゆるマンモス大学で、とにかく学生が多い。だから今まで知り合う機会がなかったのだろう。僕はサークルには入っていないから、他学部の奴と触れ合う場が少ないということもあるけれど。

 ともあれ、バイト先だけでなく大学でも先輩後輩の間柄にあるということから、僕らは親しくなり、そうしているうちにミユのことが好きになって僕の方から告白して付き合い始めたというわけだ。

 付き合い始めたのがいつだったか、もちろん僕ははっきりと覚えている。それは、彼女と出会って三ヶ月目、六月八日の、一緒に入った夕方シフト明けのことだった。 

 「君のことが好きだ。付き合ってほしい」という僕の言葉にはにかみながら、それでも笑顔で「はい」と答えてくれたミユの表情は、初々しく、可愛らしかった。



 ミユはなんというか、守ってあげたくなるような女の子だった。

 女子としてもかなり小柄で、身長は一五〇センチそこそこしかない。中学生くらいにしか見えないほどの童顔だけれど、二重まぶたの大きな目にスッと通った鼻筋、ほどよく厚みのある唇――と顔のパーツは整っていて、それらのバランスもいい。とりわけ、瞳の澄み具合が最高だ。カラーリングしていない、黒髪のままの清楚なショートヘアは大学生としては少し幼いかもしれないけれど、彼女の雰囲気にはマッチしていた。

 欠点を挙げると、彼女はちょっとトロくてドジで、レジの打ち間違いが多いし、宅急便の受付とかチケットの発券とか、単純なレジ業務以外のことを頼みにきたお客さんを前にすると、テンパって何もできなくなってしまう方だった。そういった作業はちょくちょく発生するから、入って間もない頃にちゃんと教えたのだけれど、「イレギュラーなことを頼まれると頭が真っ白になっちゃって」と泣きそうな顔で言われると、「このくらいのことは一人でできるようになってよ」とは言えなくなってしまった。他の後輩相手ならもっとキツく言えるのに。

 それに、どうもミユには気弱なところがあった。付き合い始める前に聞いた話では、高校まで続けていた吹奏楽を大学でもやりたくて吹奏楽団に入ったけれど、同性の先輩にキツい性格の人がいて、その人にいじめられたのがつらくて辞めてしまったのだという。「吹奏楽は好きだったから続けたかったんです。それなのに。私、何も悪いことしてないのに」と声を震わせて必死に訴えかけてくる姿に心を打たれて、思えば僕は、その時に彼女のことを好きになったのだと思う。


 

 付き合い始めてから知ったことだが、ミユはメンタルクリニックに通っていた。どういう病気なのか、そっと尋ねると「軽いうつで。あと、夜、眠れないことがあって。――あ、大丈夫。入院しなきゃならないとか、わけわからなくなって暴れるとかはないから」と言うので、「そうなんだ。早くよくなるといいね」と答えながら、僕が彼女を支えてあげなければ――という思いは更に強くなった。

 彼女はきっと、ちょっと人より繊細で傷付きやすくて、そんな彼女には誰か助けになる存在が必要で、その役割を果たせるのは彼氏である僕をおいて他にいない。本気で、心から、そう思った。


 ミユの、メンタル面で心配だったのは、嫌なことがあるとお酒を飲みすぎてしまったりすること、そして、これも嫌なことがあるとやってしまうことらしいが――リストカットをしてしまう時があるということだった。彼女がいつもリストバンドを着けていることには初めて会った頃から気付いていたが、それが自分で自分を傷付けてしまった跡を隠すためのものだということは、付き合い始めてから知った。

 付き合い始めるとお互いの裸を見る機会ができるのは当然のことだが、僕はミユのリストカットがひっかき傷をつくる程度の軽いものではなかったこと、傷を付ける位置も左手首だけではなかったことを知った。両腕は肘の更に上、二の腕まで縞模様ができるほどの状態だし、太ももにも傷が刻まれていた。

 彼女の腕や脚には見るたび新しく、生々しい傷が増えるから本当に心配で心配で、そういうのはやめてくれと何度も諭した。だけどミユは「これは私が生きていくために必要なことなの」と言って、やめようとはしなかった。

 僕という彼氏の存在は、リストカットを止める原動力にはならないのかと思うと、歯がゆくてたまらなかった。そんなことをしなくても毎日笑顔で過ごせるようになってほしかった。欲をいえば、メンタルクリニックに通って安定剤とか眠剤とかを飲む必要も、なくなればいいと思った。

 だから僕はミユが暗い表情をしていれば「何かあった?」と優しく聞いてあげたし、ミユが夜中に泣きながら電話をしてきたらそれがどんなに遅い時間であっても、どんなに長い話であっても、途中で打ち切ることなく最後まで相手をしてあげた。どんなにしてあげても彼女がリストカットをやめる気配はなくて、だからこれでは足りないのだと思って、僕は彼女が満足するまで、僕の存在によって彼女の心が満たされるまで、頑張ろうと心に決めた。



 それがよくなかったのだろう。


 僕はきっと加減を間違えたのだ。

 どこかで線引きをするべきだった。


 そのことに気付いた頃には、ミユの言動はどうしようもなくエスカレートしていた。



 

 僕らが付き合い始めて半年が過ぎた頃――十二月に、ミユはバイトを辞めてしまった。僕が同じシフトに入っていなかった時のことで、その場に立ち会ったわけではないのだが、単純なレジ業務ですらいつまで経ってもミスなくスムーズにこなすことができない様子に業を煮やした店長がミユを激しく叱責し、ショックを受けた彼女はその場で「じゃあ辞めます」と伝えたのだそうで、その一件の三日後には、ミユは本当に辞めてしまったのだった。

 「私だって一生懸命頑張ってたのに、あんなに責めるなんて店長はひどい。いろいろできるようになりたくて頑張ってたのに、頑張りを認めてもらえなくて、悲しかった」と泣きじゃくり、店長の非情さをなじるミユを慰め、宥めながら、ミユを叱責した店長の気持ちがわかる――とも心の片隅では感じていた。

 いくら最近のコンビニバイトは任される仕事の幅が広いといっても、入って九ヶ月も経っていればよほどのイレギュラー以外には対応できるようになるはずだ。それに、声を荒らげるところを見たことがないほど温厚な店長が誰かを“叱責”するというのはちょっとありえないと思ったし、あの温厚な店長がそこまで怒ったというなら、相当腹に据えかねるものがあったのだろう、と想像もした。もちろん、僕が内心で思ったことを彼女に伝えることはしなかったけれど。


 ミユは、こうして、初めてのバイトを仕事が務まらなくて辞めることになってしまった。彼女に言わせれば「店長にキツく怒られて辞めるように仕向けられた」ということだが――ともあれ、確かにこれは挫折経験ではあるのだろう。

 僕から見るとたかがバイト、しかもたった一ヶ所でうまくいかなかっただけの、挫折ともいえない取るに足りない学生生活の一コマだが、繊細なミユはそう軽くは考えられなかったのだろう。バイトを辞めてからというもの、目に見えて精神的に不安定になった。


 

 ミユはあらゆる不安や不満を僕にぶつけてきた。たとえばこんなふうに。


 『バイト辞めちゃってから会う機会が減って寂しい』

 『新しく入ったバイトも女の人なんでしょ。その人とも仲良くしてるの?』

 『私のこと、いつまでもソウくんの友達に紹介してくれないの、どうして?』

 『LINE見たらちゃんと返事して。既読スルーするのやめて』

 

 ミユだってコンビニバイトを辞めてから新しいバイトを始めたから――どんなバイトか聞いたら「居酒屋だよ」と答えるので、コンビニ以上に務まらないのではないかと心配したが――会う機会が減ったのは事実だとしても僕だけのせいではないのではないかと思った。それに、彼女とは付き合い始めてすぐの頃から変わらず、週一回はデートしているし、お互いの部屋を行き来して、そのまま泊まることもよくある。

 ミユの後に入ってきた人は確かに女性だが三十歳近い既婚の主婦で、恋愛対象外であることは言うまでもない。それに僕はミユ一筋なのだから、仮に同年代の女の子が新しく入ってきたとして、そっちに乗り換えるなんてことは絶対ない。これは誓ってもいい。

 ミユを僕の友達に引き合わせないのは、ただなんとなくだ。強いて理由を上げれば、そういうことをする奴は仲間内にはいないから僕もやらない。それだけのことだ。

 LINEに関しては、僕はあのせわしないやりとりが好きではなくて、もともとインストールしていなかった。ミユに請われて始めたものの、ついメール感覚で使ってしまうようなところがあって、結果的に「既読スルー」とかいうLINEにおけるマナー違反を犯してしまうだけだ。他の誰かとはもっとまめにやりとりしている、といった事実はない。そもそも僕はミユとのやりとりにしかLINEを使っていないのだ。


 そういったことを冷静に説明しても、ミユの安心にはつながらなかった。どんなに説明しても、彼女は納得しない。そしていつも、決まった一つの結論に行き着く。


 「ソウくんは私のこと、もう好きじゃないんだ。だから大事にしてくれないんだね」

 ――という。


 僕はそれこそ学部の仲間とか男友達とか、そういう自分の交友関係を犠牲にしてまで、ミユだけを大事にしていた。それが伝わらないのがもどかしくてたまらなかった。

 どうして伝わらないのかわからなかったが、きっと理由などなかった。ミユの抱える不安は、どれだけ言葉を尽くし、どれだけ心を砕いても、解消することは不可能だったのだろう。ミユの不安は、どう手を尽くしても埋めようがない、彼女の心に開いた底無しの穴のようなもの――あるいは、いくら愛や情や言葉を注がれてもひたすらどこかへ呑み込んでしまう、ブラックホールのようなものだったに違いない。


 

 

 ミユからの訴えは、次第に脅迫じみたものになっていった。それは彼女にしてみれば切実なSOSだったのだろうが、僕から見ると脅迫以外のなにものでもなくて、少なくとも、僕がそう受け取ったのは事実だし、不誠実な受け取り方だったとしても致し方ないところではあったと、僕は今でも思っている。


 彼女からの訴えは、端的にいうなら「死ぬ脅し」だった。たとえば「今からこれ全部、お酒と一緒に飲む」というメッセージに添えて大量の薬のシートの写真が送られてくる。「これだけ切ったら死ねるかな」と、深くて大きくてなんだかいろいろなものが見えているような切りたての手首の傷の写真が送られてくる。

 そういったメッセージが届くたびに僕は彼女の部屋に駆けつけて、眠りこけている彼女の介抱をしたり、手当が必要だからと説き伏せて救急外来に連れて行ったりした。いつこの手のメッセージが送られてくるかわからないから、僕はすぐ駆けつけられるようLINEの通知を逐一確認し、他愛ないメッセージにも必ず返事をするようになった。

 僕に既読スルーをするなと言う割に、僕が逆に既読スルーされることはしょっちゅうだったが、その点については気にしないことにした。なにより、ミユが死にたいと思わないように「大事にしている」というサインを伝えること、ミユが死のうとした時はすぐに助けに行けることが重要なのだから。

 

 進級して三年生になった僕は、学業やバイトと並行して就職に向けた準備も始めなければならなかったが、彼女の自殺未遂騒ぎに対応するためにインターンシップを途中で放棄せざるを得ないことが二度、三度と続いた。不義理を働いてしまった相手企業は、当然のことながら応募候補から外さざるを得ない。

 影響は就職活動だけにとどまらず、ミユが今どうしているか、変な気を起こしていないか、また「こうやって死にます」とメッセージがきていないか、気が気でない日々が続き、学業やバイトにも身が入らなくなっていった。そして僕自身、不眠に悩まされるようになった。偏見と言われればそれまでだけれど、僕はどうしてもメンタルクリニックに行くことには抵抗があったので、ドラッグストアで市販薬を買って飲んでしのいだ。

 どうも僕は明らかにやつれ、疲弊して見えたらしく、学部の仲間に心配されることがあったし、久しぶりに会った男友達にかいつまんで事情を話したところ、「そんな重い女、もう別れろよ」と言われたりもした。でも、ミユと別れることは考えられなかった。彼女を支え、癒やすことができるのは僕だけだと固く信じていたからだ。



 ミユの様子がおかしくなって一年も経つ頃には、僕は気付いていた。彼女はきっと、本当に死ぬつもりはないのだということに。それでも、不穏なメッセージがくれば駆けつけることは欠かさなかった。万が一を思うと、捨て置けなかったからだ。

 恋人としての仲は、半ば惰性のようにして続いていた。彼女が安定していて、僕の身体も空いていればデートもしたし相変わらず「緊急事態」以外の時にもお互いの部屋を行き来した。僕の、ミユに対する彼氏としての想いは以前ほど熱烈なものではなくなっていたが、付き合いが長くなればこんなふうになるものなのだろうと思っていた。


 彼女もきっとそう思っている――そうであってほしかったが実際は違ったと知ったのは、僕がなんとか一つ内定を取った頃だった。

 四年生になった僕に対し、一学年下だったはずのミユはまだ二年生だった。ろくに授業に出なかったので単位が足りず、三年生になれなかったのだ。このままでは彼女は大学を卒業できないのではないかと気を揉んでいた頃、LINEメッセージが届いた。

 

 『好きな人ができたから別れてほしい。ごめんね、その人とはもう、Hしちゃったんだ。ホントごめん、でもその人のほうがソウくんよりいいの』


 ふざけるな。そういうことはせめて会って直接言え――今すぐ電話をかけてそう怒鳴りつけてやりたい気持ちを、僕は歯を食いしばってこらえた。彼女にしてみれば、どんなに傷付くことを言われるかわからないから、こうして文字のやりとりだけで済ませたいのだろう。そう思うしかなかった。

 しかし、折り返しのメッセージの文面でまでものわかりがよい振りをするのは、僕には無理だった。


 『僕より好きな男ができた?なら仕方ないけど、せめて僕と別れてからHするか、そういう生々しいところは隠すか、してほしかったよ』


 『ごめんなさい。ごめんなさい。でも、嘘つくのは良くないと思って』


 彼女は、僕が知らない、何かの漫画かアニメの女キャラが土下座して謝る絵のスタンプ付きでそんなメッセージを送ってきた。深刻な話をしている時に使うようなものではないそれを見た僕は頭に血が上って、言ってはならないことを言ってしまった。


 『謝って済むことだと思うのか?』


 しばらくの沈黙の後、彼女からメッセージがきた。今度はおちゃらけたスタンプつきではない。


 『死んでお詫びします』


 たった九文字だがインパクトは抜群のそのメッセージに、僕はほとんど脊髄反射で返信した。これは本当にさっきの以上に言ってはいけないやつだとわかってはいたが、もうどうにでもなってしまえ、という気持ちだった。


 『どうせ今度も死ぬ気ないんだろ。構ってほしくて死ぬ死ぬ言うの、お前の癖だもんな。いっぺん本当に死んでみせろよ』 



 今回ばかりは部屋に駆けつけるどころか、なんのフォローもする気が起こらず、ベッドに行くのも億劫で、僕はフローリングの床にごろんと横になった。気分が昂ぶって眠気は一向に訪れなかった。


 

 放り出したスマホがミユからのLINEメッセージの着信を伝えたのは二時間ほど後のことだった。

 今更何の用だか知らないが、どうせミユだけのためにインストールしたものだったんだから、さっきの捨て台詞の後でサクッとアンインストールしておくんだったな、と思いながら彼女からのメッセージを一応は開く。死ぬことは思い直したし、新しい男のところにも行かないからお願い許して――とか、どうせ用件はそんなところだろう。

 

 ところが、メッセージはごくシンプルだが不可解なものだった。


 『私の最期だよ。見て。私のこと、これで忘れないね』


 添付された写真には、頭が潰れてどろどろと中身が飛び出し、顔も半分なくなって、もちろん死んでいる、ミユの首から上のアップが写っていた。片方だけ残った目は見開かれていて、小鼻は完全になくなっていて――これ以上語りたくない。




 胃液も出なくなるまで嘔吐し、一睡もできないまま朝を迎えた僕は、警察からきたという男女二人連れの訪問を受けた。彼らは名乗ったのだが、僕はそれを右から左へ聞き流した。


 「北原湊也きたはらそうやさんですね。

 あなたと交際していた浅田心結あさだみゆさんが昨夜、自宅マンションの七階から転落し、亡くなりました。現場の状況などから、飛び降り自殺を図ったものと思われます。浅田さんが最後に連絡を取っていた相手があなただったということもあり、事情を聞かせていただきに伺いました」


 二人連れの、男の方が話すその言葉をぼんやりと聞く。

 そうか、彼女は飛び降り自殺したのか。

 そうだよな、あの「最期」の写真、ぐちゃぐちゃだったもんな。

 きっと、頭から落ちたんだな。そして、顔が地面に叩きつけられて――


 いやいや、思い出すな。

 それより、僕はどんなメッセージを送ったんだっけ。


 そうだ――


 「あの……僕、いきなり別れようって言われて、その、すごく腹が立って……『死ね』みたいなことを言っちゃったんですけど。そういうの、罪になるんですか? 自殺なんとかっていう」


 語尾はどうしようもなく歪み、震えた。僕の言葉が最後の一押しになって彼女が死を選んでしまったのだとしたら。それに――僕の言葉が罪になって逮捕されるとしたら、せっかく取った内定はどうなるのか。僕のこれからの人生は、どうなってしまうのか。考えると、恐ろしくてたまらなかった。


 「あなたの送ったメッセージが自殺教唆にあたるかどうか――ということですね?

 難しいところですが、あなたは何度も『死んでくれ』とメッセージを送ったわけではないようですし、売り言葉と買い言葉のようなもの、とこちらでは解釈しています。亡くなった浅田さんは自殺未遂を頻繁に繰り返していたようですし、その……夜の仕事でのトラブルで悩んでもいたようですから」

 

 どうやら逮捕されることはなさそうだとわかり、僕は安堵し、少し呼吸が楽になった。警察は最後のメッセージの全貌をきちんと把握している上に、ミユのこれまでのことも調べているようだ。

 それにしても聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたので、僕は尋ねた。


 「あの……夜の、仕事……っていうのは?」


 「あぁ……ご存知なかったんですね。だとしたら言っていいのかどうか……まぁ、いいでしょう。

 浅田さんはいわゆる風俗の仕事をしていたんです。デリヘルって、あなた、聞いたことは――なさそうですね」


 男の話から判断するに、ミユはコンビニバイトを辞めた直後からデリヘル嬢として働いていたようだ。つまりあの時僕が聞いた「居酒屋でバイトしている」という答えは、嘘だったことになる。

 僕は昨日、新しく好きな男ができたから別れてほしいと一方的に告げられたことでカッとキツいメッセージを送ってしまい、結果として彼女に死なれてしまったわけだが、なんということはない。僕はもうずっと前から彼女に欺かれ続けていたのだ。しかも、よりによってデリヘル嬢だなんて――少なくとも、自分の彼女には絶対にやってほしくないたぐいの仕事だ。そんな仕事をしていたことも彼女の精神状態が悪化した一因であり、留年したのも学業が疎かになったせいだったのかもしれない。しかし、そんな仕事をしていた彼女は汚いとしか思えず、同情する気にはなれなかった。




 「…………何か質問はありますか」


 男の声に、ふと我に返った。

 質問なら、ある。あの、不可解な「最期」の写真付きのメッセージのことだ。



 「あの……彼女が、その……飛び降りた時、誰か一緒にいたんでしょうか」


 考えたくはないけれど、たとえば、新しい男とか。もしそいつがミユが死んだ時に部屋の中にいて自殺の瞬間に立ち会った後で現場まで降り、死んだミユの写真を撮って僕に送りつけてきたのだとしたら、随分悪趣味な奴だとは思うが一応の説明は付く。そうでなかったらあのメッセージはなんなのだ。


 しかし。


 「いいえ、そういった事実は確認しておりません」

 

 僕はその返事に期待を裏切られて、たまらずスマホを取り出し、問題のメッセージ画面を表示させた。


 「彼女……彼女のアカウントから、やりとりの最後にこういうメッセージがきていたんです。……誰か、彼女以外の人じゃないと、送れないですよね、こんなの」


 失礼します、と断りを入れて画面を確認した男は、少し考え込んでから「確かに変ですね。メッセージの詳細について、調べてみることにします」と言った。



 

 きっと、調べても何もわからない。

 ミユが死んだ時、本当に現場には他に誰もおらず、紛れもない彼女自身が「最期」の写真を僕に送ってきたのだろう。


 なるほど、彼女の目論見通りというわけだ。あんなものを見せつけられては忘れようにも忘れられない。たとえLINEをアンイストールしても僕の記憶は消えない。きっと僕は何度も何度も、何度でも彼女の「最期」の顔を夢に見て、そのたびに脳内に残る映像はより鮮やかになっていくのだ。

 この先、精神的に落ち着いた、嘘をつかない別の誰かと新しい恋をすることも、ままならないだろう。ただでさえミユの自殺未遂騒ぎに疲弊していた僕は、彼女に死なれたことでメンタルにとどめを刺された感じだし、この先知り合う相手に、女の子を一人死に追いやった事実を隠し通せるとも思えないからだ。

 


 僕は一生、彼女に縛られ続けるのだろう。



 彼女は繊細で傷付きやすくて、でも、したたかで嘘つきで――そして、僕に対して人一倍強く、人一倍歪んだ想いを抱いていた。その想いに名前をつけるなら「執着」とでもなるのだろうが、彼女の想いを言い表すのに、そんな月並みな言葉では、とても足りない。


 


 彼女は――恐ろしい女だ。

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