Runner In The TOKYO City

明弓ヒロ(AKARI hiro)

走れ! 走れ! 走れ!

 人影のない、ひっそりとした街。


 俺は、目を光らせながら慎重に足を進める。背中のリュックの中にあるのは非合法のマスクと消毒薬、治安維持隊ガーディアンに見つかれば即、収容所送りだ。パトロールのルートは日ごとに変わる、油断はできない。光学迷彩をまとった奴らは、音もなく近寄り警告なしにスタンガンをぶっ放つ。


 武装などしていない俺の唯一の武器は、足だけだ。文字通り、逃げ足だけは早い。もし、TOKYOオリンピックが延期されなかったら、金メダル獲得間違いなし。ま、俺が参加する機会チャンスなど、はなから無かったわけだが。


 俺の目の隅で、空間が微かにきらめいた。


 やばい、見つかったか!


 俺は全力でTOKYOを駆ける。最高瞬間時速30km。持続時間は20秒。俺は、治安維持隊ガーディアンを振り切った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「いつも、助かります」

 サー・セバスチャン・ジョンが、疲れた顔で俺に礼を言った。

「少ないが、代金です」

 命がけの運びで、たった2本の味気ないシリアルバー。だが、これでも大人2日分が必要とする栄養素はすべて取れる。普段から、味のある食事なんか出来るのは、上級国民アッパーの奴らだけ。下級国民俺たちにそんな贅沢が許されるのは、せいぜい正月ぐらいだ。


「しかし、あんたも物好きだな。わざわざ下級国民俺たちのために、ご苦労なこった。頭のネジがイカれているのか、それとも、いいカッコして下級国民俺たちの女にモテたいのか?」

 熱心に病人の看護をするセバスチャンを冷やかす俺を、蹴飛ばす奴がいた。


いてっ!」

「セバスチャンに失礼なこと言うな!」

 生意気な幼女が、俺の膝裏に飛び蹴りをかました。


「ユナ 、止めなさい」

 セバスチャンが、ユナを叱る。

「そうやって甘い顔するから、コイツは調子に乗るんだ」

 ユナが勢いをつけて、俺に頭突きを食らわしにくる。


「お前なぁ。子どもだからって、調子乗ってんじゃねえぞ」

 俺は、ユナをヒョイと持ち上げ尻を叩く。


「キャー、変態だー!」

「うるせぇ! お前は躾が足りないんだよ!」

 俺はユナを逆さ吊りにし、上下に揺さぶった。だが、直後、俺の目の前に星が飛んだ。


「あんた、私の娘に何してんのよ!」

「痛えな! グーでパンチする奴があるか! こういう時は、頭をはたくのが普通だろ!」

「ふん、ちょうどストレスが溜まってたからね」

「ママ、カッコいい!」

 俺の顔面に拳を叩き込んだのは、ユジンだ。昔は儚げな美人だったが、今はすっかり肝っ玉母さんだ。まぁ、見た目は昔から変わらず、美しい顔立ちは見慣れている俺でも、一瞬目が離せなくなる。


「ユジンさん、タカシがマスクと消毒薬を持ってきてくれました。皆に配って下さい。十分な量ではありませんが」

「はい。すぐに」

 俺に見せた鬼顔とは打って変わって、菩薩のような笑顔でユナが物資を受け取る。


「タカシ、君にばかり危険な真似をさせてすまない」

「いいって。これが俺の仕事だ」

 心配げなセバスチャンの声を背に、俺は次の配達先へと向かった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 キャリアー運び屋。TOKYO CITYで、非合法に物資を配達する俺は、そう呼ばれる。上級国民アッパーの奴らから見れば、ただの犯罪者だ。だが、下級国民俺たちだって生きる権利がある。


 第二次世界大戦で敗北した日本は、連合国による共同管理下に置かれた。ようするに植民地だ。威勢の良かった帝国軍人たちは、戦争責任を天皇に全部押し付け、大日本帝国は日本民主主義共和国とその名を変えた。だが、民主主義とは名ばかりで、旧軍人達は、俺たちを搾取する上級国民アッパーとして君臨している。


 国民の不満を力で押し付けなんとか戦後の復興を果たした日本だが、2020年、TOKYOオリンピック開催を目前に新型のウィルスが世界に猛威を奮った。オリンピックは中止となり、TOKYOはいち早く都市封鎖に踏み切った。上級国民アッパーたちはウィルスの猛威が消えるまで、ソーシャルディスタンスと称し、家の中に閉じこもっている。


 だが、都市封鎖とは名ばかりで、下級国民俺たちは、以前と変わらずせっせと働いている。そりゃそうだろう、誰かが働かなきゃ、上級国民アッパー様の食事も作れないし、上級国民アッパー様がネットで注文した買い物も配達もできない。電気もガスも水道も、誰かが世話をしなきゃならない。


 しかし、都市封鎖が上手くいっていると宣伝するため、俺たちも家に閉じこもっていることになっている。閉じこもっているんだから、当然ウィルスにも感染していない。ウィルスに感染していないんだから、もちろん病院なんてあるわけない。だから、街に転がる死体の世話は、もちろん下級国民俺たちの仕事だ。


 しかも、上級国民アッパーは、止せばいいのに売名行為のために、船内で感染が発生して行き場のないクルーズ船を引き受けた。当然、客の隔離や治療は完璧だ。そして、WHOから派遣され治療に当たっていたセバスチャンは、自分の目の前で次々と死んでいった人々に償うため、奇特にも下級国民俺たちのために診療所を作ったというわけだ。どういうわけか知らないが、この世にはクズも入れば、聖人みたいな奴もいる。そうやって、世界はバランスを保っているんだろう。


 日本の敗戦の折り、朝鮮半島は念願の独立かと思われたが、そうは問屋が降ろさない。日本と一蓮托生、敗戦の責を問われ未だ日本共和国の一部だ。連合国の都合ってやつだろう。植民地は大きい方がいい。


 幼馴染だったユジンは、両親の虐待から逃れるために家を飛び出した。だが、下級国民俺たちの若い女が生きていく方法なんか一つしかない。家で死ぬか、外で地獄に落ちるか。ユジンは上級国民アッパーの愛人となり、ユナを生んだ。なんとか生きる場所を見つけたかと思ったが、愛人からウィルスを感染うつされた。愛人は手厚い治療を受けるために豪華な病院に入院したが、ユジンはお払い箱。街で死体のように倒れていたユジンと、そばで泣き叫ぶユナをセバスチャンが幸運にも見つけた。


 俺? 俺は特に取り柄がない人間だ。まぁ、足だけは速かったな。TOKYOオリンピックで400mの代表に選ばれたが、選考に落ちて難癖をつけた上級国民アッパーに代表の座を奪われた。おいおい、オリンピック精神ってのは、そういうのは許さないんじゃないのか。一生に一度のチャンスを奪われ強化選手から外された俺は、今は足を使って、(いちおう)外出禁止のTOKYOで非合法に物資を運んでいる。


 ついでに言うと、実は俺もウィルスに罹ってセバスチャンに救われた口だ。上級国民アッパー向けにフードデリバリーをしている時に(当然、上級国民アッパー向けサービスは都市封鎖の例外になっている)、奴らにウィルスを感染うつされた。フードデリバリーを首になり、弱った体で非合法に医療物資を運んで倒れた俺を助けてくれたのがセバスチャンだ。だから、わずかな報酬目当てに走ってるだけじゃなく、少しは恩返しをしたいって気持ちもある。


 俺は、TOKYOを走る。下級国民俺たちが必要な物資を運ぶキャリアー運び屋として。


 そう言えば、セバスチャンが、キャリアーにはもう一つ別の意味があるって言ってたな。ウィルスに対する抗体陽性者キャリアーという意味もあるらしい。


 下級国民俺たち抗体陽性者キャリアーになれば、抗体のない上級国民アッパーの支配を断ち切る強力な武器に成るという。だったら俺の役目は、そのための犠牲を少しでも少なくするために、走ることだ。


 走って、走って、走り続ける。


 おっと、治安維持隊ガーディアンが近くにいるようだ。


 全速力で、真っ直ぐに走れ。諦めるんじゃない、あと10秒だ。


 次は、右だ。


 そこの角を曲がって横道に入れ。


 おい、スピードが落ちてるぞ。


 走れ! 走れ! もっと早く!


 治安維持隊ガーディアンに捕まったら、ゲームオーバーだ!



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『オンライン・ランニングゲーム、異例の大ヒット!』


 新型コロナウィルスの感染防止のため世界中で外出が制限・禁止されているが、そんな家に閉じこもっている人たちの運動不足解消のためのオンライン・ランニングゲーム『Runner In The TOKYO City』が爆発的なヒットとなっている。


 味気ないランニングマシンでなく、ドラマチックなストーリー展開に合わせて走ることが売りで、普段は飽きっぽい人たちも夢中で走っている。


 そして、本作のもう一つの特徴がバリアフリーだ。ルームランナーのようなデバイスだけでなく、車椅子を模したデバイスや、視覚障害者用の安全装置を備えたものなど、健常者と身障者の区別なく競うことができる。更には、屋内だけでなく、GPSを使うことで、屋外で走るランナーたちも同条件で競うことができる。


 当初予定されていたオリンピック期間中の走行距離に応じて順位を付け、優勝者にはスポンサーから、オリーブの枝で作られた王冠が送られる予定である。


 なお、遺憾なことにイギリスのブックメーカーが便乗し、現在、有力な選手たちを対象に賭けが行われている。一番人気は、マラソンの世界記録を持つケニア人選手エプチョゴだが、対抗に中国人車椅子ランナー車大山の名が上がっている。他にも、馬の精霊を守護者とするネイティブアメリカンのアヨーテ、江戸飛脚を祖に持つ日本人川渡正蔵など、そうそうたる選手がエントリーしており、果たして誰が優勝するか、世界中の注目を浴びている。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『オリンピック精神、ここにあり!』


 な、なんと、13歳のアフリカの少年ユバが、並み居る強者つわものたちを退け栄冠を勝ち取った!


 普段から、学校まで片道20kmを通っていたユバ君にとって、長距離を走ることは全く苦にならなかったようだ。通学中、サバンナにいるライオンに捕まらないように気をつけていたユバ君には、ゲーム中の治安維持隊ガーディアンを避けるなどお手の物。


 ときには忘れ物を取りに授業中に家に戻ることもあったユバ君。「普段自分がしていることをしただけです」と、今回の優勝に笑顔でインタビューに答えたその姿は、オリンピック精神を失っていた大人たちの心に一石を投じることとなったに違いない。


 まさに、『オリンピック精神、ここにあり!』である。


―了―

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Runner In The TOKYO City 明弓ヒロ(AKARI hiro) @hiro1969

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