怪談好きさんに捧げる百のお題

金糸雀

あと百本... 「女の子」

 第二次性徴前の女の子にしか性的な興味を向けることができない、そんな男がいた。小児性愛者ペドフィリアと呼ばれる中でも、特に「ロリコン」と称される性癖の持ち主である。

 顔貌は女の子のそれだけれど身体を見ると胸もお尻も膨らんでいなくて、ウエストのくびれだってまだなくて、性別を示す特徴が乏しい。しかし裸にして脚を開かせるとそこには、未成熟で穢れていない女の器官がある――そんな年頃、具体的には五〜六歳くらいまでの幼い女の子を、男はこよなく愛していた。


 愛らしい女の子を見て愉しみ、あわよくばそれ以上のこともするために都合の良い職業として、男は保育士となった。女の子の裸に触れるのも仕事のうち――それが保育士だ。男はそう、自分に都合良く解釈した。

 女の子のお着替えを手伝うだけでも幸せだったが、泣いているのを優しく慰めながらお漏らしの始末をしてやり、綺麗に拭いてあげる、と囁いて指でそっと大事なところに触れる、そんな機会に恵まれた時など、男は勤務中にもかかわらずズボンの中で射精してしまうほど興奮した。


 この子は他の男がまだ一度も触れたことのないここを、意味もわからないまま弄られている。俺がこんなにいやらしい気持ちになっていることも知らずに。   


 ――そう考えるとたまらなかった。


 

 時に職場の同僚や女の子の親にこうした悪戯イタズラが露見することもあり、そうすると当然仕事を続けられる雰囲気ではなくなり――必然的に、男は職場を転々とした。女の子の心の傷とやらを考えるとあまり大事おおごとにしたくないという心理が働くものらしく、退職を迫られることはあっても、警察沙汰になることはなかった。



 だが、男の悪戯の度合いは職場を移るごとにエスカレートして行き、六度目の転職先で興奮のあまり女の子の性器の中に指を入れて掻き回し、激しく出血させてしまったことがこれまでにない大問題となり――男はついに、逮捕された。

 

 警察の調べにより、男がこれまでの勤務先全てを女の子に対する性的な悪戯――「悪戯」などという軽い言葉でその行為を認識していたのは当の男だけで、れっきとした強制わいせつ罪にあたるのだが――が原因で去っていたことが判明した。

 かくして彼は、書類の上では初犯となるため収監されることはなかったものの、性犯罪の常習者として、小児性愛者としての治療を受けることを命じられた。



 「当院での基本的な治療は、自助グループによる集団精神療法です」

 

 指定されて赴いた精神病院で、医師はそのように説明した。どのような患者にも平等に接しなければならないという倫理意識ゆえ、表情には出さなかったが彼自身二人の娘の父親でもあることから、内心では患者として対峙するその男を心の底から軽蔑しながら。


 「それって、どのくらい時間掛かるもんなんですか? 自分、あんまかったるいの嫌なんですけど」


 医師の心のうちなど知る由もないその男は、そううそぶいた。そもそも自分の性的嗜好は変えようのない生まれつきのものだし、変える必要があると感じているわけでもない。可愛い女の子を弄って何が悪いのかわからない。だからこその態度である。


 「そうですね……長年にわたり女児に向けてきた適切ではない性的な興味を矯正するのですから、何ヶ月も――いえ、何年も掛かると思います。気長にやって行くしかありませんよ」


 医師はもちろん、反省の色が微塵も読み取れない男の態度に内心では憤っていたが淡々と応じ、励ますように付け加えた。

 

 「自助グループでは言いっぱなし聞きっぱなしのルールのもと、患者さん皆さんで自分の体験や性的な欲望についてを語り合い、分かち合うことになります。大丈夫、あなた一人ではありません」


 男は顔色を変えた。そして、不愉快だと感じていることを隠そうともせずに言い放つ。

 

 「はぁぁ? 冗談じゃない。なんでそんな性的な欲望? とか、そういう恥ずかしいことを他人に話さなきゃならないわけ? 自分、そんな治療受けたくないですよ」


 「落ち着いてください。確かにそのように感じられるかもしれませんが――」

 

 宥めようと試みる医師の言葉を途中で遮り、男はなおも言い募る。


 「もっと簡単にどうにかなる方法ないわけ? 治療は絶対に受けろって言われてるけど、時間が掛かるとか自分のしたことを打ち明けるとかは嫌なんで。どうにかなりません?」


 医師は溜め息をついた。

 

 「わかりました。それでは――催眠暗示を用いましょう」


 「催眠? なんか『あなたはだんだん眠くなる〜』みたいなやつ?」

 

 男は素人丸出しの反応をした。積極的ではある――のかもしれないが。

 

 コイツ、催眠暗示を軽く考えてやがるな――医師は見抜いたが、その上でその認識を訂正せずに話を続けることにした。こういう輩はこれでもかというほど痛い目に遭えばいい、と考えたからだ。


 「そうです。

 ――今から、あなたに『あなたの性的な興味の対象となる女児があなたにとって最も恐ろしいものに見えるようになる』という暗示を与えます。そうすれば、あなたはこれから先、女児に対して不適切な行いをすることはなくなるでしょう――恐ろしくてたまらなくなるのですから」


 それでも宜しいですか、という医師からの問いかけに男は頷いた。俺はカエルが大嫌いだから、可愛い女の子がカエルに見えるようになるだけだろう。想像するとグロいけど、まぁ我慢できるはずだ――男は、そう考えたのだ。


 「それでは、今から暗示をかけますので目を閉じてください。

 それから、私に合わせて数を数えてください。はい、一……二……三……」


 医師の声によってトランス状態になった男が、暗示を与えられて病院をあとにしたのは、数十分後のことだった。




 何故だ。何故だ。何故だ。


 男は混乱していた。


 病院からの帰り道、散歩中の幼稚園児とすれ違った時。鼻を垂らした男のガキと手を繋いでいるのは揃いも揃って紺色のセーラー服を着た女だった。

 男の性的興味の対象外のその女はおそらく中学生だが、皆同じ姿だ。男よりは背が低いがその年頃の女としては長身で、ボーイッシュなショートヘアにきりりとした顔立ち――率直に言って、年齢以外の点でも全くもっていけ好かないタイプである。


 そして、理屈抜きに、理由もわからず――とても恐ろしい。


 

 この女は一体何なんだ。これならまだ、スモックを着たカエルが男のガキとお手々繋いで二足歩行してくれていた方が良かった。俺が一番恐ろしいものはカエルではなかったのか――


 幼稚園児の一群をやり過ごした後も、そこここに紺のセーラー服を着たその女は現れた。生活に草臥くたびれたような中年女に手を引かれている時が多いが、時には全く同じ容貌、服装の女が二人、並んで公園の砂場でしゃがみ込んでいたりする。



 これは一体何だ。

 俺の前にやたらと現れるこれは誰だ。

 この、いけ好かない女は――


 




 擦り切れた頭で自問自答するうち、男は思い出す。中学時代の苦い出来事を。



 「キモっ。マジキモっ。思いつめた顔で『みんなが帰った後で話したいことが』とか言うから何かと思えばあんたっ」 

 「い……いや……その……」

 「アタシのこと好きとかどのツラ下げて言ってくれてんの? てかあんた、自分の顔、鏡で見たことある? ないわー、その面でアタシを好きとかマジないわー」

 「ご……ごめん……嫌だったんなら、謝るから……」

 「はぁぁ? そんなことしてくれても意味ないし! あんたみたいなブサキモにコクられた事実は消えないし! 委員会が一緒だから口利いてやってただけなのに勘違いするとか、ホントキモっ」

 「うぅっ……ぐすっ……」

 「泣きたいのはアタシの方だっての! ふざけんな清川! ……あぁこれからはキモ川って呼んでやるわあんたのこと」


 それは窓の外には夕焼けが広がる秋の日の放課後。男が中三にして人生最初で最後の失恋をした瞬間――そして、卒業までの数ヶ月間、学年中から指を差されて「キモカワ」と呼ばれる日々の、始まりだった。



 あぁぼくは、だから。

 おなじくらいのとしのおんなのこはこわくて。

 だからちいさいおんなのこしか。

 だからあのおおきなおんなのこばかり、みえるように。






 「今頃彼は気付いているだろうな」

 

 医師は呟く。

 

 歪んだ性的嗜好に走る者は、なんらかの外傷体験トラウマを抱えていることが往々にしてある。もちろん全員がそうであるとは限らないし、外傷体験があるからといって性的加害が許されるというものではない。しかし、小児性愛者となってしまった深い理由が何かあったのだとしたら、集団精神療法の場で過去を解きほぐすことでその事実と向き合い、回復に向かうことができる可能性はあった。

 他ならぬ彼自身に自分自身と向き合おうという意思がなく、差し伸べた手を振り払ったのだから、仕方がないのだが。



 催眠暗示をかけた時のやり取りを、医師は思い出す。


 「君が一番恐ろしいと感じているものは何かな。ただ嫌いなものじゃない、何か外外傷体験に繋がるようなもの――思い当たるものはない?」  

 「中三の時のクラスメイト。北沢絵里菜ちゃん。一緒にクラス委員をしてた」

 「その子との間で、何かつらいことがあったのかな」

 「はい。とても……つらいことが……」



 そうして聞き出した上でかけた催眠暗示だ。深層意識の中に眠っていた、彼自身が蓋をしていた外傷体験を見付け出して。

 思い出してしまった彼は、そう長く正気ではいられないだろう。ちゃんと自助グループに参加するからこの暗示を説いてくれと必死の形相で頼み込みに来るか、それとも――


 「個人的には、このまま狂ってくれても構わないんだけどね」


 それは医師としてというよりは男として、娘を持つ父親としての偽らざる本音だった。

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