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 学級委員から配られたしおりを手にするとクラス中が騒がしくなった。六月、鎌倉に校外学習に行くらしい。校外学習と言っても要は遠足だ。


「それでは、今から班決めをしてください。決まった班から黒板に名前を書いていってください」


 そういって、彼女は黒板に1から8の番号を書いていった。よしみとふゆがわたしの席に来て、誰と組む? なんて話をしている。クラスは四十人いて、八グループをつくらなければならない。つまり、三人グループのわたしたちは二人グループの人たちを探す必要性がある。わたしの目の前には青野涼がいた。つまらなそうに小林恵が髪の毛を指に絡ませている。青野涼と目が合った。いつもならそらすのに今日は、離せなかった。入学式の日、目の前を歩く自分よりずっと背の高い彼女に気持ちを持って行かれた。目の前の子が同じクラスだったらいいのにと心の底から願っていると、同じ教室に入った。彼女が席についたとき、彼女の顔立ちをみてわたしは声を掛けられなかった。わたしなんかが近づいていい相手じゃない。次の日もその次の日も声を掛けられなくて、青野涼は小林恵に持っていかれ、わたしはよしみとふゆとグループになってしまった。友だち作りは早いもの勝ちだ。成功すれば楽しい一年を、そうでなければ省かれぬよう気を遣って一年を過ごさなければならない。わたしはもう、負けたくはなかった。


「あの」とわたしが口を開こうとすると青野涼が表情を和らげて、声が出なくなった。


「もしよかったらウチんとこと組んでくれない?」


 言葉を忘れたわたしはただそうすることしか知らない人のように何度も大きく頷いた。青野涼の肩の向こうで小林恵が気分悪そうにしていた。


「ほんとぉー? 迷ってたの。ありがとー」とよしみは甲高い声で言った。青野涼はわたしの目を見て「よろしくね」と笑いかけた。夢みたいだ。これが現実でいいのか、夢なのかよくわからない。


「わたし、黒板に名前書いてくるね」とふゆが黒板のほうに駆けて行って名前を書きだして、青野涼は席に戻ってしまった。




「最悪だよね」


次の休み時間によしみは手を洗いながら言った。


「え」


 よしみのさっきの喜びは演技のようだった。


「まぁ、声掛けられちゃったら断れないじゃない?」


「だよねー」


「え、え、どうして?」


「小林恵って超わがままなんだもん。青野さんはよくわからないから別にいいんだけどさ」


「よしみって、小林さんと同じクラスだったの?」


「そうだよ」


 よしみはミニーちゃんの絵描かれたタオルで乱暴に手の水滴を取った。


「めんどくさいことにならないといいけど」


 よしみはため息をついて体の中のイライラを追い出そうとしているようだった。


「ごめん」


 よしみとふゆが鋭い視線でこちらをみる。瞬時に、ふゆは笑顔になった。


「どうして仁美が謝るの? 鎌倉、楽しもうね」


 頭の中が不規則に揺れだした。よしみとふゆがうまく見えない。


 六限終了のタイムが鳴って、帰りのホームルームが始まる。担任の話が終わって、帰り支度をしていると横を通り過ぎた小林恵はわたしのことを見ようともせずに教室を出て行った。


「西原さん」


 頭の上からハスキーボイスが振ってきた。顔をあげると涼やかな笑顔の青野涼がいた。目を見たまま、思考から、体まですべてが停止した。


「今日一緒に帰らない?」


「え」


 挙動が明らかにおかしいわたしに対し、青野涼は訝しがる様子はなかった。


「青野さん、部活は?」


「今日は休みなんだ」


「そう、なの?」


「いいかな?」


 わたしは先ほど彼女にしてみたみたいに大きく頷いた。


 透けるような緑の葉を両手につけた街路樹からは青々しい匂いが空気に交じってきて呼吸すると気持ち悪くなった。少しだけ前を歩く青野涼を目に収めたいけれどあまりにも見すぎると変に思われたりしないかと、頭の中は絡まりすぎて正しい思考回路に結びつきそうもなかった。


「どこに住んでるの?」


「わたしは――」


 思えば、青野涼と言葉を交わしたことがなかった。そして、青野涼もわたしを知らない。自分の住んでいるところさえうまく言えない。突風が目の前を走る。わたしと彼女のスカートが揺れた。青野涼はわたしの右耳の上を手で撫でた。


「可愛い」


 わたしはさっきから夢を見続けているみたいだ。


「恥ずかしがり屋なんだね。そんなに緊張しなくていいよ」


 あまりの現実味のなさに、熱が出てきそうなくらい頭が重くなった。同時に、目を潤している液体がすべて涙となって零れそうだ。目の前で青野涼が笑っている。それだけでもう十分だというのに。


 次の日から、わたしたち三人に加え、青野涼と小林恵も一緒に昼ご飯を食べることになった。青野涼は屈託ない笑顔でわたしたちと話をしてくれるけれど小林恵はスマートフォンを片手にサラダを食べている。自分が食べ終わると「涼、行こう」と青野涼にだけ声を掛けた。


「まだ食べ終わってないからちょっと待ってて」


 小林恵は不機嫌そうにスマートフォンをポケットに入れてどこかに行ってしまった。


「めぐ、待ってよ」


 青野涼は食べかけのパンを袋にしまって、鞄の中に入れて、小林恵を追いかけた。


「マジ、なんなの」


 よしみが小さく、冷たい口調で言った。


「別に一緒にご飯食べてくれなんて誰も頼んでないしね」


 ふゆもそれに同調した。わたしはただ、小林恵に振り回される青野涼を不憫に思っていた。

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